本所石原方面大旋風之真景,帝都大震災画報 関東大震災朝鮮人虐殺事件 (かんとうだいしんさいちょうせんじんぎゃくさつじけん、朝: 관동대학살) とは、1923年(大正12年)の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」や「朝鮮人が放火した」などのデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。正確な犠牲者数は不明であるが、論者の立場により、推定犠牲者数に数百名~約6000名と、非常に幅広い差がある[1]。 概要[編集] 震災時[編集] 震災前、加藤友三郎首相が病死したため、内閣が総辞職し、1923年(大正12年)8月28日、山本権兵衛に組閣命令が出されていた[2][3]。震災当日の9月1日夜半には臨時首相・内田康哉の下で閣議が開かれ、2日午前9時には、非常徴発令[注 1]、臨時震災救護事務局官制、戒厳に関する