社交的な人の中身があなたが思うような「社交的な人」そのままとは限らない。 とんでもないコンプレックスを抱えながら演じてる場合も少なからずある。 1人称が「僕」というのをやめてみたら? 過剰な自己愛が見えて気持ち悪い。
一番の問題は相手がお客さまという意識が欠落していること。でも、それは相手が職場の上司や先輩の場合でも同じ。 伊藤博之(ジャーナリスト)=文 宇佐見利明=撮影 昨年4月、保険会社で研修の仕事に携わり始めて5年目の遠藤美子さん(仮名)は、毎年恒例の新入社員の合宿研修を主催者として仕切っていた。いよいよ明日は3泊4日の最終日。新人のお尻を叩きながら、過密なカリキュラムをなんとかこなしてきたこともあって、「これで無事終わりそうだわ」と遠藤さんは一人満足感にひたっていた。しかし、新人男性の発した次の一言で、そのささやかな安らぎは脆くも打ち砕かれてしまう。 「今晩、大学時代の親友のライブがあるので行っていいですか。終電までには必ず戻ってきます。夕方6時以降は講義が組まれていませんよね。僕一人くらい外出したって誰にも迷惑をかけるわけじゃないし、構いませんよね」 遠藤さんは耳を疑った。これまで合宿研修の
なんかさ、「萌える」対象は、人間の形をしていなくたっていいと思うんだ。いやそりゃ普通だ。獣人・非人萌えとかな。 つーか、俺らと意思疎通を図れる可能性のある存在じゃなくてもいいと思うんだ。つっても既に廃工場萌えとか道路標識萌えってのはもあるんだっけ?フェティシズムの派生? いや、もっとこう、なんだ、「水分子一個の性質を研究するには量子力学みたいな分野になるのかな、でも水分子が大量に集まっただけで、流体力学っていう別の分野が待ってるよね」萌えとか。 すみませんでした。 追記あーなんかブクマ増えてるけど、違うんだ。モノなんて簡単に擬人化できちまう。すでに名前がついている科学/化学現象も、擬人化する絵師様は居る。どっかでクォーク萌えとか見たぜ。 違うんだ。 上の例でも、別に「量子力学萌え」とか「流体力学萌え」と言いたいわけじゃなくて、「同じモノを見てるはずなのに、量によって全く別モノになっちまうん
軽くつっこみを入れるだけなのに、なんか凝った言い回しになって長くなる。面白がってくれる人もいてるけど…本を読むのが好きな人とかぐらい いや、元増田は「面白い(ことに価値を感じる)人」なんだと思うよ。そして多くの人は「楽しい(ことが大好きな)人」なんだよ。この二つの言葉の定義はまったく俺基準なのを断っておくけど。 「面白い」と「楽しい」は両方「笑い」が発生するからすごく良く似てるんだけど、実は全然違う。対極にあると言ってもいいくらい。 そして世間では「楽しい」の方に所属してる人がほとんどなんだ。だから元増田はコミュニケーションが出来ないのではなく、種類が違う人の中に取り残されてるだけ。英語しかしゃべらない奴らの中に日本語しかしゃべらない自分が取り残されてるようなもんだ。 「面白い」属性か「楽しい」属性かを検査する装置としては、「変なもの、変なこと」に出会ったとき(あいまいだけどね)に「うわ、
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