坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第8回の書き手は、『〈無調〉の誕生: ドミナントなき時代の音楽のゆくえ』(2020年、音楽之友社)の著者で、ジョン・ケージの名著『サイレンス』(1996年、水声社)の翻訳でも知られる音楽学者の柿沼敏江。「坂本龍一が高橋悠治から受け取ったもの」をテーマに、現代音楽との関わりから坂本龍一の音楽を見つめた。 坂本龍一のジャンルを超えた多彩な活動のなかに折り重なって見えてくるのは、一人の人物とその周辺の音楽家たちである。 坂本は小学校5年の頃に、母に連れられて草月会館にコンサートを聴きに行き、大きな感銘を受けたと述べている。コンサートが終わると彼はその音楽家のファンになっていた(※1)。17歳のあるとき、父親の知人を介して一人でその人に会いに行った。そしてその人は、坂本がいちばん尊
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