人が大勢いれば、そこで何かしら意見の方向性というのは出来るものです。みんながみんな同じ意見を持つというコトはありえない。それが有る一定以上の規模のクラスターになると「みんな」という表現になってくるのか、それともある一定以上の割合になれば「みんな」という表現になるのか。 でも、実態とは全く別に1つの意見の占有する規模を表現するときに意図的に「みんながそう言っている」という表現を使う事が無いか?そういいきる人がいたとすれば、完全に性善説に立ったお花畑の住人と断言しても良いんじゃないかと思います。ただし、そういう使い方が良い悪いという次元の話は別ですが。 多数決とは別の理論 ある意見を封じるために「みんながそう言っているんだ」という表現が使われる事があります。個人に対してもそうですし、何かしらの組織体に対して言われる事もあります。たとえば何らかの調査に基いて、その対象となった集団の中で例えば過半
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