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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (9)

  • 息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。 ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。 もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたと

    息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    kenzy_n
    kenzy_n 2023/09/03
    人生にはいろいろな道があるもの。
  • 価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてないから、曖昧になっている。曖昧なぶん、ときには真逆に受け取られることもある。これまでも何度かそういうことがあった。そして、昨日も。 問題のブックマークコメントは、これだ。 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5) 「良いこと」とか「悪いこと」という言い方が、そもそも歴史に向き合う態度じゃないと思う。 2021/06/27 10:49 b.hatena.ne.jp 元の記事は、「ナチスもよいことをした」と主張する人々に対して、「それはおかしいよ」と、を紹介しながら述べるものだ。私は基的に

    価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    kenzy_n
    kenzy_n 2021/06/28
    未来にも渡って続く課題
  • なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。 b.hatena.ne.jp もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。 もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかっ

    なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    kenzy_n 2021/01/23
    忘れた事を忘れた
  • 「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    4月1日のエントリと前回のエントリで、「COVID-19による学校閉鎖問題のひとつの解決策としての9月新学期への制度変更」について書いた。この問題に関しては緊急に議論を深める必要があると思う。その議論はもちろん、こんな片隅の雑記ブログなどではなく、国政レベルで行われるべきだとは思うのだが、ここのところ検索で(このブログにしては比較的)多くの人が読んでくれているようでもあるし、さらに話を進めてみようと思う。 というのも、Yahoo!ニュースで、次のような記事を見かけたからだ。 news.yahoo.co.jp 9月入学・新学期は進めるべきではない ― 子どもたちと社会への影響を重く見るべき4つの理由(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース これは私の主張とはちがって「この時期に制度の変更は行うべきではない」というものだ。主張はちがうのだが、それなりに説得力のある論だと思ったので、そこ

    「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    kenzy_n 2020/04/29
    教育機会の不平等性発生の抑止となりうるか
  • 言葉の力を信じること - 民主主義は道徳教育からはじまるのかもしれない - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    人間は、環境をより良い方向に変えていこうと工夫することで独自の進化を遂げてきた生物だ。たしかに一般に生物は周囲の環境を変化させ、そこにニッチを見出して進化してきた。しかし、ほとんどはそれを能動的に行ってきたわけではなく、その生物の存在が結果的に環境を変化させたに過ぎない。人間はそうではない。遺伝子に働く淘汰圧以上の速度で自分自身を変化させ、環境に働きかけてきた。その圧倒的なスピードは、大脳皮質の働きによる思考と言葉による情報の伝達によるところが大きい(関連:なぜ坊主は帯しないのか)。 だから、思考と議論は人間が人間であることのアイデンティティだ。人類をここまで連れてきたのは、考えることと言葉を使うことだ。言葉によって思想を組み立て、それを伝え、そして社会集団としてライフスタイルを変革することだ。そんなふうにして新たな環境に進出し、また、新たな環境を創出して、人類は世界中に広まった。ま、地

    言葉の力を信じること - 民主主義は道徳教育からはじまるのかもしれない - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    kenzy_n 2019/10/13
    言葉には理力があり、うまく伝われば力となることを互いに理解していければ、社会はもっと良くなっていくだろうと考えている。
  • 保育園の仕事と経営者の仕事と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    What business are you in? 私は「ガープの世界」以来のジョン・アーヴィングのファンなのだが、彼の作品群のなかで特に印象に残っているシーンがある。季節労働者の作業場でもあり宿所でもあるサイダーハウスでリンゴ酒の醸造中に、労働者のひとりであるジャックが吸い殻を果汁の中に投げ込む。それに気づいた労働者のボスのミスター・ローズが激怒する場面だ。いま手元に原書をもってきたが、探し出すのが面倒なので、映画版の方から引用しておく。 www.youtube.com 意味深いのは「What business are you in?」というミスター・ローズのセリフだ。この文句で検索すると、「お仕事は何でしょうか?」という穏やかな翻訳が出てくるのだけれど、場面はもっと緊迫している。品を扱っているという自覚がないジャックに対して、「自分の仕事がわかってんのか?」と問い詰めているわけだ。こ

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    kenzy_n 2019/06/30
    代わりのない大切な仕事であるが、環境待遇が変わらなければ仕事を変わらざる得ないつらい環境となってきている。
  • こみいった話をこみいったままに書くのは難しい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    著者ってのは救いようのないくらい文章が下手くそだ。若いころ編集業界の末端にいた私は、傲慢にもそんなふうに思っていた。なんでこんなわかりにくい文章を書くんだ、ここは整理したらもっと論旨がすっきりするじゃないか、ここはほとんど繰り返しじゃないか、こんなところで横道にそれるなよ、みたいに、激しいツッコミを入れながらゲラを読んでいた。ときにはびっしりとコメント付きで著者に戻すことさえあった。「3行で書けるところに50行かけるなよ」という感覚にそれは近いかもしれない。 だが、年齢を重ねるとともに、あれは決して著者の文章力の問題ではなかったのかもしれないと思うようになってきた。なにも、一部の文芸業界のように著者様は神様ですみたいな感覚になってきたのではない。そうではなく、著者であっても自分と同等の人間であり、やはりある程度は読みやすさ、読みにくさというものを知っているはずだということに気づいたのである

    こみいった話をこみいったままに書くのは難しい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    kenzy_n 2019/01/02
    コミットイン
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

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    kenzy_n 2019/01/02
    誰もが直面しうる局面
  • 60年前のスパゲティレシピについて - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    なんか、しょうもない増田につけたコメントにやたらと星がついてるみたいなので、補足しておく。いや、補足するほどの情報もないのだけれど、ちょっと誤解を招いてはいけないなあとも思ったので。 30年前のスパゲッティ 一方、60年前に出された料理には、「スパゲッティの麺は手に入りにくいので、細めのうどんを使います」と書いてあった。 2018/06/05 18:23 b.hatena.ne.jp 元増田 anond.hatelabo.jp に関しては、「ちょっと時代がズレてないか」みたいな指摘もブコメに多い。私もそう思わないでもないが、まあ、地域差、コミュニティの差というようなものもあるのだろう。私自身の経験ではたしかに子どもの頃はいわゆるナポリタンが標準で、それが70年代にミートソースが出始め、80年代にはもう一通り揃ってたような気がするのだが、個人的には自分自身の成長の中で新しいものを知っていっ

    60年前のスパゲティレシピについて - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    kenzy_n
    kenzy_n 2018/06/06
    ラーメンの麺が手に入らない場合にパスタを活用するケースもあるので、できない事ではないと考えられる。
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