タグ

読み物と社会に関するkenjeenのブックマーク (31)

  • レジデント初期研修用資料: 良心なんて最初から無かった

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 昔のお医者はやる気があったとか。内からほとばしらんばかりの良心にあふれてたとか。 爺医の人達のお茶のみ話。 よかった昔。医師は良心と奉仕、患者は慎みと公共心持ちよって、お互い美しい日々。 時代が代わって、医師は良心失って、患者は慎み無くして下品になって。 お互い大切な何かを失って、だからこそ医療はこれだけ殺伐としたなんて。 問題は全部現場のせいになって、司法とマスコミだけが高笑い。 最初は誰でも獣 良心とか道徳とかいう概念は、状況を説明するために事後的に付加された 考えかたであって、生得的に実装されている性質なんかではないのだと思う。 たとえば能は弱肉強ルールを叫んでいる状況で、実際には協調しながらの 行動のほうが都合がよかったり、目先の

  • 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む

    安部首相のあまりにも不可解なタイミングの退陣表明のあと、ウェブ上ではアメリカ・ブッシュ政権の陰謀とか某カルト宗教団体の陰謀など、「陰謀論」が飛び交っているようです。「陰謀論」は、マスコミではほとんど流れていないという点に特徴があります。逆に言えば、麻生クーデター説のように、マスコミに出ているものは「陰謀論」とは呼べないということです。マスコミにはけっして出ない「真相」があるという信念の背景には、外国やエリート集団や秘密結社や宗教集団や宇宙人などといった、影で社会を動かしている巨大な権力が、政府やマスコミをも動かして「真相」を隠しているのだから、むしろ政府の公式見解やマスコミに出てきたものはすべてまやかしだという信念があります。 「陰謀論」の人気は、誰も全体を見通せなくなっている現代社会の複雑さを一気に単純にして縮減してくれることと、自分だけが「真相」を知っているという自尊心を与えてくれるこ

    小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む
  • 福耳コラム - ものにはなぜ価値があるのか?の巻「女子大で講義する余談の多い経営学 #8」

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

  • 「みんな」に対する考えかた - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 「みんな」を商売の取引相手として考えるのか、 それとも既成事実を構成するための、単なる部品として考えるのか。 CTを買った 今度入ったCTスキャンは、定価の 9割引 で購入できたのだそうだ。 田舎の小さな民間病院。徳洲会とか、大きな病院グループじゃあるまいし、 価格の交渉力なんてそんなに無いはず。この値引率というのは、 たぶん民間病院の平均値。 うちに入った機械が、定価で5億円ちょっと。このとき競合相手に上がっていた 別のCTは、定価で12億円ぐらい。普通に考えれば、倍以上の価格差なんて、 最初から競合のうちに入らない。相手メーカーの提示価格は 分からないけれど、値引率で見るならば、たぶん今回買ったメーカー以上だったはず。 近くの公立病院では

  • 戦争は遠いアフガンやイラクではなく、他ならぬこの日本国内で起きている ・ 外山恒一

    戦争が、始まっている。 この戦争を、ブッシュやラムズフェルドといった人たちは、「まったく新しい戦争」と呼んでいる。 「まったく新しい戦争」は、どこがどのように「まったく新しい」のか? 9・11直後、アメリカのアフガン攻撃の最中に書かれた『文明の内なる衝突』で、大澤真幸は次のように分析している。 (アメリカのテロリストへの、あるいはタリバンへの反撃は、そもそも戦争と呼べるのか否か、ということが盛んに議論されたが)戦争なのか、それとも戦争ではないのか、という見解が大きく分裂するのは、どうしてなのか? その理由ははっきりしている。この戦いにおいては、軍隊が警察として振る舞っているからである。普通、戦争とは、主権国家と主権国家の間の戦闘――外戦――である。だが、9・11テロが引き起こした「戦争」においては、当面の敵として措定されている主権国家らしきもの――タリバン政権――は偽装的なものであっ

  • めちゃモテ日本 - 内田樹の研究室

    CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。 「どうしてなんでしょうね」 そんなこと私に訊かれても。 しかし、ありがたいことに学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。 その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。 こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。 同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。 お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」では

  • 逃げ場の無かった人のことも時々は考えてあげてください

    http://anond.hatelabo.jp/20070529135806 http://anond.hatelabo.jp/20070529142004 僕の周囲には金に困っている家が多かった。同級生には借金取りから夜逃げして学校に来なくなった人もいるし、高校や大学に進学したいのにできず就職する人もかなりいた。 僕は登校途中に借金取りが待ち伏せしてて「お前の親に連絡が付かない」といってボコボコにされたこともある。まあ僕をボコボコにした人は数日後警察に見付けられたけど、ボコボコにした証拠が僕の肉体の怪我以外にどこにもなく、僕の家にも訴訟などの対策を取る金銭的余裕が無いばかりか、相手の報復にも対処できないので何もできなかった。親もビビって何もできずにいる。高校は奨学金で通っていたんだけど、奨学金って「金が無い」人を援助するためのものだから、「借金まみれ」の人の金銭にまつわる周辺状況は解決

    逃げ場の無かった人のことも時々は考えてあげてください
  • 赤の女王とお茶を : 穴を掘る仕事と穴を埋める仕事。そして「モモ」。

    個別の部門がどんなに効率を上げようと、また努力を重ねて「生産性」を上げようと、全体としては全く効果がない、どころかただ疲弊して後退するのみ、という状況が存在します。 穴掘りチームは穴を掘る。 どんどん深く、どんどん早く。地面にでかい穴を掘ることが彼らの「生産」。 穴埋めチームは埋めていく。 片っ端から土を放り込む。すばやく力強く、平らな地面が彼らの「生産」。 双方、仕事人間。 工夫を凝らし、自分を鍛え、いろんな機械を開発して「生産性」の向上に努めます。 毎日必死に働いている。 仕事の最中は、それなりに充実もしている。 でもしばらくやってきて、状況が前進している気がまるでしない。 努力が足りないのだろうか? もっと必死でやればいいのか? 多分そうなんだろう。 もっと掘らなくては。 もっと埋めなくては。 日でうまくいっていない部分を見ると、よくこういった構造が透けて見えます。 上げても上げて

    赤の女王とお茶を : 穴を掘る仕事と穴を埋める仕事。そして「モモ」。
  • 犬のしつけと社会のインフラ - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります イヌには道徳心も忠誠心もない 安全か危険かの判断はできても善悪の区別はできない 犬には「人を喜ばせよう」という動機はない 犬は「忠誠心を持った友達」なんかではなく、利己的に振舞う、別の文化を持った生き物。 道徳心なんて最初から実装されていないから、「犬に道徳心を育てよう」という態度ではなくて、 「人間が好む振る舞いをインストールしよう」という立場のほうが正しいらしい。 犬飼った。 慣れてきて領発揮したのか、もう暴れまくって大変。うちにはソファーセットがなくて、 来客用にドイツのパソコン椅子があるんだけれど、すでに座面ボロボロ。 叱っても、うれしそうに尻尾を振るばかり。 ほめて伝える そもそも犬は、叱られたことと、ほめられたことを区別できない

  • 武田徹オンライン日記:人間の条件

  • レジデント初期研修用資料: 「信じたがる人」に伝わる意見

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 理性的な、あるいは科学的な「いい考え」というのは実世界ではなかなか受け入れられない。 その一方で、「納豆がダイエットに効果的」とか、「この壺買えば人生勝ち組み」みたいな考え方は 大流行。 「いい考えかたが広まる」というのは机上の空論。広まった考えかたが、事後的に「いい」ものとして 認知されるのが世の中。 広まる考えかたと、そうでない考えかたとを分けているのは、たぶん「信じたがる人」 たちを意識した発信を行っているのかどうかだと思う。 「優越感ゲーム」のルール 世の中を支配しているのは、優越感という万能通貨。 経済的な力。社会的な地位。目に見えない名声や、賛同者の数といった社会の様々な パラメーターは、「優越感ゲーム」というメタルールの元ではお

  • 軍隊化する日常と私 - Arisanのノート

    今日読んだ、長居での出来事についての文章のなかから、とりわけ印象深かったものをふたつ紹介し、自分の考えたことも書き添えます。 橘安純さんの手記(加筆中)。 http://robou.exblog.jp/5470673/ これは、なにもコメントできません。野宿の人のテントが撤去されるということの、現実がこういうことなのだと思う。 みんなそれが分かったうえで、苦渋の選択として、あの演劇による抗議・抵抗という道を選んだ。そういうことだったと思う。 次にミュージシャンのヒデヨヴィッチ上杉さんの、とりあえずの手記(格的な報告は、もう少し先になるそうです)。 http://blog.livedoor.jp/hideyo327/archives/50704879.html 冒頭のメールの一文を読んで、「やっぱり天王寺までしか行けなかったんだ」と思って、辛い気持ちになった。気力や体力が、そんなに残ってた

    軍隊化する日常と私 - Arisanのノート
  • suVeneのあれ: 抑圧と弱者について考える

    2007年01月29日 抑圧と弱者について考える 抑圧。心理学的な意味合いでの抑圧ではなく(受け入れられないものや、認められないものを意識から無意識下へと押し込める心理)、他者からの抑圧、社会的構造からの抑圧、権力からの抑圧、など主に外部からの抑圧について考える。もう少し簡単に言うと、認められた(られるべきと考える)権利や価値観を外部からの影響により妨げられていると考えることである。 人は意識していようがしてなかろうが様々な抑圧を受けている。抑圧とは、わかり易い例をあげれば、社会的にも認知されている「女性に対する抑圧」などのことだ。ジェンダーの問題などというと、「何だか自分にも関係するけど、蚊帳の外のような感じ」がする人もいると思うが、もっと身近な問題も沢山ある。例えばそれは学校教育における「みんな仲良く」というスローガンの元に人と仲良くすることを強要されることであったり、会話が苦手な人に

  • 梅田さんのサバイバル宣言について - 記憶の彼方へ

    梅田さんが平野さんの考えを受けて書かれた「サバイバル宣言」とでも言うべき問いかけが非常に興味深い。 それは一見単純だが、よく考え抜かれ、発言がもたらすかもしれない結果に対する責任をも自覚した、極めて真摯な良い意味での現実主義的なメッセージでもある。それは主に情報系のエンジニアを目指す日の優秀な若者にむけられていると同時に、日の大人達がこれから日社会を担う若者達に「生き方」についてどんな実効性のあるアドバイスができるのかと厳しく問うてもいる。重たいが必須の問いかけだ。蛇足ながら、そこには梅田さんの、それこそ日の若者に対する「青空のような愛」に近い深い思いと強い願いが籠められていることは言うまでもない。 そして、優れた問いかけがそうであるように、その「サバイバル宣言」は凡百の偽の問いかけと回答を解消する力を持ち、「考えるヒント」に満ち溢れた果実のような問いかけである。 若い人たちを見て

    梅田さんのサバイバル宣言について - 記憶の彼方へ
  • 赤の女王とお茶を - 競争について子供に教えるべき3つのこと

    マルクスにさよならをいう前ににインスパイアされて。 結論からいうと、3つとは 1. 世界は競争に満ちている 2. 決められたルールで競争するのは既に負けである 3. 競争すべき相手を誤るのもまた負けである です。 1.世界は競争に満ちている 確かに、世の中いかなるところにも競争は存在します。子供の教育とはいえ、そのことを隠蔽するのは欺瞞というものでしょう。 しかしながら、競争について教えるべきことはそれだけではない。競争原理主義の皆さんも、実は「競争」というものについてかなりの部分を隠蔽しているのです。 それが、2.以降です。 2.決められたルールで競争するのは既に負けである 受験にしろ運動会にしろ、所詮は人の決めた一元的なルールや基準で「競争させられている」に過ぎません。しかし、グーグルや任天堂、あるいは「ホモ・サピエンス」をみれば分かるように、現実の社会、あるいは生態系においてすら、「

    赤の女王とお茶を - 競争について子供に教えるべき3つのこと
  • さかもと未明さん的保守? - 荻上式BLOG

    さかもと未明さんの「道を誤らせないために」という文章を読んでつれづれなるままに。この文章では「『戦争は駄目。喧嘩(けんか)も駄目。みんないい子』として育てられた子供たちがいとも簡単に人を殺すようになったのではないか」と語られているわけだけど、まあこの手の「えー今日は天気がいいですな」「ほんとですな」的なお約束的居酒屋談義にマジレスするものあれだから「少年犯罪データベース 異常犯罪」とかを示しておけば済むとして、以前からさかもと未明さんって、その場所に合わせて発言してるんじゃないのかと思うことしきりなので、これを機会にこぼしてみようかなと。 昨年、さかもとさんの漫画や著作を資料用に大人買いしてみたわけだけど(図書館に入らないもので)、そしてそのお陰で部屋には八木秀次さんとか林道義さんとかどちらかといえばと学会系の「保守論者」のがコンプリートされつつあって、もしこれらを捨てる前に死んだら遺物

    さかもと未明さん的保守? - 荻上式BLOG
    kenjeen
    kenjeen 2007/01/22
    「与えられた席に座っちゃった」感
  • エロはいつまで裏であり続けるのか : 404 Blog Not Found

    2007年01月06日22:00 カテゴリCode エロはいつまで裏であり続けるのか 何ともやるせないニュースである。 「裏の死」の宣告 息の根を止めたのはネット?|文化|カルチャー|Sankei WEB 昨年秋、インターネットで次のような一文を見つけた。 「告知:裏は発売されなくなりました。今後は裏ビデオの情報をのせていく予定です」 なぜかというと、裏は死んでも、刑法175条はのうのうと生きているからである。 右をご覧頂きたい。ご存じ、ミケランジェロのダビデ像である。人類の宝といっても過言ではない、しかし、現時点において日では「お宝」をこのように隠さないと、刑法175条に抵触するおそれがある。「いや、これは芸術なのだから隠さなくてOK」という人は、法の下での平等ということを忘れている。 ここで、「前バリ」をクリックしてもらう。来のダビデ像が現れる。もう一度クリックすると、前ばり

    エロはいつまで裏であり続けるのか : 404 Blog Not Found
  • テロルのやりかたと生態系 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 地域医療や、産科小児科。以前からヤバいヤバいと言われていた状況が、 一気に動いた昨年。 福島県で産科の先生が逮捕されたのをはじまりに、年末には墨東病院と豊島病院、 東京都内で年間分娩件数1000人級を誇っていた2つの中核病院が産科を閉じた。 年間の訴訟件数とか、たぶんそんなに劇的に増えたわけではないし、 裁判というのは3審制。全ての訴訟が有罪になるわけではないけれど、ダメージ深刻。 法律なんかどうだっていい。大事なのは、マスコミ様がどう思うのか。 たとえ完全無罪が決まったところで、 報道なんてマスコミ様の胸先三寸でどうにでもなる。 1人を殺した殺人犯は血も涙もない極悪人として報道されるけれど、100万人を殺した人が 国を救ったヒーローとして祭

  • 安田理央の恥ずかしいblog - エロは不滅ではない

    先日、歌舞伎町の風俗店店長からAVモデルのプロダクション社長になった方にインタビューしました。2004年の歌舞伎町一斉摘発を機に転職したということなんですが、僕も元風俗ライターとして、あの一連の出来事は忘れられません。 それまでも、風俗店の摘発は日常茶飯事でした。性感ヘルス、イメクラといった、いわゆる平成風俗は、ほとんどが風営法無届けの「違法店」でしたから、常に摘発の可能性があったのです。とはいっても、摘発されても、もうその日の夕方には店名を変えて表向きの店長を変えて営業再開していたりして、まぁ、見せしめのようなものだったわけです。お上の方も必要悪だと思っているというのが、僕らの認識でした。だって、実際に風俗を潰しちゃったら色々と弊害も出てくるじゃないですか。男の性欲ってのは、どこかで発散しないといけないわけだし、その辺はお上の方も心得ていて、未成年使うとかクスリ使うとか番させるとか、そ

    安田理央の恥ずかしいblog - エロは不滅ではない
    kenjeen
    kenjeen 2006/12/26
    「一夜にして、ひとつの業界が無くなってしまったことに驚いた」
  • 自分がやれる事。自分がやるべき事。 - 新しいTERRAZINE

    (拉致問題・イラク人質自己責任論・ハンセン病・731部隊等に言及して) 僕たちのこの国はなんと鈍感で、なんと他人の痛みに平然としていることか。 その国で、多くの人たちが笑いながら、幸福を謳歌し、子供を育てている。その景色の明るく、陰なこと。 目の前の危機を助けるのはそんなに偽善でもない感じかな。 ボランティア活動というのは「自分がやれる事をやれる時間の中でやる」ので良いと思っています。 「最近の若者のなんと他人の痛みに敏感なことか」 って思うんだよねぇ。痛みを知ろうにも、現状を見ることも出来ない、聞くことも出来ない、そして助けようにも手も届かない、声をかけることも出来ない所に居る人のことまで気にするような、大きな人間にはワシはなれんなぁ。ワシに出来る範囲ってのは、実際に手を握り声をかけて励ましたり、うんうんとうなずいて悩みを聞いたりできる距離に限られる。どう背伸びしたって、外国の名前も顔

    自分がやれる事。自分がやるべき事。 - 新しいTERRAZINE