親鸞聖人に関するkikuutanのブックマーク (23)

  • こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【精進(1)】 新型コロナウィルスで経済は冷え込み、 中でも旅行業、飲業など壊滅的な打撃を被り、 私の友人のセミナー講師も軒並みキャンセルで、 何もできず、家にいるとのこと、 オリンピックを目指していたアスリートや 開幕を目指して調整していたプロ野球選手なども、 いつ頃終息するかもわからぬ状態に、モチベーションを保つことが難しいようです。 収益も上がらず、仕事もできない、練習もままならない、 こういった不遇な環境に取り残されていくような不安を覚えたり、 投げやりになったり、周りに当たり散らしたり、絶望したり、 となっていくものです。 しかし一方で「窮すれば転ず。転ずれば通ず」。 こんな事態から始まった窮余の策からイノベーションが起きるのも世の常で、 願わくばこの未曽有の逆境をかけがえのないものと転じていきたいものです。 自由にできない不遇な環境にあって己を磨いて、 後に羽ばたくきっかけと

    こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 号外:近況を語ります - 親鸞に学ぶ幸福論

    いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。 励ましや感想のメッセージ、いつも感謝しております。 すみません、今日はちょっと近況を語らせていただきますね。 どうしたら仏教の教え、親鸞聖人の説かれたことを少しでも届けることはできるか、と こうしてブログを続けてまいりましたが、 みなさんからいただく質問をも多くなってきて、 ていねいにお答えできないのが心苦しいのに加え、 自分の年齢を考えても50歳を過ぎ、時間も限られているように感じるようになり、 いろいろ考えた結果、よく受ける質問を動画でお答えしようと思うにいたりました。 そこで4年前に続き、第二の山ごもりに入りました。 (山ごもりといっても、自宅にこもるという意味ですが) ある程度基礎を学ばれた上でのご質問は別途、お答えする場を設けたいと思いますが、 まずは初めて仏教に触れる方でも分かっていただけそうな動画は 『YouTube仏教に

    号外:近況を語ります - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 真の仏教の師に巡り遇うことの難しさ - 親鸞に学ぶ幸福論

    【善知識(1)】 「どんな人でも確実に儲かる」との謳い文句のビジネス情報商材を十数万円で購入し、 その通りやってみたものの、まったく収益が上がらない、という話をよく聞きます。 この件に関しては、わたしもインターネットで仏法を伝えようと勉強している経験上からも言いたいのですが、 まず大事なことは「容易にはネット上の威勢のいい宣伝文句に躍らされない」ことです。 ネットや投資の素人にとって成功した経験者のアドバイスは魅力的ですが、 当に成功している人かどうか、確認された方がいいです。 「こんな暮らしができるようになりました」とアピールする自称・成功者の中で、 その実態は中学生のお小遣いにも満たない金額しか稼げていない、というのが相当あります。 それでいてそんな人が高額なサービスを売りつけようとしているのは、滑稽なほどです。 ところがこういった人様から大事なお金をもらってビジネスをする資格がない

    真の仏教の師に巡り遇うことの難しさ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 将来の進路を早く決めてしまうことの危うさを思う - 親鸞に学ぶ幸福論

    人生の目的(2)】 「将来何を目指すの?」との問いに 中学生、高校生ではっきり返答する子があれば しっかりしてると感心されます。 大学生だとその返答に加えて、 「そのために今これをしています」と語れば、 有望だと評価されます。 一方「いえ、まだわからないんです」「考え中です」と答えると、 自立できていない、たよりない人と思われます。 そんな世の風潮にあおられ 早く将来の夢を持って、そのために今から走り出さなきゃ格好悪い、 と焦る人も多くあります。 ところが果たして将来の進路を早く決めるのがよいことなのか、 ちょっと考えさせられたメッセージがありますので、ご紹介します。 1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進教授は、 学生に「研究をするな」とよく言うそうです。 ちなみにたいていの教授は「早く研究テーマを決めて研究を始めなさい」と学生を急かします。 なぜ利根川教授は学生が早く研

    将来の進路を早く決めてしまうことの危うさを思う - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 学問と勉強との違いを解説する - 親鸞に学ぶ幸福論

    人生の目的(1)】 「勉強」と「学問」の違いをお話しします。 明治時代、かの福沢諭吉は『学問ノススメ』で 「大いに学問をしなさい」と世の人たちに呼びかけましたが、 私の場合、「勉強しなさい」とは親や教師によく言われましたが、 「学問をしなさい」とは言われてこなかったように思います。 さて、勉強と学問は、どこがどう違うのでしょうか。 まず『勉強』ですが、これは「強いて勉める」と読みます。 強制的 の「強(きょう)」、強引 の「強(ごう)」、無理強い の「強い(じい)」で、 何かやらされている感のある響きですね。 かたや、『学問』は「問い学ぶ」と書きます。 まず【問い】“?”がある。 「なぜりんごは地面に落ちるのに、月は落ちて来ないのか?」 ニュートンはこの問いから万有引力の法則を発見したといいますが、 そもそもそういうことに疑問を持つことができるのが、非凡なところなのでしょう。 その問いの

    学問と勉強との違いを解説する - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 正義はときに無神経で残酷な事態を引き起こす - 親鸞に学ぶ幸福論

    【正邪(1)】 日最初の憲法『十七条憲法』には、 聖徳太子が国の柱にしようとした仏教の精神が息づいています。 『我、必ず聖にあらず。彼、必ず愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ』 “私が必ずしも正しいとはいえない。彼が必ず間違っているともいえない。ともに間違いだらけの人間のやることだから” この一節は人間関係において大事な心得でありますし、 中でも権力を持つ政治家は肝に銘じなければならない言葉です。 自分が「正」「聖」と思い込むと、 反対意見を言う者は、絶対許せない「邪」「愚」と映ります。 権力を持つ者なら、その「邪」や「愚」は排除しようとかかります。 しかもその排除する自己の行為を正義だと思い込んでいるので、 相手の意や人権などお構いなし、で問答無用の処置となります。 一例を挙げます。 中世ヨーロッパ最大の汚点とされるのが、通称「魔女狩り」といわれる「異端裁判」です。 魔女の嫌疑を受けた女性

    正義はときに無神経で残酷な事態を引き起こす - 親鸞に学ぶ幸福論
  • さるべき縁がきたら何でもしてしまう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【さるべき業縁の(1)】 アメリカの大学で自殺未遂の経験を持つ60人の学生に、 「なぜ自殺しようと思ったか」理由を尋ねたところ、 85%が「人生が無意味に思えたから」と答えました。 自殺者や未遂者があると、周りの人は、その原因を、 家庭不和だとか、病気だとか、いじめだとか、 何らかのわかりやすい動機を特定しがちですが、 少なくとも自ら死を選ぶ人はそんな明確な理由では片付けられないものだと思っており、 最もしっくりする動機があるとしたら 「人生が無意味に思えたから」だというのです。 しかも生きる意味なんてないと感じているこの学生たちの大半は 成績もよく、家族との関係も良好でした。 冷たい家庭に育ったわけでもなく、 クラスに友人がいないわけでもない、 どこにでもいる一般の学生だったのです。 周りは「こんな人だったから自殺したんだ」と、自殺をする人の特徴も分類したがります。 「自分は、自分の子

    さるべき縁がきたら何でもしてしまう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 相手の立場に立つ「布施」の精神がどんなに大切か | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 心と口・身体の関係は川の上流と下流 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【意業(3)】 前回、前々回と仏教は心を重視するという話を続けています。 今日はその3回目です。 「心で何を思っていようが、自制して口が体に表さなければいいじゃないか」 という意見もあります。 確かに心で考えていることは言葉や行動に移さなければ 誰にも知られることはありませんし、 迷惑もかけることもないのだから、 そんなに問題視しなくていいと思いがちです。 しかし問題は「思っていることを口にしなければ、行動に移さなければ」という条件が付き、 これがなかなかできないのです。 心で何を思っているか、その人の言動にどうしても現れてしまうのです。 「目は口ほどに物を言う」とのことわざもあるように、特に目はその人の心が表れます。 窓が開いていて他人の家の中の様子が見えてしまうことがありますが、 まさに「目は心の窓」で、目を見るとその人の心の中が見えてしまうことがあります。 今気分を害したな、とか、苦

    心と口・身体の関係は川の上流と下流 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • アウシュビッツで人間が見せた精神力に感服 - 親鸞に学ぶ幸福論

    人生の目的(2)】 人間は生きる明かり、希望をなくしては生きてはいかないことを 前回のメルマガでは、さまざまな例を引いてお話ししました。 今回は、明かりや希望など許されぬ極限状態であってもそれは同じであることをお話しします。 ナチスのアウシュビッツ収容所でも明りを見つけて懸命に生きる姿が 心理学者のフランクルがアウシュビッツ収容所での体験記を記した『夜と霧』に書かれています。 それは以前ブログでも紹介しました。 http://kikuutan.hatenablog.com/entry/010712ausyu このエピソードは、人間がいかに『希望』を生きる力としているかを示しています。 では終わりの見えない収容所で、フランクル自身はどうして生き残ることができたのか、 彼の明かりは何だったのか、これが実に興味深いものでした。 それは彼自身が「トリックを弄した」と書いているように、 想像力とい

    アウシュビッツで人間が見せた精神力に感服 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 井上靖が感嘆した親鸞聖人の観無量寿経註 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【教行信証(1)】 お釈迦さまの説かれたことがお弟子の手によって書き残されたのがお経です。 その一切を「一切経」といい、その数は七千余巻に上る膨大なものです。 その七千巻の中でも、親鸞聖人が特に重視されたお経が 「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三つであり、 これを「浄土三部経」といいます。 親鸞聖人は浄土三部経を何度も読み込まれ、 そこで説かれているお釈迦様の真意を私たちでも受け取れるよう、 わかりやすく書き著わされました。 それが聖人の主著『教行信証』全六巻です。 『教行信証』をどのページでもいいですが、 開いてまず目に引くのは、膨大な経典や注釈書からの引用です。 親鸞聖人はご自身のなされた解釈の後に、 それを裏づける経典、またインド・中国・日の高僧方の著作を 縦横無尽に引用され、根拠として示しておられます。 親鸞聖人が教行信証を著されるに当たって、 どれだけ膨大な経典や注釈

    井上靖が感嘆した親鸞聖人の観無量寿経註 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 知識社会で本当に大事な情報は実はただ一つだけ | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 今回は情報社会・知識社会の落とし穴についていろいろ語っていきます。 そしてこの限られた人生で、これだけはどうしても知っておかなければならない情報・知識とは何か、お話ししてまいります。 情報は何でも知っておけばいいというものではない 私はブログやメルマガで自分のメールアドレスをさらしているので、毎日迷惑メールが届きます。 「必見!一日わずか30分で毎月30万円以上を~」「はじめまして瑠璃です☆実は今~」 こんなのは読みもせず、メールのゴミ箱に直行ですが、解除しても処理してもあとからあとから・・・・・・。 全

    知識社会で本当に大事な情報は実はただ一つだけ | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • 人生の〆切りを自覚する - 親鸞に学ぶ幸福論

    【無常(1)】 京大教授の佐藤卓己氏は、卒論を書く学生に対して、 毎年、次のような言葉を語りかけるそうです。 「あと数ヵ月で〆切があることの幸せを君たちはかみしめることになる。 もし〆切がなかったら、 こんなに一生懸命に調べなかったし、 これほど執筆に熱中できなかった、と。 卒論の最大の収穫は〆切がある幸せを体験することです」 仕事でも〆切りはあります。 「今月一杯」なら、ではそのためにどんな段取りを組むか、 計画性を持って事に臨みます。 社会で仕事に携わる以上、与えられた業務の期限を念頭に置いて、 残業したり、人手を増やしたり、あの手この手と考えます。 〆切がなければ、だらだらと気の抜けた日々になるでしょう。 料理も、材に賞味期限があるからこそ発達したといえます。 すぐ腐ってしまう生肉や野菜や果実をどう保存するか、その人間の工夫努力が 肉の燻製、魚の干物、酢を使ったピクルスや押し寿司、

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  • 「親鸞には弟子は一人もいない」となぜ親鸞聖人は言われたのか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【親鸞は弟子一人も持たず(1)】 「親鸞は弟子一人も持たず候」 “親鸞には一人の弟子もない” この一節は、歎異抄に記された親鸞聖人のお言葉です。 八百年後の今日なお多くの人から尊敬される親鸞聖人に、 当時、心より信じていたお弟子がなかったとは考えられません。 事実、数々の史料、文献からも、親鸞聖人に親しく教えを受けてた数多くの門弟の名が記されています。 特に真仏房、性信房、唯円房など「関東の二十四輩」は、幅広い活躍で知られています。 これらのお弟子たちは皆「私の師はこの方において他はない」と、 親鸞聖人に深い尊敬の念を持っていたことでしょう。 ではなぜ親鸞聖人は「一人の弟子もいない」と宣言されたのでしょうか。 聖人のこのお言葉は、決して歴史的事実を言われたものではなく、 自らを慕い、集う人たちを、決して自分の弟子だとは思っておられなかったことの告白なのです。 どうして聖人は自分の弟子だとは

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  • 金剛心とはどんな意味か、私たちは金剛心になれるのか | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 金剛心とはダイヤモンドのような心 仏教に『金剛心』という言葉があります。 “金剛石のような心”という意味です。 金剛石とはダイヤモンドのことです。 ダイヤモンドはこの地球上でもっとも硬い鉱物です。 硬いので、傷がつきません。 ガラス玉とダイヤの違いは時間が経つと歴然でガラス玉は表面が傷がつき、くすんできますが、ダイヤはいつまでも傷がつきません。 奥葉でかじっても傷一つつけられません。 むしろ歯が欠けてしまいます。 ダイヤモンドを「永久(とわ)の輝き」と呼び、婚約指輪としてプレゼントされるようになったのも、

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  • なぜ親鸞聖人は「権力者に近づくな」と言われたのか | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 道俗を差別しない教えが仏教だと説かれた親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【道俗(1)】 「道俗」という言葉があります。 「道」とは僧侶のことで、出家の人、ともいいます。 家庭を持たず、肉もべず、仏教の戒律を守り、仏道修行に打ち込む人のことです。 「俗」とは俗人のことで、在家の人、ともいいます。 家庭を持ち、肉もべる一般の生活を送る人です。 その昔、天台や真言の僧徒たちは、 「道」と「俗」の違いは厳密に定義し、その違いが強調しました。 天台宗の比叡山や真言宗の高野山などが長らく女人禁制で猟漁りが禁じられていたのは 戒律を守る僧侶、いわゆる「道」が、修行し、生活する山であったからです。 そこは俗人が足を踏み入れてはならないところでした。 俗人が修行の山に入る時には、 出家得度の式で髪を剃り、 世俗の名前を捨て、僧侶とならねばなりませんでした。 そうして仏の道に入った僧侶でも、 もし戒律を破り、俗人のふるまいをしたら、 修行の山からは破門され、 「破戒僧」「堕落

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  • 歎異抄に魅せられた司馬遼太郎とハイデガー | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教書の中で最も多くの人に読まれてきたのが『歎異抄』です。 その流れるような文章の美しさから『徒然草』『方丈記』と並び、「日三大古典」に数えられます。 美しい文章である以上に、その衝撃的な内容、哲学的な深遠さは、読む人を魅了してやみません。 ここで歎異抄に魅了されている知識人の声を二、三、紹介しましょう。 歎異抄に魅了された人々 その一人が国民的歴史作家、司馬遼太郎氏です。 歎異抄について、かって氏が講演で述べている箇所がありました。 私は兵隊に行くときにショックを受けました。 まず何のために死ぬのかと

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  • ピンピンコロリがいいという高齢者と若者の自殺 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 平成の30年間における自殺者推移は、 バブル崩壊で会社の倒産、リストラが相次いだ一時期と比べると、やや減少傾向にあります。 しかしこと青少年の自殺者に限ってデータを取れば、年々右肩上がりです。 今日の日の死因のトップ3は、悪性腫瘍(がん)と心疾患と脳疾患ですが、 10代、20代、30代に限って言えば、死因のトップは自殺です。 40代になるとトップこそ悪性腫瘍(がん)ですが、2位は自殺です。 青少年の自殺は日の抱える大きな社会問題なのです。 若者の自殺ほど悲惨なものはありません。 「これからだというのにどうして...」と周りの人を苦悶の底にたたき落とします。 知人が「子供が親より先に死んではダメだよ」と言っていました。 子供を亡くして親が喪主となる葬儀に参列し、強く思ったそうです。 親族の悲しみ、とりわけ親のそれは痛々しいほどで、 その場に居るのもいたたまれなくな

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  • 為政者(権力者)の力を借りて仏法を広めようとするな、といわれた親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【為政者(1)】 米中覇権争いが宇宙、貿易、通信、資源、海洋等で勃発しています。 アメリカには、あの自国優先主義、力による横暴、 トランプ大統領自身に垣間見える人種差別意識など 好きになれない点が多々ありますが、 それ以上に今の中国に警戒してしまうのは、 反対意見を許さぬ、あの政治体制と、人権を軽視した思想です。 習近平主席や共産党を批判したり、茶化したりするのを一切許さず、 SNSでそういう発言をしようものならすぐに削除され、 発言した者は目をつけられ、拘束、逮捕され、死刑もあり得ます。 しかもそういう都合の悪いニュースはまったく報道されないあの陰湿さは、 世界の次世代リーダーにするにはまったくふさわしくないものです。 トランプ大統領はスキャンダルを暴かれ、マスコミに叩かれ、 安倍首相も疑惑をマスコミや野党に追及されますが、 ああいうことが言えなくなれば、民主主義は崩壊です。 こんな火急

    為政者(権力者)の力を借りて仏法を広めようとするな、といわれた親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論