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世代に関するkataのブックマーク (6)

  • しらけ世代のこと - finalventの日記

    どうも年寄りイメージで見られて、まあそれでもいいし、実際、自分が20代のころ50歳のおっさんはスゲー年寄りに見えていたことも覚えているので、まあ、そんなものだが。 が、というのは、私は1957年生まれで、団塊世代ではないのな。 ウィキペディア的に整理すると。 ⇒団塊の世代 - Wikipedia 団塊の世代 1947年-1949年 でポスト団塊でもないのな。 次代: ポスト団塊の世代 1950年-1954年 ほいで⇒しらけ世代 - Wikipedia しらけ世代 1950年-1957年 新人類 1958年-1964年 このあたり、ちょっと書いた人が時代・世代感覚がないのだろうけど。 ⇒新人類 - Wikipedia 新人類 1960年-1964年 で、ちょっと混乱している。 これは、東京オリンピックと万博、 それと⇒吉展ちゃん誘拐殺人事件 - Wikipedia それと⇒大久保清 - Wi

    しらけ世代のこと - finalventの日記
    kata
    kata 2009/06/18
  • 週刊誌記者の取材に心が汚れた:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    週刊誌記者の取材を受けた 大手週刊誌の電話取材を受けて、心が汚れたような気持ちになった。 元ライブドア社長の堀江貴文さんについての取材だった。私は5年ぶりぐらいに堀江さんに2時間ばかりのインタビューをして、その長大な一問一答が今月発売中の雑誌「サイゾー」に掲載されている。その記事を読んだ週刊誌の記者が私に電話をかけてきたのだった。 記者「サイゾーに書いてた以外で、もっとプライベートな話は聞いてないんですか。たとえばどんな遊びをしてるかとか、どんな事をしているかとか。サイゾーのインタビューのトップページは堀江さんが大口を開けてハンバーガーをべてる写真でしたね。やっぱりファストフードが好きなんですかね」 私「いや、ハンバーガーの写真はフォトグラファーの仕込みで、別に堀江さんがハンバーガーを好きということではないと思いますよ。あとプライベートなことは今回の取材の趣旨ではないので、とくだん聞い

    週刊誌記者の取材に心が汚れた:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • 2008-04-15

    しょこしょこコメント書いたけど特に話題はない。しいていうと高齢者医療がテーマではあるんだろうけど、これもけっこうどうしようもない問題。 大手流通業の拡大路線が転機を迎えた。イオンは今後3年間で傘下の総合スーパーの約4分の1にあたる100店を閉鎖または業態転換する。セブン&アイ・ホールディングスも外部門などで業績不振の店を順次、閉鎖していく。消費低迷の背景には少子高齢化など社会の構造変化がある。内需型産業の代表とみられてきた流通業は、中国など経済が成長し購買力が高まるアジアでの事業展開に活路を求めることになる。 大筋ではそうかな。ちょっとディテールはありそう。たとえば、大型モールは地域コミュニティ化しているとか、流通ではなくライフスタイル化しているとか。 5年前東京に戻ったときは戸配でない新聞は駅にいかないと買えなかったけど、今ではコンビニで買えるし。 75歳以上を対象にした後期高齢者(長

    2008-04-15
    kata
    kata 2008/04/15
    団塊世代について
  • 404 Blog Not Found:ヒト、モノ、カネより大切なもの

    2006年03月21日19:38 カテゴリPsychoengineeringValue 2.0 ヒト、モノ、カネより大切なもの とは、居場所、なのではないだろうか。 その思いは最近特に強くなってきている。 先進国の若者(と、まだ不惑に達していない私が言うのも何だが)たちの「まったり」とした不満と不安というのは、ほとんどそれに由来するのではないかとすら思う。 確かに彼らは「不足なしに」育って来た。しかし彼らは薄々感づいているのである。 それが実は与えられたものではなく、未来の自分たちから奪われて来たものであることを。 H-Yamaguchi.net: 賃上げより前にやるべきこと これまで若年層の雇用機会が極端に不足していたのは、企業が「既に雇われている人たち」の雇用維持を最優先にしたからだ。これは、必ずしも経済原則にしたがったものとはいえない。もちろん、新規に雇用するより既にいる従業員を使い

    404 Blog Not Found:ヒト、モノ、カネより大切なもの
  • アーレントとマックスヴェーバーがもし1973年生まれだったら? - アンカテ

    アーレントとマックスヴェーバーがもし1973年生まれだったら、間違いなく「ウェブ進化論--当の大変化はこれから始まる」の書評をブログに書いていただろう。この二人は「グーグル以降」の世界について、グーグルよりはる前に研究していた人である。 マックスヴェーバーは、「我々が巻きこまれているシステムについて客観的に語るにはどうしたらいいか」というテーマを研究した人である。その考察から生まれた教訓のひとつは、「認識論」と「価値論」の分離である。 つまり、「そのシステムがどのように作動するか?」という問いをいくら精緻化しても、「それを我々が選択すべきか否か?」という問いの答にはならないということである。 「グーグル以降の世界がどのように変化するか?」という問いは、「それを我々が選択すべきか否か?」にはつながらない。間違ってつなげてしまったら、新しいマルクス主義になってしまう。「おまえがいくらグズグズ

    アーレントとマックスヴェーバーがもし1973年生まれだったら? - アンカテ
  • The Beaten Generation(1973年生まれの世代論)

    When you cast your eyes upon the skylines of this ... Once proud nation Can you sense the fear and the hatred Growing in the hearts of its population? And our youth, oh youth, are being seduced By the greedy hands of politics and half truths The The, "THE BEAT(en) GENERATION" 普段、世代論の類から距離を置くようにしている。そういうのは建設的ではないし、と言葉を濁すことが多い。結局のところ世代論に恣意的な自己正当化のための言説が多いというのがあるし、またそういうのに同調して連帯できたような気になるのも寒々しい。 しかし実

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