イエスがパンを浸し与える人物が自分を裏切るとし、そのパンをイスカリオテのユダに与えた」 … ヨハネ福音書は、そのとき「悪魔が彼の内に入った」の述べる。 この唐突な悪魔への言及は、ユダが会計係として不正を行った云々の通俗的説明と整合しない。ユダは、仮にもイエスが十二人の弟子として選ぶほど深い信仰を持っており、イエスを愛していたからこそつき従ったのだ。 ここでわれわれは、イエスを十字架につけたもう一つ別の説明が想起される。それは、マルコ福音書が「祭司長たちのねたみ」が原因だったという説明である。 そうであるならば、ユダの「悪魔」と祭司長たちの〈ねたみ〉が別物であるはずがない。 マルコによる福音書は、また有名な「ゲラサの悪魔憑き」のエピソードについて言及している。 悪霊に取り憑かれた男に、イエスは「名は何というのか」と尋ねる。それに対して、男は「名はレギオン。大勢だから」と応えている。新共同訳の
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