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採用と社会学に関するkiku-chanのブックマーク (6)

  • 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常

    田はこので、現代日がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも測定して評価する、そういう社会に変貌しつつあると主張している。興味深い部分もあるが、理論とデータの扱いにおいて少々問題を感じるところも多い。 1 田は、ハイパーメリトクラシー社会への変化を、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」という二分法で描き出そうとする。前者はこれまでのメリトクラシー社会で主に評価されたいわゆる「学力」であり、後者は文科省が「生きる力」と呼んだような種類の能力である。 田が述べるように、日において、企業と文科省が1980年代後半から2000年頃まで、「ポスト近代型能力」を重視する方向できたことは疑う余地もない。しかしそれが先進国に共通する変化か、と言うと大きな疑問である。 田は、ベックやギデンズを引用し、見田の「情報化/消費化社会」の議論を引用しながら、どうして日

    本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常
  • なぜ、「働く」とこと「内面」がここまで結び付けられるのか? - 隠フェミニスト記

    日記サブプライムとかいうやつのあとに、とうとう日も若年層の雇用が危なくなる国の仲間入り?していますね。そこで、既得権益どうのこうのは別にどうでもいいや。何かとの対立を煽って気が済むのならばやればいいんじゃない? それよりも、私が憤りを感じるのは、企業が労働者を採用するときの「自己PR」をどんどん先鋭化させていくところだ。 人間が他者に侵害されてはならない、「啓発」も「啓蒙」もそう簡単に許してはならない「ココロ」のありようを審査しようとする就活とは何なのか? エントリーシートを書くために自分史を再構築する 今の就活の企業向け「自分語り」を無理やり構築しなければならない。大学の新卒組は3年生ぐらいから、エントリーシートを書くために、小学校一年生から自分史をさかのぼり、企業にアピールできる部分を抽出し、「自分はこんな人間です」という漠然とした疑問に企業が喜ぶ自己像を作り上げる作業をする。 対企

    kiku-chan
    kiku-chan 2010/01/25
    「啓発」や「啓蒙」された「自己」が晴れて採用され、就職した企業で対面する職場の内情は就活時に見せられた姿とは違って見えたりする(たいして立派なもんでもない)のでは?と思う。そりゃ早期離職するよと
  • リクルート ワークス研究所 Works Institute

  • Works No.57 目次 リクルート ワークス研究所 Works Institute

    特集1 コンピテンシーとは何だったのか 序にかえて 洋モク? それともTQC? ●海老原嗣生(Works 編集長) 第1章 コンピテンシー・ヒストリー・ダイジェスト Part1 ●マクバー社が進めた華々しい研究の数々(〜1990年) ●コラム スキルとコンピテンシーの違い ●コラム 資質とコンピテンシーの違い ●コラム 文化(風土・モラル)とコンピテンシー ●コラム 氷山モデルの誤解 Part2 ●急激な普及とその反動(1990〜2000年) ●コラム Competence Competencies Competency 第2章 なぜ私はコンピテンシーを批判するのか Part1 ●能力要素の組み合せで、発揮能力は著しく変化する モーガン・マッコール(南カリフォルニア大学組織・経営学教授) Part2 ●そもそも統合的な人間観察に使うものだった デイビッド・クリールマン(HR.co

  • http://www.sc.mufg.jp/inv_info/ii_report/jp_weekly/pdf/jw20060703.pdf

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/07/21
    日本経済:若年非正社員の前にある壁、他
  • サービス化する社会 - socioarc

    サービス化する社会 Business | Society 現代先進国の飽・モノ余りの時代にあって、コモディティ化するコンテンツ(製品や情報)を差別化するポイントは何か。その重要な1つは「サービス」である。そして、「サービス」はコンテンツの善し悪しとは別に、受け手側の感情的な受け止め方によって、満足度が異なってしまうという特徴を持っている。 「『不快』化する社会、不快感を忌避する社会」 (via 「『非国民』に対する歴史的反応と現代的反応」)は、教育が、受け手側の「不快感」を元に善し悪しが判断されてしまうという一例で、興味深く読んだ。この件は、詳細なプロセスや状況が分からないため、何とも言えない部分もあるが、戦争の理不尽さを伝えるのに、赤紙を使うという着想、コンテンツ自体は必ずしも悪いものとは思わない。むしろ無味乾燥なテキストよりも強い、生きた印象を残すことが期待される。ただ、教育の顧客で

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