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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (9)

  • 「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記

    NHKスペシャル「仕事と子育て 女のサバイバル 2013」という番組の中で、宇野常寛氏が「核家族でこどもを育てるなんて無理ゲー。超裏ワザとか使わないと攻略不可能。それを今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」と発言していて、「そうそう!」と思った。 よく少子化の原因について、「女性の社会進出が進んで、選択肢が増えたから」という言い方がなされることが多いけど、それはちょっとどうなんだと思う。実際は、「今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」からなんだよね。 例えば、今までは奴隷制によって社会システムを維持してきたのが、それがうまくいかなくなったからって、「奴隷が解放されたことによって、社会の生産性が低下したんだ」と言うのは、それはあまりにも元奴隷層に対してデリカシーがないんじゃ

    「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記
    kimihito
    kimihito 2013/05/20
    「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記
  • 感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記

    感情表現について (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2011/08/10_0940.php だから、他人の内面をダイレクトに操作しようと願う人間−つまり、「政治的な人間」−は、演技的な怒りや演技的な悲しみや演劇的な苦悩に熟達するようになる。 政治家が「過剰に感情的になっている」ように見えるのは、当たり前なのである。 橋下大阪府知事や石原都知事は怒りを剥き出しにすることでメディアの注目を集め続けているが、これは計算ずくのパフォーマンスだろうと思う。 (中略) 二昔前ではまず見ることのなかった、「いい年をした大人が怒声をあげる、泣く、ふて腐れる」という様子を私たちはもう見慣れてきている。 これはたぶん「無理に我慢しないで、感情は爆発させた方がいい」というフェミニストたちがうるさく説いた「専門的」勧告の一つの成果でもあるのだろう。 これはかなり誤解を招く表現なの

    感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記
    kimihito
    kimihito 2013/03/31
    感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記
  • 「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記

    少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter 「ベビーカーで電車の乗るな」という傲慢さ!それなら他人が産んだ子に将来の年金や社会福祉の負担を押しつけるな  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス どちらの記事についても、「言い方が悪い」「書き方が不快」「憎悪に満ちている」などのブコメがついているが、ああこれは典型的な差別あるあるだな、と思った。まずそもそも、マジョリティのマイノリティに対する抑圧があるせいで、マイノリティが不快な思いをさせられたり苦痛に耐えたりしてきて、マジョリティに対する「配慮」を強いられ続けてきたにも関わらず、そこをすっ飛ばして、「俺らを悪く言う被害を感じる」とは、典型的な差別あるあるだ。こういった差別あるある的態度を取る人は、これまで自分たちがマイノリティにしてきたことを丸ごと無視して、今現在、

    「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
  • ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記

    .@nucco 例えば、子どもが、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んでいると安心するけれど、DSの画面を見つめてひたすら黙っているという場面を見ると、なんか不安になるというのは、見守る側の大人の素朴な感情としては、どうしてもあると思うんですよ。そこをどうしたらいいんだろう、というか。 http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-216.html たぶん、このDSで遊んでいる子供に対する不安感というのは、一見して何をしているのかわからないという不安感なのだろう。缶蹴りや鬼ごっこなら、子供がどういうルールや世界観の下で、何を考えながら行動しているのかが一見してわかる。しかし、これがゲーム機だと、そういった世界観や思考というものは、画面の中と子供の脳内に存在しているものであり、一見して何をしているのかがわからない。もっとも、この手のゲーム機で遊んだ経験のある最近の親なら

    ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記
  • 他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記

    私の母は、私が目上の人と話したり、親戚の集まりで何かと気を回さなければならない場合、細かくダメ出しする人だった。なので私は、プレッシャーがかかるような人付き合いはとにかく苦手になった。「目上の人相手や、人が集まる場では、母のように礼儀正しく気を配って接しなければならない」と思う一方で、「私にはそんなことできない。私は人と上手く付き合えないんだ」と劣等感を抱えるようになった。 なので私は、母と私と目上の人、という取り合わせで話す場合、最初の挨拶と最後の挨拶だけして、あとはなるべく母に喋らせて、私は喋らないようにするという戦術を編み出した。何か言うとダメ出しされたので、これが一番後でダメ出しされない方法だった。 そんなわけで、私は母と一緒にいる時にお隣さんに会った時も、なるべく母に喋らせて自分はできるだけ喋らない、という戦法を取っていた。 ある日、たまたま私とお隣さんと二人きりで話す機会があっ

    他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

    自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記
    kimihito
    kimihito 2011/09/03
    自分の行動に思いあたる節があるわ。
  • 数学劣等生だった私 - yuhka-unoの日記

    大学でアルファベットを教えて何が悪い - bluelines http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110219/1298093855 日の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 (中略) これは学力低下の話ではない。高校卒業時点で小学校で学んだことが覚束ない学生なんて、これまでだって腐るほどいたんだ。そういう層にももう一度学び直せる機会が与えられるようになってきたということに過ぎない。これはどう考えても社会の成熟であり、今後の日には必ず必要になるシステムであり、その為のコストは老人の生涯学習なんかよ

    数学劣等生だった私 - yuhka-unoの日記
    kimihito
    kimihito 2011/02/24
    なぜなに坊やは強い
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