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*「父への旅 – 生き残った特攻隊員の戦後」(16)|Hiroshi Matsuura
…「今後親に世話にならない」と見栄を切ったものの、四国の山村から大阪という都会に出て来た父は面食ら... …「今後親に世話にならない」と見栄を切ったものの、四国の山村から大阪という都会に出て来た父は面食らった。 予科練から新制高校の最終学年を経て、釣り糸を作るテグス会社の臨時雇いとして学費を稼いでから大学に入学したので、もう二十六歳になっていた。 当時の国立大学は学費が安く、国立大の授業料は 6,000 円、入学料は 400 円程度だったが、初年度納入金のほとんど 1 万円以内であったが、これは当時の会社員の初任給よりやや高かった。 何とか入試と入学費用は用意してきた地が、下宿先を見つけ生活費を捻出するのが一苦労だった。 とにかく、新学期が始まったらすぐに大阪の現住所を大学に知らせなくてはならない。そこで父は無住の神社を見つけ、その高い床の土間に毛布を敷いて寝泊まりして一か月間雑業に就いて何とか下宿先の手付金を捻出した。 下宿は大阪旭区の赤川町にあった。 そして、その下宿のおばさんに「アル
2022/09/01 リンク