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「韓国は中国の一部」 習近平発言は袁世凱流の中華主義 中国の習近平国家主席が、今月6日から7日にかけて米国のトランプ大統領と首脳会談を行った際「韓国は実際中国の一部だった」と発言していたと伝えられたことで、中国の韓国観に関心が集まっている。習主席が語ったといわれる発言の内容は、個人的な見解ではなく、韓中関係史に対する中国学界および中国国民の一般的な認識を反映している。 中国の歴史学界は、韓国が韓民族形成の二つの柱としている北方のワイ貊(ワイパク。ワイはさんずいに歳)族と南方の韓族のうち、韓族だけが韓国史の領域だと見なしている。高句麗・扶余・渤海などワイ貊族やその子孫が建てた国々は、中国の地方政権だという。こうした認識によると、満州はもちろん大同江以北も、高麗時代以前は中国の領土ということになる。中国からやって来た箕子が平壌に古朝鮮を建国して周の諸侯国となって以降、漢は楽浪郡・帯方郡、唐は安
【コラム】韓国の「中国傾斜」、日本の批判は正しかった ソウル・明洞で寂しく響く中国語の呼び込み 中国人が姿を消した明洞は今日の韓国の自画像 ▲鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員 一昨日の午後、取材を兼ねてソウル市中心部の繁華街・明洞に行ってみた。中国人観光客が一気に見られなくなったと聞き、実際のところどんな様子なのか気にはなっていた。見たところ予想以上に人通りは多かったが、店はあまり繁盛しているようには見えなかった。それからしばらく歩いていると、かつての明洞とは明らかに違っていることだけは改めて感じた。行きつけの飲食店でチゲを注文したが、この店も数年前からどこか味が変わっていた。かつては日本人、その後は中国人観光客の好みに合わせるため、店本来の味を変えていたのだ。化粧品店の店員が客を呼び込もうと叫ぶ中国語もどこかもの悲しく聞こえた。 もちろんこれらの変化は店の責任ではない。かつてはソウルでの
風水で朝鮮の「気」断とうとした? 日本の鉄杭、もう一つの真実 「明史」によると、李如松は1593年1月に平壌城を奪還した。しかし「碧蹄館の戦い」(現・京畿道)で敗れて平壌に後退し、同年の9月に帰国する。一方、「朝鮮王朝実録」は李如松が1593年5月に聞慶(現・慶尚北道)まで下り、9月に帰国したと記録している(李如松自身が出征したのではなく、その指揮下の部隊が聞慶まで行った可能性もある)。確実なのは、李如松が朝鮮に滞在したのは1年にもならない短い期間だったという点だ。李如松に対する朝鮮朝廷の態度はどうだったのだろうか。彼は朝鮮を再建させた「再造朝鮮」の恩人だった。さらに、平壌に生祠堂(善政をたたえて本人が生きている間に建てる「ほこら」)を建てて祭り、朝鮮が滅亡するまでその子孫を世話した(李如松は朝鮮で「琴」という姓を持つ女性との間に子孫を残した)。その李如松が朝鮮の地脈を断ち切ったというのだ
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