<大学4年になり、国鉄九州総局の採用試験を受けた。しかし、採用されなかった> 父が「国鉄に入れ」と言っていたし、九州に帰って両親と暮らすのが務めだと思ったのですが…。ほかの民間企業の内定を受けていたから、そっちでもいいか、と考えていました。合気道の先輩で金沢鉄道管理局におられた田尾憲男さんに相談したら、「翌年も国鉄を受けたらどうだ」と。「田尾さんの下で働きたい」という思いを強くし、留年を決断しました。そして、「今度は東京で受けよう。九州を見返してやろう」と熱くなりました。 <1年留年して昭和56年4月、国鉄に入社。半年の研修を経て、東京南鉄道管理局に配属された> 57年11月、鶴見線の無人駅を管轄する鶴見駅旅客営業センター(横浜市)に着任しました。そこで知り合ったのが、後に妻となる女性です。彼女は当時、鶴見線武蔵白石駅(川崎市)に近い富士電機川崎工場で、出張する社員の指定券などの手配をする