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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (47)

  • 私達は、ニコニコ動画で集団的に承認欲求を備給する - シロクマの屑籠

    404 Blog Not Found:ニコニ考 - 承認欲求?ナニソレ? 小飼弾さん曰く、「ニコニコ動画が満たすものは忘我欲求」なのだという。ニコニコ動画の閲覧者とMAD作成者が満たしているのは承認欲求の類とは異なるものではないか、と。そして小飼さんはその理由として以下のようなものを挙げている。 ニコニコ動画は、承認欲求、すなわち「私を私として認めろ」という場としては最低とは言わないが、かなり非効率な場だ。「私を私として」認めるためには、「私でない」ものが「私」とくっきり別れてなければならないが、ニコニコ動画では、その動画が誰のものかすらつまびらかではない。 なるほど、「私を私として認めろ」という個人が、個人としてアイデンティファイされたうえで承認欲求を満たす、というのであればニコニコ動画に匿名で投稿するというのはいかにも非効率なことといえる。ましてや、匿名のコメント弾幕などとなれば尚更で

    私達は、ニコニコ動画で集団的に承認欲求を備給する - シロクマの屑籠
  • 都市空間のスピード・流動性に対して感じる不安 - シロクマの屑籠

    一般に、知的機能の障害は社会適応を大きく制限したり、日常生活の労務に支障を来たしたりすると考えられている。確かに、知的機能の障害があれば、高度な判断を瞬間的に繰り返さなければならない仕事などは難しいだろう。だが、知的機能の障害を持つならば必ず適応弱者というと、そういうわけでもない。自分のスペックを知り尽くしたうえで、知的機能を補い得る幾つかの素養と、適度で流動性の高くない人的環境に恵まれれば、さしたる支障も無く働くことは出来る。例えば、以下のSさんのような場合である。 【Sさんの場合*1】 XX村の27歳のSさん(主婦)は、障害者手帳B1クラス、中等度の知的機能障害ということになる。しかし彼女を見て知的障害だと即断出来る人はそれほど多くは無い。現在は子どもがいないので、近所の老人介護施設のヘルパーをやっている。施設では、よく働くということで利用者達からも評判が良い。唯一、計算を要する場面で

    都市空間のスピード・流動性に対して感じる不安 - シロクマの屑籠
  • 子どもが経済力向上の直接手段になるなら、貧乏でも子沢山になるだろうが。 - シロクマの屑籠

    家庭のサービス化と残される課題 - socioarc http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/11536be67be86b7fb434472b4565f18e 男性が結婚しにくいケース - pal-9999の日記 上記リンク先のテキストを眺めた私は、「恋愛結婚の試金石とする現代の配偶制度と、厳しくなるばかりの格差社会が続く限り、低所得者層の少子化は避けられない」と一層確信するようになった。結婚しようにも低所得がネックになって結婚しきれず、子育てにかかる負担がまかないきれないとすれば、結婚や子育ては一定以上の所得を持った人間だけの贅沢品のような位置づけになっていきかねない。というか多分そうなりつつある。この傾向がもしも加速するとしたら、“社会”というマクロレベルにおいてはさぞ深刻な事態を迎えそうである。 エコノミーとコミュニケーションの両面において、現代都市空

    子どもが経済力向上の直接手段になるなら、貧乏でも子沢山になるだろうが。 - シロクマの屑籠
  • 感情をこき使って摩耗する現代人(感情炭坑労働・情報公害、とでも喩えたくなるような) - シロクマの屑籠

    世界史の資料集を眺めていると、イギリスで第二次産業がいよいよ発展しはじめた頃の挿絵として「炭坑で働く子ども」の絵が出てくる。四つんばいになって、真っ黒になった子どもが石炭トロッコを牽いている絵だ。過剰な肉体労働と過小な栄養補給や休息、そして劣悪な環境の故に、彼らは早くにして命を落としたという。あと、日の紡績工場の女工さんの話とか。『ああ野麦峠』などが有名だ。現代の私達は「これはひどい」と思いながら第二次産業で酷使・搾取される人達を眺めやる。 翻って第三次産業がいよいよ発展してきている現代。 ここまで書けば勘の良い人は気付くだろうが、かつて第二次産業において起こっていたことに類似した現象が、より広くより深く第三次産業において起こってきているんじゃないか、と私は思ってしまうわけだ。そしてこの場合、酷使されて壊れるのは肉体ではなく、(情動・メンタル・情報処理なども含めた)中枢神経のほうだ。 肉

    感情をこき使って摩耗する現代人(感情炭坑労働・情報公害、とでも喩えたくなるような) - シロクマの屑籠
  • 「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html 善良な市民さん(以下、宇野さんと表記)がSFマガジン上で書いた「決断主義」に関して、Masaoさんが「時代遅れだ」「現実は軽くなってるじゃん」と反論しているのが上記リンク先の記事だ。しかしMasaoさんの感覚のほうがむしろ時代遅れというか、時代に逆行していると思う。娑婆はますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況に若い世代は対応を済ませている、と宇野さんは言いたいんじゃないだろうか。そして「現実を軽くする」ことで娑婆に対応出来たと思いこむ感性に対して、「そんなんでサバイブできるの?」と疑問を投げかけているのではなかろうか。 流動性・多様性をきわめた現実をサバイブするには、分からないものは分からないと留保しつつ

    「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。
  • 理想の見取り図を描くことのしんどさ - シロクマの屑籠

    現実主義と、現実追認主義と - REVの日記 @はてな 非難されているのは現実主義ではなく現状追認主義 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか もし、現実に寄り添う度合いの高低によって、現実追認と呼ぶ呼ばないが決定づけられるとしたら、または現実問題に屈服したと看做されるか看做されないかが評価づけられるとしたら、ずいぶんとぞんざいな事になってしまいそうだ。また逆に、「理想」と呼びえるモノに向かってアプローチする営為が無価値・無意味であるとし、あまつさえ何でもかんでもポルポト呼ばわりするのも頭が弱そうな振る舞いにみえる。ここはやっぱり、D-Amonさんが仰ることに近いかもしれないけれど、現実を見据えたうえで理想にアプローチするのが良いという、陳腐ないつもの結論に辿り着くしかないだろう。しかし陳腐だから簡単かというと、これはとんでもない!理想の見取り図を描くのはとてもしんどい事で、私などは尻込みせずに

    理想の見取り図を描くことのしんどさ - シロクマの屑籠
  • 「選択からの逃避」の無い世界 - シロクマの屑籠

    何かを選ぶということは、そのとき同時に何かを選ばないということに通じ、 何かを行うということは、そのとき同時に何かを行わないということに通ずる。 この、陳腐で当たり前の事実は、行動上の選択肢が少ない時にはあまり意識しなくて済んだかもしれないが、一個人の選択肢が多岐に渡る状況(例えばモラトリアムの時期にある現代青少年が直面している状況)ではとりわけ意識させられる。 選択肢が多岐に渡る状況における全選択は、「何かを選んだ」というよりはむしろ「取捨した」と表現するのが似つかわしく、「何もしない」ということさえも「何もしないということを為し、他の選択肢を握りつぶした」と捉えるのがより適切にみえる。このことに気づかぬ人は、「無思考・無決断のままに、望ましくもなければ望んでもいない決断を繰り返す」ことを余儀なくされ、なかには「怠惰」という選択で人生を埋め尽くしてしまう人もあるかもしれない。一方、このこ

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  • 何故、コミュニケーションはこんなにしんどいのか(特に非コミュテストを受けた人にとって) - シロクマの屑籠

    非コミュ指数とコミュニケーション環境 - socioarc コミュニケーションの得手不得手を測定するツールとして、socioarcさんが「非コミュ指数テスト」を試作してみたところ、多くの被験者から「自分の体感よりも非コミュ指数が低く出た」という指摘があったらしい。自分の体感では判定結果よりももっと非コミュ指数が高く出ても(=コミュニケーション下手と出ても)おかしくない、と思う人が多かったということだ。 どうしてそういう指摘をした被験者が多かったのだろうか? 秋風さん*1が示した一見解は、「コミュニケーション能力の高低にかかわらず、皆がそれぞれにコミュニケーションシーンにおいて精一杯の戦いをしている、だから常勝の例外を除けばみんながコミュニケーションに大変さを感じている」というものだった。これは確かにあると思う。例えば多くの運動競技は、初心者は初心者なりに・中級者は中級者なりに・最上級者は最

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  • 現場で診療面接やってる人の意見を転記 - シロクマの屑籠

    カウンセラーやりたいって軽い気持ちで言う人は今すぐ自殺したほうがよい - novtan別館 http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070516/1179257919 留保の修辞クッションが多々あって直接言及しにくいと思ったけれども、「そういうアレなカウンセラーがいると確かに困るよなぁ」というニュアンスは伝わってきた。二人とも言及の力点は違っているけれど、以下の三点についてはおそらく二人とも共通して危惧しているんじゃないかと思った。 “権威化したカウンセリング”が無闇やたらと異常レッテルを貼ってまわるのはまずかろう “クライアントを搾取することが目的化した誘導”がカウンセリングの名のもとに行われるのもまずかろう “カウンセリング”という名のコミュニケーションはしばしば操作的・誘導的だから気をつけて取り扱おうね そこから先のお二方の議論についてはとりあえず置いとくとして、“

    現場で診療面接やってる人の意見を転記 - シロクマの屑籠
  • しかし神風は吹かないし、デカルト神は降臨しないのである。 - シロクマの屑籠

    かつてこの国では、建前の水準でだか音の水準でだか分からないけれども、気合いと思い入れで戦争が勝てると思いたがる人が沢山いたんだそうな。思いたがる、というのは語弊があるかもしれない。「気合いと思い入れのある我々は戦争に勝つべきだ、勝たなきゃおかしい。よってこの戦争に全精神力を没入している一億火の玉な我々は、勝つべきなのだ。留保の無い戦果の肯定を!」といった具合に、精神性を理由とした“かくあるべき論”が大手を振ってのし歩いていた、と表現すべきか。勝てるか否かと勝つべきか否かを上手く混同し、勝つための物資を勝ちたいという渇望で補えると信じるならば、神風はきっと吹く。――しかし、連合軍は三流SFの敵役でもなかったし、デカルト神も降臨しなかった。留保の無い戦果の肯定など、三文芝居のご都合主義と何も変わらない。にも関わらず、昭和二十年頃まで「留保の無い戦果の肯定を!」という思いこみから脱することが出

    しかし神風は吹かないし、デカルト神は降臨しないのである。 - シロクマの屑籠
  • 福祉界隈には夢を売って人を買う傾向があるかどうか - シロクマの屑籠

    仕事柄、老人福祉などにおいて中核的な機能を担うであろう“ケアマネージャー”達と接することが多い。彼ら彼女らは、介護ケアプランの作成や各種機関との連携、福祉リソースを誰にどれだけ投入するかのマネジメントetcの重要な職務を担っている。 それにしても、顔色の良いケアマネージャーというものをあまりみたことが無い。病院お抱えや施設お抱えのケアマネージャーは良いが、家庭介護のケアプランに在野で関わっているケアマネージャーは憔悴しきって燃え尽きそうな人を頻繁に見かける。ただでさえ、限られた現地の福祉リソースと家族からの要望の板ばさみに遭いながら頑張っているのに、被介護者の病状が悪化すれば大変。押しても引いても動かない状況をケアマネージャーは動かさなければならず、マネジメントしなければならず、しかも(例えばドクターなどに比べて)立場が弱いときている。医者同士がICUの一ベッドを巡って行うゲームのような、

    福祉界隈には夢を売って人を買う傾向があるかどうか - シロクマの屑籠
  • いい加減、「甘え」と「努力」を対立項だと勘違いするのはやめようよ - シロクマの屑籠

    ちょっと、以下のグーグル検索の結果を見て欲しい。 努力 甘える - Google 検索 この検索結果からは、「甘える」と「努力」を対立項のように捉えている文章が沢山見つかる。かなり嘆かわしく、短慮のほかないと思う。しかし実際、多くの人が「甘えること」と「努力すること」を対義語のように用い、対立する概念のように考えているのが現状なのだろう。即ち、甘えることの重要性を説く人は努力を否定し、努力を強調する人は甘えることを非難する、という図式である。しかしこれは道理に合わない考え方ではないだろうか。 「甘える」能力を馬鹿にしてはならない。適切に甘えることが出来る人は強い。自分では出来ないことも、省力化したいことも、他人に解決してもらえる。そして甘えるスキルが巧みな人は大抵、相手をむしろ気分良くしながら助けて貰ったりするのだ。「甘え上手」ということは間違いなくコミュニケーション上の大きなアドバンテー

    いい加減、「甘え」と「努力」を対立項だと勘違いするのはやめようよ - シロクマの屑籠
  • 私は失敗を積極的に経験する - シロクマの屑籠

    ときに私は、どう考えても失敗しそうな知人の取り組みを積極的に支援する。また私自身も、失敗することが確からしい選択肢を敢えて突き進んでみることがある。なぜなら、失敗はそれ自体が重要な価値や可能性を秘めているからだ。私は、必ずしも失敗をネガティブに捉えない。 失敗しないと気づかない人達 周りを見渡していると、私からみて失敗すること・頓挫することがあまりにも明白な選択を選ぶ人に気づくことがある。どう考えても失敗するであろう就労プラン・間違いなく破局に至るであろう男女交際・高望みもいいところな応募etcは、身近なところにも少なくない。私が「無謀な失敗」とダメ出しした挑戦の90%以上は、実際、失敗に終わる。だが、私はそれを止めないし、むしろ応援することも少なくない。特に、当人が「上手くいくんじゃないか」と見当違いな見積もりを立てている場合は、である。 当人が「上手くいくんじゃないか」と見当違いな見積

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  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 老人が尊敬される時代は終わった

    かつて、老人は敬うものという価値観が日にはあったのかもしれない。まだそういった価値観が残っている国・地域は残存しているものの、儒教圏か否かに関わらず、老人への尊敬というものはだんだん目減りしているように思える。“老人を敬う”という精神が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 人間というものに、valueという言葉をあてがう事には私も抵抗を禁じ得ないが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というよりも、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていたことに私は注目する。キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネ

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  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている

    以下のエントリ群と、それに対するトラックバックやブックマーク数をご覧になって欲しい。私は人生ゲームに喩える、という視点があっても良いとは思うし、そういった視点から得られる教訓やユーモアを貴重なものとは思うけれども、人生ゲームに擬える視点がこれほどまでに一般化・陳腐化している事には驚かざるをえない。 はてなブックマーク - 人生は神ゲーだ はてなグループ はてなブックマーク - 煩悩是道場 - 人生は神ゲーなんかじゃない はてなブックマーク - 人生は糞ゲーだ - うさだBlog 人生を神ゲーに喩える人、糞ゲーに喩える人。ゲームが楽しいという前提に立って、ゲームほど楽しくないからゲームじゃないと言う人。堀井雄二さんの「人生RPG」以来、人生ゲームに喩える表現はこんなにも一般化してしまっている。 ロールプレイングゲーム、とりわけ見下ろし型のロールプレイングゲームやシミュレーションゲーム

    シロクマの屑籠(汎適所属) - 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている
  • 自意識のトウゾクカモメ - シロクマの屑籠

    ネット娑婆世界についての、小さなたとえ話。 インターネット海に住む、たくさんのお魚さん達。今日も、海鳥たちは紺碧の海に飛び込んではビチビチとよく跳ねるお魚さんを口いっぱいに頬張り、ぺこぺこの自意識をおなかいっぱいに満たします。 ところが、インターネット海では海鳥たちが物連鎖の頂上に位置するわけでもなく。お魚さんを掬い上げた海鳥達を、さらに上空のトウゾクカモメ達が狙います! せっかく惨めなお魚さんをかき集めて空腹の自意識を満たしていた海鳥達を上空からぶっ叩き、突けば痛いであろう腹をつつきまわし、[これはひどい][優越感ゲーム][しねばいいのに]とか変な叫び声をあげて襲撃します。 哀れ、海鳥は折角満たしたおなかから、消化不良の自意識を吐き出してしまいました。 トウゾクカモメはその消化不良の自意識を奪い取ってジュルジュルとい散らかし、やはり空っぽだった彼/彼女の自意識を満たすことができました

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  • ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!

    「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常 - シロクマの屑籠 コメントやはてなブックマークをみているうちに、ふと気付いた。ああそうか、職種によっては、「将軍」や「参謀」にあたるほんの一握りさえいれば、もう「兵士」すら要らないんだ、と。堅実な古参兵を生み出すような「練兵所」が要らない業種があるんだな、と。 例えばアニメの世界。例えばプログラムの世界。テクノロジーの進歩が早かったり、ただベテランを高給で雇ってもメリットの薄い業種なら、夢見心地の新兵を毎年雇っては使い捨てにしたほうが(雇用者側にとっては)旨味がある。若いのを大量に雇って、むしろ長続きさせず、給料があがらないうちに使い捨てる*1という手法。少なくとも自分が事業者だったらそれを考える。使い捨ての若年労働者を求める邪悪な事業主は、「夢という名の麻酔」をかけたままルーキーを輩出してくれる教育機関を、ありがたいと

    ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!
  • 進化論、という響きは罪作りなんだろな、きっと。 - シロクマの屑籠

    進化論という言葉の響きも誤解を招きやすいものだと思う。確か、グールド博士やダイアモンド博士とかも、この響きのまずさについて言及してたよなぁ。進化という単語は、発展する、高度化する、というニュアンスをなかなか免れることが出来ないので、洞窟のなかで退色したり目を退化させたりする種について誤解を招きそうだ。あと、まるで「生物種」なり「遺伝子」が意図を持って前進しようとがんばっているような擬人化を呈しやすそうな点もまずいかもしれない。擬人化は理解を促進することも多いけれど、個の遺伝子の淘汰に関する理解は多分、擬人化以外の喩えのほうが危ない誤解を回避できそうな気がする。 じゃあ淘汰論。これならどうだろうか。でも淘汰は淘汰で誤解を招きそうな表現のような気がする。プロの人達は、この辺りどう考えて今後どのように対処していくのかな。ネオダーウィニズム一択ですか?うーん、人名カタカナしかないのかなぁ。

    進化論、という響きは罪作りなんだろな、きっと。 - シロクマの屑籠
    kenjeen
    kenjeen 2006/12/28
    確かに。もっと価値中立的な言葉の方がいいような気がする
  • ココロの免罪符は要らんかぇ? - シロクマの屑籠

    こんにちは、ネット娑婆世界・はてな娑婆世界の皆さん。北極圏で修行中のシロクマと申します。 あなたは今、何か言い訳を必要としていませんか? あなたは今、直面したくないことがありませんか? 今日は、遠雷轟く皆さんのココロをすっきりさせる、便利な免罪符の販売に参上いたしました。がんばらなきゃいけないと薄々分かっていてもがんばれない貴方や、どうしても気づいちゃまずい事がある貴方、是非ココロの免罪符をお買い求めください。勿論、自尊心が強くて傷つきやすい若旦那さまや、「ごめんなさい」がいえないお嬢さまにもお勧めです。いえいえ、お代は結構です。皆さんの笑顔が、私にとって何にも勝る報酬ですからね、クックック。 では、ここにモノを置いておきますのでご自由にお使いください。今日日はストレス社会だとか何とかいいますので、御入用な方も多いのではないでしょうか。浴びるように使いすぎて、自分に嘘しかつけない人間になっ

    ココロの免罪符は要らんかぇ? - シロクマの屑籠
  • はてなカラス作法心得 - シロクマの屑籠

    はてなのさもしい皆さん、こんにちは。はてなブックマーク上に、ある事ない事書き散らしてお騒がせしておりますシロクマと申します。「こいつはdisっても大丈夫そうだな!ヘッヘッヘ!」とか、「やった!小馬鹿にして爽快感を味わうチャンスだぞ!」とか思った折、皆さんはちゃんとブクマコメントを残してますか?私のようなクズの場合、はてなブックマークとは単なる情報収集のツールとしてだけでなく、暗い情熱を満たす機会を伺うツールとしても重要です。比較的安全な、“ブックマークコメント”という高みから隙の多いエントリを思う存分ついばむ狡賢いブックマーカー達は、(私も含め)はてなカラスと名付けることが出来るでしょう。今回は、こうしたカラス然とした、卑怯上等安全第一効果抜群優越感MAXッッなブックマークライフを満喫する為の心得について、不肖シロクマめが知恵を絞ってみるという主旨でございます。 【はてなカラス作法 心得の

    はてなカラス作法心得 - シロクマの屑籠