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blogと歴史に関するkaratedouのブックマーク (3)

  • Cafe Japanesque

    <前回の記事はこちら→(1)、(2)> ◆南朝への帰順 北条時行の名が次に歴史上に現れるのは、中先代の乱から2年経った延元2年(1337)7月のことです。 『太平記』によると、時行は吉野の後醍醐天皇のもとに使者を送り、南朝への帰順を願い出ました。 「我が父・高時は先年滅亡しましたが、それは臣たる道をわきまえなかった結果なので、私は帝を少しもお恨みしておりませぬ。足利尊氏や新田義貞も、勅命により行動したのですから、北条に刃を向けた件について憤りはありません。しかし尊氏は、いまや朝敵であります。そもそも彼が現在の地位にあるのは、北条が足利家を優遇したからこそ。なのに尊氏はその恩を忘れている上、今また帝に背くという大罪を犯しています。故に我ら一族は、今後は足利兄弟のみを敵としようと決意いたしました。私は不忠の父の子ですが、御赦しの綸旨を賜われば、帝の臣下として喜んで働く所存です。」 書状の内容を

    karatedou
    karatedou 2009/09/24
    いつの間にか更新終了とのこと。残念。
  • ロリコンファル -甘粕大尉と戦後サブカルチャーの不思議な縁 -戦前の影-

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    ロリコンファル -甘粕大尉と戦後サブカルチャーの不思議な縁 -戦前の影-
  • 蜀山人大田南畝はなぜ二回も試験を受けなければならなかったのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    今日もジャンル「知的刺激」で、なんか毎日自分が読んで知ったこと書いてるだけの日記になってます。これでいいのか。ていうか皆さん面白いんでしょうかね。アクセスが減らないんだから面白がる人もそこそこいるってことですね。今日も皆さんの中では知ってる人は知っている話をしますので、タイクツだったらすみません。 江戸時代の人間で頭がいい人というと、ぼくは真っ先に大田南畝、次に高野長英を思い出します。高野長英は前代未聞の牢破りをしてこっそりオランダ語の翻訳をしたらあまりにも名訳なので居場所がばれちゃったりとか、だいたいそういう知恵は最初にみなもと太郎の『風雲児たち』で知ったわけですが(名作なので読んでみてください)、少し破天荒な秀才ですね。蜀山人大田南畝の場合は、若い時にバカやって、突然中年(というか初老)になって幕臣になって小役人仕事をコツコツやった能吏で後半生を終えたわけです。狂歌で名を成していた、

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