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2013年1月2日のブックマーク (2件)

  • 『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本

    使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには名があるから、妙に飾らないで、名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形

    『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本
  • [書評]フランクル『夜と霧』への旅(河原理子): 極東ブログ

    cakesに連載している「新しい「古典」を読む/finalvent」の「【第6回】夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル)」(参照・有料)を書いたおり、「夜と霧」についての書誌的な情報をまとめるのに、それなりに苦労した。日語版の旧版は高校生以降読んでいたが、新訳は読んでいなかったので読み返した。ドイツ語が読めないのだが、幸い、英文献での資料が多数あり全体像は見えてきた。英語版も版の差を気にしながら二冊読んだ。 書、「フランクル『夜と霧』への旅(河原理子)」(参照)を読んだのはcakes書評の後なので、先にこれを読んでいたら、だいぶ書誌情報をまとめるのが楽だっただろう。私自身調べたが書評には書かなかった話が、書には多数含まれているので、「夜と霧」を人生のともの書籍としている人は、一読されることをお薦めしたい。 書誌的な情報で、原書に関連することや英書に関連することで、新奇に知った事項は