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【第29回】つくられた伝統 前回の続きとして ⑤ 「伝統文化」とは いったい何か? ⑥ 伝統文化は、 近代化によって 消滅するのだろうか? 文化の消滅 という考え方に ついて考えてみよう。 ⑦ 「文化」とは 本質的なものか、 あるいは、 構築されるもの なのだろうか? ⑧ 「文化」が本質的だとされる ことを逆手にとって、 政治的な戦略として 用いられることがある。 そうした事態を紹介しよう。 インド伝統音楽? Anoushka Shankar 'Pancham Se Gara' ⑤ 「伝統文化」 とはいったい何か? 伝統 ある民族や社会・団体が 長い歴史を通じて培い、 伝えて来た信仰・風俗・制度・ 思想・学問・芸術など。 特にそれらの中心を なす精神的在り方。 『広辞苑』より イギリス・キャサリン妃 王室の出産時の「伝統」 「生まれると、 王室職員が病院スタッフの サイン入り文書を 車でバ
以前に、手元にある三省堂・漢和辞典(第三版)で「絆(きずな)」という言葉を調べたことがある(こちら)。 それによると、 ㊀キズ(ヅ)ナ。馬の足をつなぐなわ㊁ホダす。人の行動をしばる㊂ホダシ。人の自由を奪うもの とある。 その時のぼくのコメントは、 なるほど、誰が見つけ出して来たのかは知らないが、声高に叫ばれる「絆」という言葉は、確かに思考を停止させる言葉としては十分機能している。 といったものだった。 で、今日は「万歳」という言葉のお勉強をしてみようと思い立った。 今回も使用したのは三省堂・漢和辞典(第三版)。 ㊀一万年㊁いつまでも生きる。生命が長い。㋑天子の長命㋺一般人の長命㊂めでたいこと㊃お祝いを現す言葉㊄天子など貴人の死「ーー後」㊅一般人の死㊆おてあげ㊇昔朝廷や幕府の庭上で行われた、年始を祝う歌舞㊈新年にえぼし・ひたたれを着け、他の人がつづみを打ち、ときには胡弓をも加えて、民家を歩く
Yahoo!ニュースのトピックスに、ABC朝日放送のこんな記事が掲載されていました。 【ABC特集】舞鶴か?呉か? 海軍ゆかりの町の仁義なき「肉じゃが論争」ついに決着か 記事そのものは肉じゃがの発祥の地を巡って、海軍ゆかりの町である舞鶴と呉の間で争われているという話で、「ついに決着か」とタイトルにありますが、結局は分からずに終わっています。そして記事中、肉じゃがの誕生についてこのように説明されています。 明治34年(1901年)、海軍鎮守府の長官として、舞鶴に赴任した東郷平八郎は、イギリス留学中に食べたビーフシチューを作るよう料理長に命令。しかし、当時は赤ワインやバターなど手に入らない調味料もあったため、料理長は、しょうゆと砂糖、ごま油を使って味付け。そうして出来上がったのが「肉じゃが」、というのが舞鶴では定説なんだそうです。 出典:【ABC特集】舞鶴か?呉か? 海軍ゆかりの町の仁義な
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先日の記事「近代日本、海水浴の誕生」で明治時代に日本の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実
輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』を読んだ。 超面白い。 内容はタイトル通り、「演歌=日本の心」っていう図式は、「伝統の創造」じゃないの?、それって昔っからじゃなくて「最近」できたものじゃないの?、って内容である。 創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) 作者:輪島 裕介発売日: 2010/10/15メディア: 新書 「ヨナ抜き」も。 「ヨナ抜き五音音階」は、大正期にきわめて近代的な意識に基づいて生みだされた和洋折衷の産物 (63頁) 演歌といえば「ヨナ抜き」であるが、なんと、これも和洋折衷の結果だという。 「カチューシャの唄」の作曲者・中山晋平が、伝統的な民謡音階と西洋の長音階の折衷としてヨナ抜き長音階を生み出した。 じっさい、邦楽由来だか唱歌にはない「ユリ」の技巧などが、「カチューシャの唄」には使用されている。 都はる
愛国百人一首(あいこくひゃくにんいっしゅ、旧字体:愛國百人一首)は、いわゆる異種百人一首のひとつ。戦時中の翼賛運動の一環として、「愛国の精神が表現された」とする名歌百首を選んだもので、皇室への崇敬を筆頭に、国土愛や家族愛の歌が採られている。カルタとしての遊び方については、百人一首の項を参照のこと。 日本文学報国会が情報局の後援、大政翼賛会の賛助、東京日日新聞と大阪毎日新聞の協力を得て企画された。選定委員は佐佐木信綱、土屋文明、釈迢空、斎藤茂吉、太田水穂、尾上柴舟、窪田空穂、吉植庄亮、川田順、齋藤瀏、松村英一、北原白秋ら12名[注 1]。企画目的は「聖戦下の国民精神作興」であり、選定基準は「万葉時代から幕末までの詠歌者の分かっている臣下の和歌であり、愛国の精神が、健やかに、朗らかに、そして積極的に表現されていること」とされた。また、幕末期の歌は「明治改元より先に物故した人物」に限られた。 選
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。
ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、 http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035907 「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら? 本書では、明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」――当時は「歌による演説」を意味していた――が、一九六〇年後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過
■「墓」が揺れている バブル期まで「墓が足りない」と言われ、ちょっと安く、居住地に近い墓は売り出しと共に行列を作り、抽選していた様子が、今ではすっかり様変わりしている。今、墓は売れない。 バブルが崩壊し、消費低迷の状況にあって二百~三百万円する墓が売れないのはあたりまえという認識はまちがってはいないだろう。だが、同じような価格帯にある自動車には今年(平成九年)三月までに消費税五%値上げの駆け込み需要があったが、墓にそうしたことが顕著だったという話はあまり聞かない。経済状況だけを理由にしての買い控えだけとは思われない。 確かに土葬の時代とは異なり、火葬率九八・六%(一九九五年)の火葬全盛時代にあって、墓はどうしても今すぐ必要なものではない。遺骨にして壺に収納すれば自宅でも保管できるし、一時的に預かってくれる納骨施設もある。こうした景気の先行きが不透明な時代に生活用品ではないので慌てて墓の購入
皆さんは神社本庁という組織をご存じですか。現在は一宗教法人に過ぎませんが、いかにもお役所っぽい名前から想像できるとおり、実際には国と密接な関わりをもった、神社の中央機関というべき存在です。世界的にも政教分離が進んでいると評価されている日本ですが、宗教政党の存在に加え、この神社本庁の存在はまさに政教分離のアキレス腱といってもいいでしょう。 しかし今、官僚組織と中央集権が問題になる中、各地の神社が神社本庁に反旗を翻しつつあります。あの日光東照宮や明治神宮も既に神社本庁を離脱しており、今回ご紹介する気多大社もその一つです。 【47News】最高裁、神社規則の変更認める 羽咋市の気多神社訴訟 「縁結びの神様」として知られる石川県羽咋市の気多神社(通称気多大社)の役員9人が、神社本庁から離脱するため変更した規則を認めなかった文部科学相の裁決を取り消すよう求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷は2
1872年(明治5年)、伊勢神宮の少宮司で教部省にも所属した浦田長民が神宮教会を設立した。 1875年には全国の神道諸派を結集させた行政団体として神道事務局が創設され、総裁には有栖川宮幟仁親王、副総裁には岩下方平が就任した。1882年には神道事務局から生徒寮を分離独立させて神職の中央機関である皇典講究所が創設。神道事務局のほうは1884年、神道本局と改編された。1885年には会通雑誌社『会通雑誌』が創刊され、皇典講究所と神道本局の録事や官報、外国の彙報、官国幣社の祭日などが報じられていた[7]。 1890年、皇典講究所所長山田顕義に懇請され初代國學院院長となった高崎正風。 1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第28条により、国民の「信教の自由」が認められると、神道も仏教、キリスト教とともに宗教団体として国家の公認を得ることになったが、一方で、神社は国家から宗教とし
夫婦別姓は日本の伝統文化であり、夫婦同姓は明治維新以降のわずか百余年の「伝統」や「習慣」であるとして、「産経新聞をはじめとする保守系言論」を批判する記事を読みました。 http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/40998284.html 近現代の日本における夫婦同姓は、多分に「日本の伝統社会」の観念・習慣に根ざしたものだ、との私見はこれまでに何度も述べてきたので、 https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_7.html https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_17.html https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_30.html https://sicambre.seesa
前回では、日本史における「夫婦別姓」を話題にしました。 ただ厳密に言うならば、この「姓」というのは問題です。古代だったらこれは「氏」というべきところなのだ。日本史における「氏-姓-名字-苗字」の変遷関係は、ひどく混乱しています。 僕にもわからないことが多いのだが、今回は、この問題をなるべく簡単に整理します。(間違ってるかもしれないので、メールにてご教示をいただけると幸いです) ◆血統の「氏」 まず「氏/うじ」は血統集団の名称です。鴨氏・物部氏・大伴氏・吉備氏・尾張氏などがこれにあたる。ただ王族には「氏」の名はありません。これが王族から臣籍へ降下すると、源氏・平氏など「氏」の名が与えられた。これはいちおう簡単です。 ◆カーストの「姓」 いっぽう「姓/かばね」は厄介です。これはほんらい古代の氏族を、政治的に分類・格付けしたものでした。【連/むらじ】【臣/おみ】【村主/すぐり】【吉士/き
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 家制度(いえせいど)とは、1898年(明治31年)に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった。 戸主の制度は、最も古くは大化の改新に始まる。孝徳天皇の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである[1][2]。 前近代における「家
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