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科学系読み物に関するkenjeenのブックマーク (35)

  • 「粘菌コンピュータ」は心を持つのだろうか----キューブリックも予想していなかったこと。:IT's Big Bang! -- ITビジネスの宇宙的観察誌 - CNET Japan

    3月19日の日経新聞に出ていた「粘菌コンピュータ」の記事は、大きな扱いではなかったが、各所で話題になっているようである。 それによると、 「理化学研究所の原正彦・局所時空間機能研究チームリーダーらは、土壌にいる微生物の粘菌を使った「生物コンピューター」の基原理を考案した。現在のパソコンなどが苦手とする新しいアイデアや発想を生み出す計算に向くという。実用化には時間はかかるが、人間のような柔軟な思考が可能なコンピューターを実現できるとみている。」 「考案した生物コンピューターでは、情報処理の基単位であるトランジスタの代わりに粘菌の習性を利用する。エサを求めて成長する粘菌の周りに光を当てると、粘菌がいくつかの決まった形になる。光を「入力」、形を「出力」として計算に利用する仕組み。」 ということである。 この粘菌コンピュータは、0か1かの2つの出力を出す通常のコンピュータに、処理速度は及ばない

  • ユーザーにとっての医療技術 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 今ではもうアクセスする人もほとんどいなくなったけれど、 うちのサイトはもともと、内科のWEB 教科書を公開するためのページだった。 出回っている教科書というのは、今も昔も、医学を「科学」と考える人達のもの。 中身は「病名」で分類されていて、最新の、もとい知っていても役に立たない知識ばっかり。 科学と技術の違いというのは、たぶん「ユーザー」を意識するのかどうかの違い。 ちょうどその頃、Alan Cooper(Visual Basic を作った人) の「コンピューターは難しすぎて使えない」 というを読んだばかり。「研修3年目、忙しくて上司の意見を聞けるのは夕方の 1回だけ、 午前中に外来から患者さんを投げられて、とりあえず夕方までの指示を出すと

    kenjeen
    kenjeen 2007/03/01
    科学者が天を目指す傍らで、技術者はたぶん、ユーザーを志向する。
  • 寝たきりの人にとって自然とは何か - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 痴呆が進んでしまった人というのは、事が事として認識できなくなってしまったり、 あるいは嚥下障害がひどくなってむせ込んでしまったりして、事が口から取れなくなる。 老健施設では責任問題になってしまうから、事ができない人に対して 「何もしない」という選択はとれない。何かしないといけないから、 こんな人は「何とかして下さい」という依頼で病院にやってくる。 老衰の人、特に90歳にもなるような人というのは、事をしないだけで、基的には元気。 病院としては、病院内で感染症を拾う前に何とか返したいのだけれど、 「何とかする」まで施設は引き取ろうとしない。 家族に相談しても、答えは同じ。「何とかして下さい」。 売り言葉には買い言葉。 結局こんな人には

  • 僕たちはいったい何を見ているのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    昨日の「僕たちに自由意志はあるのか?」での自由意志に関する話だけでなく、現代の脳科学に明らかにする様々な事実は、僕らが普段信じている世界を一変させるインパクトをもったものが少なくありません。 またもや池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』からの引用になりますが、こんな記述。 網膜から挙がってくる情報が視床にとって20%だけ、そして、視床から上がってくる情報は大脳皮質にとっての15%だけ。だとしたら最終的に、大脳皮質の第一次視覚野が網膜から受け取っている情報は、掛け算すればよいわけだから、20%×15%で、なんと全体の3%しか、外部の世界の情報が入ってこないことになる。残りの97%は脳の内部情報なんだよね。 これ、すごいですよね。3%ですよ、3%。たったの3%しか脳は目からの情報を受け取っていない。 一体、じゃあ、何を見てるのかという話ですよね。 残りの97%が脳の内部情報だとしたら、普段見ている

    kenjeen
    kenjeen 2007/02/21
    全体の3%しか、外部の世界の情報が入ってこないことになる。残りの97%は脳の内部情報なんだよね。
  • 赤の女王とお茶を - 「科学としての経済学」のトリセツ

    が不完全競争? そうかもしれません。 じゃあアメリカは完全競争なの? ヨーロッパは? アジアは? 実は全て、不完全競争です。 そりゃあそうだ。だって完全競争とは 原子性。市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。特に全てのプレイヤーがプライス・テイカーでなければならないことに注意。 均一性。すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。 完全情報。全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。 平等なアクセス。全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。 自由な参入。全てのプレイヤーが市場に自由に参入・退出できる。 こういうところのことなんですから*1。 あり得ない。 じゃあ経済学なんて無意味かというと、そうでもないのです。 どんな科学分野も、この世に存在し

    赤の女王とお茶を - 「科学としての経済学」のトリセツ
  • 「科学モデルの説明」と、「科学モデルを用いた現実の説明」は違うんですよ - 赤の女王とお茶を

    一連の「経済・生産性論争」を観ての「感想」です。 一言でいうと、タイトルのような間違いというかあるいは意図的な混同が議論を迷走させている感じ。 経済学によらず、物理でも生物でもそうですが、ある「科学モデル」について説明するとき、そのモデルが最もうまく機能する「系(=条件の集まり)」を仮定します。 これを「理想系」といいます。 勘違い君が作ってくれたグラフだとか、こちらで「仮定」されている条件などがそれにあたりますね。 「理想系」内では、当然ながらモデルがうまく機能します。そりゃそうです。そのような系を作ったんだもの。 つまりこれは「現実の世界」を反映したものではなくて、「こういうリクツもありえますよ」、とプレゼンするための「お話」なのです。 これに対して現実世界に起こった出来事「現実系」を解析する場合には、モデル通りには行きません。なんせノイズ満載ですから。 かろうじて、実験できる系の場合

    「科学モデルの説明」と、「科学モデルを用いた現実の説明」は違うんですよ - 赤の女王とお茶を
  • 認知的魅惑と「いないいないばあ」の法則

    Kathy Sierra / 青木靖 訳 2006年11月28日 脳はパズルによって刺激される。脳は理解しようとするときに刺激される。脳はほんの小さな「おやっ」と思う瞬間にも刺激される。そしてあなた方の中の一部の人(*ゴホンッ* 男 *ゴホンッ*)が思っているのとは異なり、脳はシャワーカーテンの向こうにいる裸の女性が腕だけ見せている方が、すべて見えているよりも刺激されるのだ。 少なくともそれが神経科学者たちがScientific American Mindの最新号の中で言っていることだ。The Neurology of Aesthetics(美の神経学)という記事で、私たちの好きな脳の研究者V・S・ラマチャンドランとダイアン・ロジャーズ=ラマチャンドランが一連の美の「法則」(彼ら自身が「法則」にカッコをつけている)と、それらの法則が我々の持つ脳の知識 によっていかに説明できるか書いている。

  • 驚くことばかり - 内田樹の研究室

    岸和田だんじりエディターと神戸麻雀ガールのご結婚奉祝麻雀大会が開催された。 甲南麻雀連盟は発足以来15ヶ月の間に会員間で二組のカップルを送り出したことになる。 これは驚異的なマッチメイキング確率といわねばならぬ。 麻雀が人間のエロス的アクティヴィティを高めるという説に私は与しない。 むしろ麻雀の打牌の一手一手を通じてその人となりがはしなくも露呈するという事実が与って大きいのであろう。 とりわけ、負け方のうちにその人の人間的度量はあらわに示される。 先般申し上げたように、麻雀とは「自由と宿命」のゲームである。 自摸は宿命であり、打牌は自由である。 そして、麻雀において宿命は確率的にはほとんどつねに私たちを「敗者」への道へと誘う。 雀神さまが打ち手に微笑む確率は2割5分。 つまり、麻雀をしているかぎり、確率的に人生の4分の3は敗者として過ごさねばならないのである。 昨年の最高勝率の私でさえ3割

    kenjeen
    kenjeen 2007/02/13
    ミラーニューロンが活性化した人は全員が幽体離脱という同じ幻覚を見たそうな
  • 不可知=無 - 妄想科學倶樂部

    「だからさ、死後の世界とか魂なんてものは存在しないんだよ」科学者はそう断言した。 納得が行かない。科学でも解らないことはまだまだ多いのだから、今は知られていないだけで将来的には発見され、解き明かされるかも知れないではないか。そう反論すると、彼はゆっくりと首を横に振りつつ言った。 「そうでないと考えるに足る根拠を挙げてみせようか」 「まず、君は思い違いをしている。『存在するが観測できていないだけ』ということは有り得ない。 いいかね、凡そこの世界に影響を及ぼしている限りは、何らかの手段で観測可能なのだ。捉えることのできない暗黒物質でさえ、僅かな重力からその存在が検出されている。 こう考えて見給え。生命というものを『単なる細胞の集合体が、不可知の領域からの作用を受けて自律的に存在を持続させているもの』と仮定する。この『不可知の領域』が所謂霊的世界、『作用』が魂に相当するわけだが、そのように明白な

    不可知=無 - 妄想科學倶樂部
  • モデルを作って理解する - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 理解3態。 概念の周辺に生まれる無数の因果関係の中から、相関関係になっているものを見出す 検証可能な小さな概念を積み上げて、大きな概念全体の理解を目指す 概念をモデル化して、モデル同士の生き残り競争を通じて正しいモデルを見出す 群盲象を撫でる 「象」を理解しようと思っても、実物がいない、あるいは大きすぎて見えないときはこんなやりかた。 象の足あととか、糞を調べたりしてどんな生き物なのか、そもそも象とは何なのかを推定する 象の爪や毛、あるいは組織なんかを詳細に調べて、 それが集まるとどんな生き物になるのかを想像する いろんな切り口から「象」を論じて、みんな「象という現象」の権威になる。 答えの分からない問題には利権がある。実物が見えないなら答え

  • http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200702011757

    kenjeen
    kenjeen 2007/02/02
    慣れるまでがたいへん^^
  • サービス提供終了のお知らせ

  • :: Zweite Satz Blog :: : Nekomimi Mode

  • http://news.ameba.jp/2007/01/2783.php

  • あるある大辞典(大事典)のニセ実験と洗脳!

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書

    19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ文化をみるとき、無視しようとしてもどうしても無視できないのが、スピリチュアリズムのブームである。交霊会があちこちで催され、霊媒師を通して霊魂との交流が行われた。ソローやエマソンの作品もこういう時代の雰囲気を知っていないと、当には理解できないんだろう。特に、スゥエーデンボルグの霊界探訪の記述は、この時代の文学者にベッタリと影響を与えていて、確かエマソンの母親はスゥエーデンボルグの信者だったはずである。 実はこういう心霊主義のようなものは、アメリカには植民地時代からわりと多くて、それは定期的に起こる信仰復興運動とは、また別の位相のものとしてずっと存在してきた。理由はよく分からないが、一つ考えられるのは、アメリカにはヨーロッパにおけるような確立した教会組織があまりなくて、こうしたキリスト教的には異端的ものが比較的存在しやすかったというのはあるだろう。魔女裁

    科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書
    kenjeen
    kenjeen 2007/01/19
    オカルト的なものは科学的思考能力の欠如によって発生するとは、歴史的には言えない。
  • http://www.k-net.org/lectures/MenWomen/index2.html

    kenjeen
    kenjeen 2007/01/19
    性差より個人差
  • gr.jp

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  • 第4回天才ジュウシマツ”パンダ”の悲劇 - 土よう塾塾長、科学を語る : SCI(サイ)

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    kenjeen
    kenjeen 2007/01/16
    ジュウシマツのモテ、非モテ^^
  • 科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ

    id:good2ndさんという方が、宗教と科学が共存しうるかについて疑問を呈しておられた(■神の存在について(児童小銃)経由)。 ■穏健な宗教(good2ndの日記)。 ちょっと前の話題ですが、ニセ科学がらみで「穏健な宗教と科学は共存できる」というような言い方がされてました。でその、「科学と共存できる穏健な宗教」ってどんなんだろう、というのがどうもよくわからない。「穏健」というのが、単に狂信的でないとか暴力的でないとか反社会的でない、というのであれば、まあ日にある大抵の宗教は穏健ということになるんでしょうが、「科学と共存」というのがどうも。科学者の人とか信者の人とかは結構はっきりした考えがあったりするんでしょうかね。よくわからないので、科学も宗教もろくに知らないなりに考えてみました。 私自身は無宗教であるけれども、宗教と科学を両立させうることは別に不思議には思わない。ある特定の宗教を信仰

    科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ