No.l8のDASSさんのコメント、またしてもポイントを突かれちゃいましたね。大切な部分です。 こんどは "=" についての考察でしょう。 x=y とは何を言っているのか。これは実は「一階述語論理」の範疇を少し越えているのです。つまり "="の公理というのはちょっくら胡散臭い。それはこういうものです。 「xを含みyを含まない任意の命題A(x)において、xをすべてyに書き換えて得られる命題をA(y)とするとき、x = y とは どんなAを持ってきても、A(x)が成り立つこととA(y)が成り立つ事が同値である(一方が真なら他方も真、一方が偽なら他方も偽である。)ということを表す。」 つまり、どんなAについても、xとyは同じ性質を示すということを言っているわけです。その帰結として「=の反射則」 x = x 任意の対象xはそれ自身と = で結ばれる、ということ、「=の交換則」 x = y ならば
なぜ日報を書くのか ※この文章は「日報を書くの良いですよ!」という事を進める文章ではないです。 あくまでも自分がScrapboxで外部向けの日記を書いたり、社内のドキュメントツールで日報を書いていく内に思いついた考えを一旦まとめたくて書いています。 元々は社内向けで書いていたので…
リストカット (手首自傷症候群) wrist-cutting syndrome Ver 1.0 1999/10/18 これは自分を傷つける自傷行為の中でも、特に刃物で手首を切る行為のことを言います。1960年代にアメリカで大流行し、それが世界的に拡がってゆきました。リストカットに付随する症状としては、神経症、摂食障害、薬物依存、引きこもり、性的逸脱、鬱病、などがありますが、境界例と診断されるケースが多いようです。類似の自傷行為として分裂病の末期症状によるものなどがありますが、これは幻覚や妄想によって引き起こされるもので、自傷内容としては非常に凄惨で残酷なものが多く見られます。 リストカットは主に十代から二十代の若者に多く見られ、中でも特に未婚の女性に多く見られます。傷のほとんどは手首の内側で、1〜3回試みた傷が多いようです。手首の他には、腕、足、顔、腹部などを切ることもあります。リス
blog面白いなぁ。というか俺の知り合いどいつもこいつも面白い&賢い奴ばっかだなー。皆深いね。 やー、知り合いのサイト読んでたら気がつけば4時半ですよ。こうなっちゃうから見るのよしてんだよなー。 みんな深いこと考えてますね。年相応っていうのかな。ついつい自分と比べて自分の子供っぽさ(ほら、こんなこと書くこと自体アレだしね)に辟易してしまいますね。 人と比べるからつらくなる。自分の道を見ていけば良いとおっしゃる人もいますが現実問題として人と比べられ、競争の道を進まなくてはなりませんからね。 まぁ、そうだから自分ができること(ニュースサイト)を選択してるんですが。 こないだ知り合いから「就活で言えること以外はしないほうがいい。この一年をどう過ごすかによって就活が大きく変わる。」と言われて、ああそうだなぁと思わず思いました。と、いうのも今までも、振り返ってみれば過去のうちにやっておきたかったこと
そんでバタフライ・エフェクトっていう言葉の意味を少し説明しておきますと、「蝶が羽ばたくと地球の裏側で竜巻が起こる」っていう感じでカオス理論を説明する言葉で、ほんのちょっとのつまずきが後に重大な結果に結びつくとかそういうの。わけわかんないけどなんとなくわかるでしょう。わかってくださいよたのむから。 おれはおまえのパパじゃないより 端的に説明すると 「風が吹けば桶屋が儲かる」 って類のやつです。 この「バタフライ効果」。私の生き方に影響を与えた理論なので補足。(笑) これは最初、気象学の研究者がコンピューターである現象についてシミュレーションをしていたときに発見したものなんですね。 その前に科学者の計算の仕方についてちょっと。 物理や化学を学んだ方はよくご存知だと思いますが、科学者は普通、物理定数とか物量の測定値を計算式に放り込むとき、用途に合わせて○桁以下四捨五入した「有効数字」というものを
責任を誰かに転嫁しなくてはならなくなるわけで、私はそういうのが心底、嫌なのだなあと思った。誰かに譲ってもらうのが苦手だ。当たり前の顔をして好意を甘受できるような図々しさが欲しい。こういうくだらないことでひねくれている自分がみっともないと思うが、この性分が直らないのはどういうことだろう。この頑なさは損だと思う。 頭ではわかっているがどうしてもそうしてしまうことの一つである。 身に起きた、現象の根拠を考える。これがこうなっていくことに何らかの意味を求める。理由などないことはたくさんあるにも関わらず、理由を見つけて納得しようとする。納得できないあやふやなものが怖いのだ。自分の感情や考えに関してだけであるが、自分が自分でないかのような感覚が怖い。自らの行動には意味がある、と考える。もし、その行動の理由がくだらなかったらどうしようと怯える。くだらなくったってどうでもいい話なのに。 自分で選択しないこ
<冒頭にもあります通り、これを書いている際に私は非常に苛々と気持ちが高ぶっており、 大変にたくさんの失礼な言葉の使い方がありました。 注意してくださった方々に感謝と、謝罪を申し上げます。 言葉がいかに大きな力を有するか、 さらにネット、ブログなるものがいかに大きな情報源となりつつあるか、 そういったことをきちんと理解できていなかった、私の無知の固まりです。 読んで気分を害された方々には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今後はエンタテイメント性に溢れた楽しい記事を掲載していきます。 どうぞ今後とも目を通していただけたら幸いです。 本当に伝えたかった点のみ残し、なんの意味もない、ただ人を傷つけるだけの 文章はすべて削除いたしました> ちょっと最近さぼりがちだな 実はおとといのお昼、またしても「腹立つブログ論」を展開させ、 非常に気持ちが高揚致しました。 まあ、まあちょっと落ち着いて聞いて
『抽象的思考は数学的な考え方の典型であろう。 では、抽象的思考を手っ取り早く身に付けるには 数学の何を学んだらいいのだろうか?』 こんな疑問を考えているうちに、理系的返事と文系的返事というのに自分の中で分類をしていることに気づいた。理系的会話は、相手がどんなことを言っても、まず「自分はこうだ。自分はこれが正しい。」と言う。文系的会話は「正しいこと」よりも「感情的判断」が多い気がする。しかし、自身が数学科卒(得意科目:数学物理,苦手:国語地理歴史)かつ自分には文系の友人が少ないこともあって「気がする」としか言えない。「文系的な考え方」がよくわからないのだ。先日、数学的考え方の最大の特徴は「抽象的思考」と言ったが、文系だって抽象的に考える。理系は「具体から抽象」であったが、文系は抽象から始まる気がする。でも、「抽象から具体」なのか「抽象のまま」なのかはわからない。そもそも、文系とか理系とかの分
いわゆる「ブロガー」(広い意味でウェブ上で日記や記事など書いてる人)と呼ばれる人たちは、いつもどの時間に更新してるのだろうか?ブロガーにとって文章を考えれる最適な更新時間は??? もちろん、いろんなタイプのブログやスタイルがあるから人それぞれだと思う。 まず、自分の場合。僕は、ブログを基本的に自分の日記帳と位置づけ、1年2年はては5年10年後に見たときに、「ああーあんなことあったなー」「文章能力変わってないなー」とか「昔のほうがうまかったじゃん」など、自分の文章能力としての成長度を見たり、懐かしさのアルバム的な感じで残している。そのときの感情はそのときの自分の境遇やものの考え方で非常に変化するもので、初心に帰る意味でも昔の日記はすごく自分のためになる。 そしたら「ブログじゃなくていいじゃん」ってのも考える。紙の日記帳でもいいのだ。でも、1つは後で書くとして、1つは「Web」に残すということ
Lesson25 メッセージを伝える・2----動機をつくる せっかくあなたがいいことをやってるのに、 一部の人には、評判なのに、 ちっとも広がらない。 わかってくれない。 そんなくやしい思いをしたことはありませんか? 2000年、この情報の海の中では、 ちょっとやそっといい表現をしたって、 人は忙しい。 刺激になれ過ぎている。 だから、ふりむいてはくれない。 さあ、どうしよう? あなたのいいものを伝えるために。 今日は、どうやって、 「相手が聞こうとする気持ち」を引き出して、 メッセージを伝える確信犯になるか、 一緒に考えてみましょう。 いきなりですが、あなたはパーティーの幹事です。 集まりにいつも顔をださないアイツを、 どんな風に誘いますか? 11月23日14:00から、 田中さん家でパーティーがあります。 一生懸命練習したバンド演奏もするので、 ぜひぜひ来てね。 あなたいっつも来ない
映画より泣ける? ゲームが与える感動を調査 2005年11月11日 コメント: トラックバック (0) Clive Thompson 2005年11月11日 友人の目を見たとたん、私は何か悪いことが起こったのだと悟った。それは1997年のことで、友人はリリースされたばかりの『ファイナルファンタジーVII』(FFVII)をプレイしていた。その日の午後、友人は最愛の魔法少女エアリスがいきなり理不尽に殺されてしまう有名な衝撃的シーン(WMV動画)に行き着いたのだ。 友人は、まるで家族を失ったかのようだった。地元のバーで生ぬるいビールをちびちび飲みながら、「まったく、どうしていいのかわからないんだ」と打ち明けた。私の友人のほぼ全員が『FFVII』をプレイ中だった――そのため、次の週には1人また1人と同じシーンに出くわし、ついにはオタク仲間がみな悲しみの淵に沈んだ。 ビデオゲームがわれわれの思考力に
「ここは見慣れない場所だね」 「そうですね」 「どうしようか」 「どうしましょうか」 「ちょっと周りを見てくるね」 「ありがとう。お願いします。」 「見てきたよ」 「どうでした?」 「怖いモンスターもいたけど、面白そうなものがたくさんあったよ。」 「怖いモンスターがいたのですか、それは怖いですね」 「怖いモンスターはいるけど、それより面白いものがいっぱいあったんだ。」 「怖いですねえ」 「もう少し詳しく知りたいね、もう少し見てくるね」 「ありがとう。お願いします。」 「もっと見てきたよ。」 「どうでした?」 「危ない罠もいっぱいあったけど、本当のことがいろいろ分かったよ。」 「危ない罠があるんですか、それは危ないですね。」 「でも、本当のことがわかるよ。」 「危ない、危ない」 「あちら側には、面白くて、楽しいこともあるし、本当のこともわかるんだ。」 「でも、危なくて、怖くて、うそもたくさん
違和感を大切に 感覚はときに重要 違和感の元を徹底して分析せよ そこに説得力が有るか無いか エゴが悪いんじゃない 無自覚なエゴが偽善となる 大切なのは理想社会でも来世でも神の国でもイデア界でもなく、「今ここに在る現実」 自由を求めよ 自由を守れ 自由を尊重せよ 自由同士を戦わせよ あらゆる問題の構造を抽象化せよ カードゲーム化せよ 世界平和なんて私には無理だからそんなことより周りの人だけをとことん幸せにする 「死亡」とは他人にとっては「一人の人間の死」、自分にとっては「世界の終焉」 生きることに理由は無い 理由が必要なら自由に作ればいいじゃない 目的のためなら手段はある程度柔軟であるべし 生きるのに疲れたら人のせいにせよ 朝令暮改せよ 5分前の信念を翻せ 但しリスクは認識すること 自己の同一性なぞない 身体の成分の半分以上は数日で入れ替わり、8割以上が数ヶ月で入れ替わる 一秒前のきみと今の
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