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ブックマーク / note.com/viappia2472 (49)

  • *【#信仰】「イエスを裏切ったイスカリオテのユダに入った『悪魔』とは何か?」|Hiroshi Matsuura

    イエスがパンを浸し与える人物が自分を裏切るとし、そのパンをイスカリオテのユダに与えた」 … ヨハネ福音書は、そのとき「悪魔が彼の内に入った」の述べる。 この唐突な悪魔への言及は、ユダが会計係として不正を行った云々の通俗的説明と整合しない。ユダは、仮にもイエスが十二人の弟子として選ぶほど深い信仰を持っており、イエスを愛していたからこそつき従ったのだ。 ここでわれわれは、イエスを十字架につけたもう一つ別の説明が想起される。それは、マルコ福音書が「祭司長たちのねたみ」が原因だったという説明である。 そうであるならば、ユダの「悪魔」と祭司長たちの〈ねたみ〉が別物であるはずがない。 マルコによる福音書は、また有名な「ゲラサの悪魔憑き」のエピソードについて言及している。 悪霊に取り憑かれた男に、イエスは「名は何というのか」と尋ねる。それに対して、男は「名はレギオン。大勢だから」と応えている。新共同訳の

    *【#信仰】「イエスを裏切ったイスカリオテのユダに入った『悪魔』とは何か?」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2023/03/03
  • *【#人生】「死ぬこと以外はかすり傷」|Hiroshi Matsuura|note

    人生で真剣に問うべき唯一の問題は生と死をめぐる問題だ。 ローマ帝国は、民衆統治の要に「パンとサーカス」を置いた。 「パンとサーカス」とは、民衆を消費と娯楽に釘付けにしておけば、失政に対する非難のエネルギーを政権以外に向けられるということで、これは現在の自公政権と同じである。 それでは、「パンとサーカス」とは何か? それは、生と死の間に置かれたついたてであり、不安や恐怖を掻き立てる不可避の死から目を背けるための一時的な逃避所である。 作家の永井荷風は「#元来日人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり」(『断腸亭日乗』)と指摘したが、これは、日社会の人間的成熟を目指さない自己愛過剰の幼児キャラをよく示している。 仏教では、人生について「病老死苦」と言う。 人間は、必ず老い、やがて病を得て死ぬ苦しみから誰も逃れることはできないということである。 「パンとサ

    *【#人生】「死ぬこと以外はかすり傷」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/03/01
  • *【#歴史】「江戸時代の人々は今日が建国記念日などとまったく考えていなかった」|Hiroshi Matsuura

    … これくらいいい加減な発想でつくられた「祝日」もまれである。 周知のように、戦前の公式史観では、1940年(昭和15年)が、神話上の神武創業から数えて紀元二千六百年と想定されており、この年運転を開始した旧日海軍のエース戦闘機が「ゼロ戦」(「零式艦上戦闘機」の略称)と呼ばれたのはあまりにも有名である。 この「紀元」とは神武天皇の即位「紀元」なので、この「紀元」なるものが悠久の昔から存在するように思われがちだが、そうではない。「紀元」という発想は、幕末の欧州留学生として、西周(1829-1897)とともにオランダでフィッセリング教授(Simon Vissering, 1818-1888)に学んだ法学者・津田真道(1829-1903)の建議によるものなのである。 ◆ 明治5年の太政官布告第342号 ライデン大学で学ぶ間、津田は、ヨーロッパではキリスト教「紀元」という共通の歴法が普及しているこ

    *【#歴史】「江戸時代の人々は今日が建国記念日などとまったく考えていなかった」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2023/02/13
  • *【#チンピラに上品も下品もない】「西部邁の周辺の高等批評はアベノミクスの共犯者」|Hiroshi Matsuura

    … 竹中平蔵、橋下徹、三浦瑠麗やホリエモンや小林よしのりなどが量産したネトウヨなどのと違いは、「あんな無教養で下品な連中とは違う」というスノビズムだけ。 一方には、ルサンチマンをため込んだ『ナニワの金融道』、カネと暴力だけがものを言う下層社会のモラルがある。 そして他方には「日会議」「新しい歴史教科書をつくる会」からモラロジーに至る、戦前の修身を思わせる道徳主義がある。 この両者は一見真逆に見えるがそうではなく、互い補う関係にある。 ◆ 英国の新自由主義的構造改革の推進者のサッチャー サッチャーの有名な言葉に「社会なんてものはない。あるのは個々の男たちと女たち、家族である」というものがある。 その同じサッチャーが着手した教育改革では、歴史はアルフレッド大王の武勲を称賛するような、伝記のつぎはぎのようになってしまった。 つまり、歴史を動かす政治的、経済的あるいは社会的原因から目を逸らし、成

    *【#チンピラに上品も下品もない】「西部邁の周辺の高等批評はアベノミクスの共犯者」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2023/01/30
    “次々と断行される民営化や規制撤廃と道徳教育のココロ主義が互いに補っていることがわからないと、アベノミクスの悪どさは見えてこない。”
  • *「〝新しい資本主義〟とは使い捨ての部品としての人間を作ること」|Hiroshi Matsuura|note

    … マルクスの貢献は、商品や貨幣の物神性の神秘によって、人間も含めたすべての事物を貨幣価値によって値踏みすることによって事物同士の生活関連を分断しすべてのものからその内在的価値を奪う #物象化現象 を明らかにし、資主義の脱神話化をしたことである。 ところが新自由主義的な構造改革は、この物象化を推し進め、人間疎外をさらに推し進めることさえ礼賛する。 かくして、結婚は「源泉徴収票の交換」にとってかわり、教育は「将来の見返りを期待した先行投資」と見なされ、医療や介護は経費の問題として、危険や安全は保険の問題としてみなされる。 ◆「新」自由主義は東インド会社時代の粗暴な資主義への回帰 集団的自衛権の行使容認が最初に提起されたのは、自民党タカ派によってではなく、経済同友会の安全保障委員会だったのだ。 例えば、アメリカによって繰り返される中東介入を「石油目当て」と考えている人がいるが、「シェール革

    *「〝新しい資本主義〟とは使い捨ての部品としての人間を作ること」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/01/23
  • *【#人生】「地獄とは、もはや愛さないということである」|Hiroshi Matsuura|note

    … ジョルジュ・ベルナノス『田舎司祭の日記』より。 生死に関する考察なしに充実した晩年などない 加齢と共にひどく性格が悪くなる人がいる。 それは「自分が死ぬ」という強迫観念が、周囲の活力や若さを嫉妬させるからである。 それまで、財産や地位や学歴などつまらないものに依存してきた者の晩年は悲惨である。 人間を外から飾るものをすべて喪失し、素の自分の直面したとき、その内面的支え、例えば知や徳や愛のない者は、ただ周囲を妬むだけの俗物として朽ち果てる。 「一人で生まれ一人で死ぬ」のは万人の宿命である。 誰もが歳を取り、病を得て亡くなることは避けられない。 ただ欲望をタレ流し、醜い俗物として朽ち果てるか、あるいは利他に限られた命を捧げなにほどか〈善きもの〉を残そうという人生には、天地の開きがある。 人生には、二つのものしかない。愛とそれ以外である。 どちらを選ぶかはあなたの決断次第である。

    *【#人生】「地獄とは、もはや愛さないということである」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/01/18
  • *【#社会】「神に従う者と背く者 -- 安倍元首相暗殺事件は時代の大きな転換点」|Hiroshi Matsuura|note

    … ちょうどその3年前に兇弾に倒れた中村哲氏に関しては、今日でも内外の称賛が止まず、伝記や映画化の話題で持ちきりである。 安倍政権の軍拡方針に批判的だった中村医師の生き方は、しばしば田中正造や杉原千畝と比較されるキリスト者としての愚直な生き方と比較され、アベノミクスが推進して来た新自由主義的な構造改革の計算高い経済合理主義にうんざりして来た人々の共感を得た。 彼らは、医師、国会議員そして外交官と日社会のエリートでありながら、蓄財や立身出生ではなく、目の前で「助けて下さい」と手を合わせる窮民を助けることを選んだ。 そして彼らは、あるいは貧窮に没し、あるいは兇弾に倒れた。 ◆ 天、共にあり しかし晩年の苦労ずくめだった人生を振り返り、田中正造は、こう歌っている。 「世をいといそしりをいみて何かせん身をすてゝこそたのしかりけれ」 「世間の誹謗中傷を恐れてどうなるというのか、利害損得を超越してこ

    *【#社会】「神に従う者と背く者 -- 安倍元首相暗殺事件は時代の大きな転換点」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/01/15
    “田中正造、杉原千畝そして中村哲医師は、神と富という二つの選択肢を前に、迷うことなく神を選んだのである。”
  • *【#政治】「現代日本の右傾化とは何か? -- 馬鹿が戦車でやって来る」|Hiroshi Matsuura|note

    … さて、前任者たちよりは多少は見識があると思われていた岸田首相は、単に「漢字が読めるアベ」に過ぎなかった。 教育や福祉には「財源がない」のに、次々と他の予算が転用される防衛費は、世界第三位の軍拡を目指し、浜田靖一防衛相「防衛産業を魅力的なものにする」という発言には驚かされる。 結局、岸田首相の唱える「新しい資主義」とは、格差を広げ、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の物象化を促進し、アベノミクスの悪いところを凝縮し一部の富裕者にだけ富を集中化させ、国民の大半を貧困化させるものに過ぎなかった。 政権与党の自民党は、おおむね経済派・実務派・イデオロギー派の三つで出来ており、経済派とイデオロギー派は一見真逆の主張をするが互いに補い合っている。 かつて稲田朋美元防衛相が「TPPバスの終着点は日文明の墓場」と言いながら、いつの間にか推進派に転向したように。 イデオロギー派は実体経済とかけはなれてい

    *【#政治】「現代日本の右傾化とは何か? -- 馬鹿が戦車でやって来る」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/01/04
  • *【#思想】「共同生活のなかでしばしば起きるものごとは、どれも虚しく価値のないことばかりだ」|Hiroshi Matsuura|note

    …『知性改善論』の何げない書き出しは、スピノザが破門されアムステルダムのユダヤ人共同体から追放された直後に書かれたことを考えればズシリと重く響く。 例えば、今日世界中から尊敬されている田中正造、杉原千畝や中村哲先生は、生前激しい誹謗中傷にさらされた。 そしてこの三人は、当時の政権に対する極めて手厳しい批判者であった。 つまり彼らは、「空気を読まない」人であり、共同体の中で、つまり仲間内だけで「よし」とされているルールに従わず、だからこそ決して見返りが期待出来ない人々にあたたかい手を差しのべることができたのだ。 彼らがすべてキリスト者であったことは、もちろん偶然ではない。 ◆「寄留の異邦人、孤児、寡婦」とは何か? 預言者エレミアは、「正義の業を行い、寄留の異邦人、孤児、寡婦を救え」と命じている。 この「異邦人、孤児、寡婦」というのは、その共同体の中のマイノリティーであり、ほとんどの人が自分と

    *【#思想】「共同生活のなかでしばしば起きるものごとは、どれも虚しく価値のないことばかりだ」|Hiroshi Matsuura|note
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    kiku72 2023/01/02
  • *「ある昭和史 --『父の子』である私」(29)|Hiroshi Matsuura

    … 時代閉塞の現状が続いている。 安倍元首相の暗殺事件の後も、政界では安倍氏の遺した負の遺産は続き、議会では閣議決定の追認に過ぎない熱のないやり取りが続く。 自民党員と旧統一教会の関係が次々と暴露され被害者救済法が可決されたが、カルト宗教の問題が創価学会に波及しないようあちこち抜け道の作ったザル法になりかねないと懸念されている。 集団的自衛権から共謀罪、秘密保護法などを強行採決した自民党による数の暴力は終わることがない。 東京オリンピックをめぐる収賄事件が暴露され、自民党による金権腐敗政治は、政治だけがいまだ「昭和」に取り残されている感がしきりである。 ◆  大宅壮一の弟子だった義父の植田康夫のこと さて帝京大学の筒井清忠氏が編集した近著『昭和史講義』(二○二二)を読んで、久しぶりに義父の植田康夫の名前を見出した。 「一九六七年一月大宅は、東京マスコミ塾を開講した。ここではノンフィクション

    *「ある昭和史 --『父の子』である私」(29)|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/12/07
    “義父は六十年安保の際には、よくデモに参加していたとのことだった”
  • *「#現代を読み解く数冊」|Hiroshi Matsuura

    ...「強さ」だけが価値だろうか? 弱肉強の新自由主義が荒れ狂う先進諸国で、「それはいくら儲かるか」だけが唯一の価値のように語られ、その価値観から外れた者は、自己責任として切り捨てられる。 しかし、そもそも弱肉強だけならケダモノの世界と変わりなく、窮状にある人々へ手を差し伸べる者がいなかったら、人類は共いに滅びていただろう。 ◆ 権力が何であろう?財産が何であろう? そんなものは、われわれに必ず訪れる死の際に何の意味もなくなるのに。 人間は、必ず老い、病を得て、最後には死を迎える。病老死苦は万人の宿命であり、誰一人その運命から逃れることはできない。 奪い合えば足りず、分かち合えば余る。 政府の主導する「新しい資主義」は、東インド会社の粗暴な資主義への回帰に過ぎず、人類があまたの錯誤の結果得た英知を何も反映していない。 「カネ儲け」がすべてなく、人生は労苦の連続だけで、生まれてこな

    *「#現代を読み解く数冊」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/11/30
  • *【#教育】「すべての外国人学校の初中等教育を無償化すべきである」|Hiroshi Matsuura

    ... それは、もっと安上がりで大きな外交的効果を生む。 旧民主党時代に始まった高校無償化は、ほとんどの外国人学校を網羅しているが、自民党に変わってから、当時に下村博文文科相が朝鮮学校だけを除外し、拉致問題解決の障害になっている。 ◆ 朝鮮学校の無償化こそ拉致問題解決のカギ 在日朝鮮人の子女に誠実に対応すれば、必ず日朝関係も改善に繋がり、わが国の国際的地位は上がるだろう。 たかだか数十億の予算を惜しみ、世界第3位の経済大国が、子供たちをヒビ割れた校舎に放置することは、日の国辱である。

    *【#教育】「すべての外国人学校の初中等教育を無償化すべきである」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/11/29
    “旧民主党時代に始まった高校無償化は、ほとんどの外国人学校を網羅している”
  • *【#宗教】「世俗の学問は〝神学の婢〟ではなくそれ自体が聖書を理解し信仰を深めることに役立つ」|Hiroshi Matsuura

    ... 例えば、現代人でいるわれわれにとってユダヤ人やムスリムが豚をべない物タブーは不可解だ。 デニス・プレガーの『現代人のためのユダヤ教入門』(ミルトス、1992)では、ユダヤ教の事規定コーシェルに関して、「ユダヤ教は、ユダヤ人にモラルある民であり、聖なる民であることを命じている。 人類は神の似姿として創造されたが、また動物でもある。ユダヤ教は、人間の動物的行為を否定したり侮辱したりする代わりに、律法を通してこれらを聖化する。動物的活動の中でも もっとも頻度の高い、べる行為の品位を高めるために、数多くのミツバ(おきて)を規定している」などとされているが、これでは理由は何もわからないと言っているのに等しい、いい加減な説明である。またこの物禁忌は、一般に考えられているような迷信的教条ではないし、「豚は反すうせず、腐敗した肉もべる。豚が汚れた動物とされる理由の一つ」(新共同訳『聖書

    *【#宗教】「世俗の学問は〝神学の婢〟ではなくそれ自体が聖書を理解し信仰を深めることに役立つ」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/11/17
  • *「ある昭和史 --『父の子』である私」(5)|Hiroshi Matsuura

    … 高校時代に今日まで続く大きな影響を受けた二冊のと出会った。 さて、19世紀末の反ユダヤ主義の高まりの中で濡れ衣を着せられたユダヤ系のアルフレッド・ドレフュス大尉をめぐる事件、ドレフュス事件というものがあった。 陸軍内の調査で冤罪とわかっても、軍中央は体面のためにドレフュスを有罪にし、南米ギアナの悪魔島に流刑にされた。 このドレュフュス事件の調査を命じられ、無罪の報告書を持参したピカール大佐に、参謀部の将軍はこう言い放った。 「君さえ黙っていれば、誰にもわからない … ユダヤ人の一人や二人どうなろうと、君の人生に関係ないだろう」 陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、将来を嘱望され参謀部に抜擢され、陸軍大学で教鞭を執っていたピカール大佐は、上官の言葉に耳を疑った。 「これが、私がこれまで誠心誠意尽くし、陸軍の名誉と思っていた上官の心なのか?」… 失望はやがて怒りに変わり、ピカール大佐

    *「ある昭和史 --『父の子』である私」(5)|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/11/07
    “文学青年は大抵太宰に「やられる」のだが、私は同時に解説に出て来る「日本浪漫派」という言葉に釘付けになった”
  • *【#歴史】「最近流行のユダヤ難民は『ナチスからではなくソ連から逃れた』論はまったくのお笑い草である」|Hiroshi Matsuura

    ① ヨーロッパのユダヤ人がナチスの手から逃れるのは、ピレネー山脈を越えてスペイン・ポルトガルやアフリカ植民地からの航路か、シベリア鉄道を横断して日から米国や上海に逃れるしかなかった。 ② 東欧のユダヤ人にとっては、ナチスとソ連は「前門の虎、後門の狼」であり、歴史の時期時期によって、「ナチスから」とも「ソ連から」逃れたとも言えるが、それは年表を見れば子供でもわかることである。 ③ さて、捕まれば生命の危険のあるナチスとは違い、ソ連当局が迫害の対象としたのは、ブンドなど非ボルシェヴィキ的左翼やソ連邦解体に繋がるシオニストなど特定のカテゴリーである。 ④ 時期的にも対応でも異なる「ナチスから」と「ソ連から」を等価のものとして語るナラティヴは人を欺くものである。 ⑤ 最近、ポーランドやリトアニアは、国会決議までして、杉原千畝を顕彰したり、「ホロコーストに加担していなかった」云々の議論が沸騰してい

    *【#歴史】「最近流行のユダヤ難民は『ナチスからではなくソ連から逃れた』論はまったくのお笑い草である」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/09/21
  • *「#現代を読み解く数冊」|Hiroshi Matsuura

    ... 石郷岡健氏の新刊は、「一次文献を発見しました」式の最近多い素朴な実証史学の一つである。 「イリヤ・アルトマンがソ連最高政治機関がビザ発給を正式に決定していたことを発見した」とあるが、当時のリトアニアは赤軍の占領下にあったのだから、発見しようがしまいが当たり前だ。 アルトマンは、講演で ① 外貨不足のソ連にとって、ユダヤ難民たちがトベリア鉄道の料金を吹っかける格好の相手であったことと、② 難民の中にスパイを仕込もうとしたという二つの仮説を挙げている。 しかし、① すでにシカゴ・マーカンタイル取引所のメラメドが父親から聞いた話としてすでに自伝に書いてあり、目新しいことではなく、② は難民全員をスパイにすることなど不可能なので、スパイの勧誘を受けなかった他のユダヤ難民の救済の理由として説得力がない。 ◆ キリスト教に関して知らな過ぎる 最後のユダヤ人救済に関する「背景にある反西洋主義と宗

    *「#現代を読み解く数冊」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/09/18
  • *「父への旅 – 生き残った特攻隊員の戦後」(16)|Hiroshi Matsuura

    …「今後親に世話にならない」と見栄を切ったものの、四国の山村から大阪という都会に出て来た父は面らった。 予科練から新制高校の最終学年を経て、釣り糸を作るテグス会社の臨時雇いとして学費を稼いでから大学に入学したので、もう二十六歳になっていた。 当時の国立大学は学費が安く、国立大の授業料は 6,000 円、入学料は 400 円程度だったが、初年度納入金のほとんど 1 万円以内であったが、これは当時の会社員の初任給よりやや高かった。 何とか入試と入学費用は用意してきた地が、下宿先を見つけ生活費を捻出するのが一苦労だった。 とにかく、新学期が始まったらすぐに大阪の現住所を大学に知らせなくてはならない。そこで父は無住の神社を見つけ、その高い床の土間に毛布を敷いて寝泊まりして一か月間雑業に就いて何とか下宿先の手付金を捻出した。 下宿は大阪旭区の赤川町にあった。 そして、その下宿のおばさんに「アル

    *「父への旅 – 生き残った特攻隊員の戦後」(16)|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/09/01
    “学生時代に、父はあやうく有名な「牧方事件」(1952年)に巻き込まれるところだった。”枚方事件、このエントリで知った
  • *【#抑圧されたものの回帰】「自民党と統一教会の選挙協力を介した問題点はここである」|Hiroshi Matsuura

    … 周知のように、統一教会は、KCIA の金鍾泌長官が宗教団体を偽装して作った反共謀略機関である。 ①   そして、旧ソ連が存在した冷戦時代には、その賛否はともかく、両者は「反共の同志」として思想的に通底していた。 ②   ところが、冷戦が終わると、元々統一教会に存在した植民地時代にさかのぼる日への強い憎しみが韓国のナショナリズムと共振して来た。 ③   自民党は、統一教会の反日的性質を知っているにもかかわらず、選挙の際の便利なツールとしてコンビニのように利用して来た。 ④   統一協会側からは、霊感商法等の悪いイメージを払拭するために、日のエスタブリッシュメントによる社会的承認を必要とした。 ⑤   互いに胡散臭いと思いつつ、自民党側は選挙の際の集票マシン、統一協会側は社会的信用というウィンウィンの関係があった。 ⑥   ここで見逃されているのは、植民地時代を理由に罪の意識を植え付け

    *【#抑圧されたものの回帰】「自民党と統一教会の選挙協力を介した問題点はここである」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/08/28
    “自民党と統一教会の不純な同盟よって抑圧された日本人信徒とその家族の苦悩が噴出したのが、奈良における”
  • *「高等教育の無償化こそ再び『日本の奇跡』を世界に示すカギである」|Hiroshi Matsuura

    … 資源も料も乏しい小さな島国の日がなぜ欧米の植民地にならず、世界を驚かせる発展を遂げたのか? それは、江戸時代から続く、教育の徹底によるものである。 武士は藩校で、庶民は寺子屋で、初歩的な手習いから始まり、四書五経から算術まで必死に学んだ。 ◆ 伊勢国飯高郡塚村の「寿硯堂」 寛政4年(1792年)に伊勢国飯高郡塚村で開学した寺子屋「寿硯堂」にはたちまち643人もの生徒が集まり、その内165人が女子であった。子守など家の手伝いを任されることが多い女子の就学者数は、決して少ないとは言えない。 山深い僻村の農民の間にさえ、これほどの教育熱があり、農民も町人も、少しでも生活に余裕ができると、子女の教育に惜しみなく家計をつぎ込んだ。 「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん」などと明治政府に言われなくとも、われわれの父祖にはわかりきったことだった。

    *「高等教育の無償化こそ再び『日本の奇跡』を世界に示すカギである」|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/08/24
  • *「父への旅 – 飛べなかった特攻隊員の昭和史」(4)|Hiroshi Matsuura

    父は1944年(昭和19年)3月に旧制宇和島中学を卒業すると、十七歳で松山の予科練航空隊に志願した。 卒業式の後宇和島の写真館で学友たちと撮影した写真(父は中列の右から二番目)では、誰一人にこりともしていない。 写真の裏には進学先が書いてある。 一人松山高等学校がいるが、父以外はすべて陸軍士官学校か海軍兵学校である。 父が予科練を選んだのは、叔父の吉田定男少将が独立第101教育飛行団団長だったからで、大叔父は陸軍航空隊を養成する中心人物の一人だった。 戦時中の日では『航空少年』なる少年向けの雑誌も刊行され、予科練の「七つボタン」は青年たちの憧れの的だった。 1944年(昭和19年)になると、松山や宇和島など愛媛県の主要都市でも米機の空襲が始まり、父の故郷の三間村でも終戦までに345人の若者たちが戦死したと『三間町誌』は伝えている。 もちろん三間は山村なので空襲はなかったが、この戦没者は、

    *「父への旅 – 飛べなかった特攻隊員の昭和史」(4)|Hiroshi Matsuura
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    kiku72 2022/08/12