稲田朋美氏を中心とする国会議員1年生の会「伝統と創造の会」は、文化庁に自分たちの為の特別試写会をお膳立てさせるなど、その活動によってドキュメンタリー映画「靖国」を上映中止に追い込みました。 「表現の自由の阻害行為ではないか」「事前検閲ではないか」という批判に対して、稲田議員は「これは国会議員の国政調査権だ」とか、「上映を問題にしたのではなくて、文化庁の助成を問題にしたのだ」と言ってます。 言い分はともあれ、日本国憲法のもとで初めて映画の上映自粛という、言論と表現の自由毀損の事跡を、稲田朋美議員等がエスタブリッシュ(定礎)したことに違いはありません。 よってここに、「伝統と創造の会」議員の皆さんらの顔写真等を掲示し、その『栄誉』を称えます。 巷には小泉チルドレンのくせにアッパレ、という声もありながら、中でもお若い議員さんは蒼々たる学歴、国民の税金をたっぷり使って現在の地位を得た方々も
慶良間列島の集団自決の体験者の方々の中には、 「あれは自発的にやったことだ」と語る人もいらっしゃいます。 そりゃそうです。 米軍が上陸したら。戦えるものは闘い闘えないものは「自発的に死になさい」と、軍から命令されていたのだから。 その軍命に忠実従ったからこそ、「自発的な死」なのです。 その軍命がなかったらありえなかった、「自発的な死」なのす。 では、 渡嘉敷島で赤松部隊の「軍命」はいつ出されたのでしょうか? 座間味島で梅澤部隊の「軍命」はいつ出されたのでしょうか? 曽野綾子さんは、それが結局わからなかった、といい、 文部省の検定官や審議会委員も、分からないといってます。 しかし軍命がなければありえなかった、「自発的な死」。 このパラドックス。 島民は、隊長の声としての「命令」を、誰ひとり直接聞いてはいない、と曽野綾子さんは力説しています。そりゃそうです。頭上には砲
沖縄戦での住民および将兵の玉砕・集団死の責任が軍指導にあることを、どうしても否定したい「つくる会」会長の藤岡信勝さんは、ついに街宣右翼とテイケイ、手を結んだようです。 これも一時有名になった、 マサカという坂なんだろうか? でもでも、 当の街宣右翼さんがそういってるんだから間違いないだろう。 藤岡信勝先生自ら『主権回復を目指す会』への共闘を申し込んでこられ、本日我々は文部 科学省の本部前において、歴史教科書のねつ造を許さない集会を「新しい歴史教科書をつ くる会」「主権回復を目指す会」「外国人参政権に反対する会」「在日特権を許さない市 民の会」と連携して行いました。 新しい歴史教科書をつくる会 主権回復を目指す会 外国人参政権に反対する会 在日特権を許さない市民の会 藤岡信勝 西村修平 桜井誠 村田春樹 せと弘幸 集団自決 教科書検定
「沖縄戦の悲惨をなぜ今ごろになって語るのか、なぜ最初から語らないのか?」 という疑問を、戦争を知らない子供たちが抱くのは当然だ。 しかし、戦争を熟知し肯定する、 『新しい歴史教科書をつくる会』の、初老の紳士たちが それを弁(わきま)えないというのは、どーもこーもなく困ったことだ。 そんな不見識なオジサンたちに日本国民の常識作りを任せておいたら、この国はいったいどうなるのだ? 外間守善さんの一言一句が私たちに警鐘を打ち鳴らす。 沖縄戦―なぜ62年たった今、語らねばならないのか? 外間守善 ――外間先生は沖縄学の研究者として、また沖縄文化の紹介者として、多くの著作を世に出されてきましたが、昨年の六月二三日、沖縄戦終結の日を期して、ご自身の沖縄戦の詳細な体験記『私の沖縄戦記』(角川書店)を出されました。これを読んで、私は、初めて先生の前田高地の攻防戦を中心とした戦場でのご体験を
秦郁彦さん 私はつい2ヶ月前までは、様々な立場から書かれた史料を幾重にも読みこなし、実証的に歴史の真実を解き明かす先生のお仕事に、ただただ敬服しておりました。また、解き明かすといっても、未だ解明せざる未明のゾーンをしっかりと認識することの重要性もあなたから学んだように思います。 そうした秦先生でありますが、今日の産経新聞「正論」への寄稿を拝読して唖然といたしました。「実証史家」の看板を降ろして、かつての蓑田胸喜ばりの国粋主義扇動家へと、転職なさったのでありましょうや。 あなたは、本日の論考で次のようにお書きになっています。 しかし渡嘉敷で現地調査した結果をふまえて書かれた曽野綾子『ある神話の背景』(1973年)で、自決命令がなかったどころか、隊長は島民に「自決するな」と制止していたこと、 秦先生! 真顔でこんなことを仰っているのですか? 赤松隊長は、「自決するな」と制止したなどと
・・・さて、明日のブログではどのようにお答えくださるでしょうか。それとも何もなかったことにするのかどうか。見比べてみようと思います。 以下は、阿比留瑠比さんのブログ http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/379359/ への私のコメント欄書き込みです。 ※ わたしは、阿比留瑠比記事中のウヨク団体に対して新聞社が回答しなくてもいっこうにかまわないと思いますが、万万が一阿比留瑠比記者が私に回答しないとすれば、阿比留瑠比記者がメタボ症以外に自己撞着症を患ってるということになるので、私は彼をお若いのにかわいそうと思うでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2007/11/09 08:12 【返信する】 Commented by ni0615 さん To 阿比留瑠比さん おはようございます。 ところで。阿比留瑠比さんご自身は、 (1
「集団自決」について、沖縄の体験者の証言を欺くためにホンドでは驚くべき「子供騙し」がいま横行している。 それはこういうことだ。 渡嘉敷村では米軍の上陸直後の「村民は北山(にしやま)に集合せよ」という命令を、かなりの人が「玉砕(自決)命令」が出たと受け取ったらしい。その証拠に外は豪雨であるにもかかわらず、子供に晴れ着などを着せて北山に向かう家族も多かった。死出の旅装束であった。 そのように受け取ったのは、『もし米軍が上陸したら軍は最期の一兵まで闘い、婦女子は足手まといにならないように自決せよ』、と教え込まれていたから、当然のことだった。 手榴弾が配られたり、軍部隊から運ばれたりしたことは、島民にとっては「玉砕(自決)命令」をより確実視するものだった。北山(にしやま)集合を必ずしも「玉砕命令」だと思わず避難命令だと思って集まった人もいたが、手榴弾が配られるに至って、彼らも「玉砕命令」を
産経新聞は、 「検定は沖縄集団自決について軍関与を否定しているわけではない」 という従来の主張 例えば、http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/91802/ この問題では、当初から誤解や論点のすり替えがあった。沖縄県民大会で、仲井真弘多知事は「日本軍の関与は、当時の教育を含む時代背景や手榴弾(しゅりゅうだん)が配られるなどの証言から、覆い隠すことができない事実だ」と述べた。6月の県議会でも、「集団自決は日本軍の関与なしに起こり得なかった」とする意見書が採択されている。 だが、検定は軍の関与まで否定してはいない。また、検定は「軍命令がなかった」と断定しているわけでもない。 こうした主張をなぜ突然変えてしまったか? というのは、上の『主張』に反する次のような詭弁を10/24 の『正論』として掲げたからである。 し
沖縄戦で、「集団自決」と対を成すものは、「軍による住民虐殺」です。 民衆は軍隊を守ろうとした。 でも、軍隊は民衆を護れない。 軍隊が思う存分闘うには、少なくとも 民衆の力を頼らず、民衆の目に触れないところで闘うしかない。 「軍」はなぜ「民」を護れないのか? 沖縄戦は、 「机上の有事」がいかに大きな災厄をもたらすか、 その絶対的な教訓です。 長年「沖縄県史」編纂に従事していた大城将保氏が掴んだものは、 下記表のとおり。 「集団自決」と「住民虐殺」の事例 「集団自決」も「住民虐殺」もこれまで国も県もまともな調査を行ったことはない。したがって発生件数も犠牲者数も公式の数字というものはない。それでも県史や市町村史、新聞、雑誌などには体験者の手記や証言として両事件に関する記事が散見される。管見(かんけん)の及ぷ限りそれらの情報を集めて、なるべく現場に足を運んで確認したものが次の一
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