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ブックマーク / mubou.seesaa.net (12)

  • エンジニアにクソスペックのPCが割り振られていた現場についての個別事例について: 不倒城

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    kiwofusi
    kiwofusi 2018/11/26
  • 保守・運用の仕事の大切さを説明するのは、保守・運用の仕事の内なのか?: 不倒城

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    kiwofusi
    kiwofusi 2018/05/14
  • かつて、「ウル技」がどれだけの開発者を救ってきたのだろうか: 不倒城

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    かつて、「ウル技」がどれだけの開発者を救ってきたのだろうか: 不倒城
    kiwofusi
    kiwofusi 2017/01/27
  • ブログ記事の一番上に挿入されている、なんか雰囲気だけで本文とは何の関係もない画像って何の為にあんの?: 不倒城

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    kiwofusi
    kiwofusi 2016/06/08
  • DBやDBエンジニアのあるべき姿ってどんなんかねえ: 不倒城

    まあ業界にも開発形態にも、システムのアーキテクチャにもよるんだろうけど。 はてなブックマーク-不倒城: どうも世間では、思ったよりDBエンジニアが不足している様だ DBはプログラマが作っちゃうからなぁ。DBエンジニアが何してくれるのかがむしろよくわからん理想のDBというのは、理想のインフラと同様、多分「そこにあることを意識させない」DBだと思う。セットアップして構築さえされてしまえば、後は読み込みにも書き込みにもボトルネックを作らず、ただモクモクと働くDB。 それに則って考えれば、「理想のDBエンジニア」は、開発の初期段階以外ではサボっている様にしか見えない筈だ。特に主要なロジックをアプリ担当が開発する場合、DBエンジニアがなにをする仕事なのかよくわからんというのは、多分一面で正しい。 ただ、ずーっとほっといても全くパフォーマンスが劣化しないDBがこの世に存在するなら話は別だが、システムを

  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

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    kiwofusi 2007/03/28
  • 補論・ひとり語りは面白いのかどうか、について。: 不倒城

    別に反論という程のものでもないが、トラックバックを頂けたので。不倒城の様な零細ブログにはなかなかないことだ。補足を兼ねてお返事をさせて頂きたい。 「俺の道」様より >なんで乱暴か思ったのは自分とそれ以外の中間の位置にリアルで情報をもってる >知人(友人、親類、その他服務)ってのがあるのではないかなと。 >その人物のリアルの情報を持っているのならば、 >そのバックボーンを実際知っていたり、想像する事が可能なわけだから おっしゃっているバックボーンの意味と、私が述べた「バックボーン」の意味とが、少々異なる。 私が前エントリーで述べた「バックボーン」というものは、いわば脳内の履歴だ。その文章を書いた当時の記憶、感情、思考といったものであるから、これを他人と共有することは不可能である。当然だ、自分の脳ミソの中身を他人にソーシング出来る訳がない。この意味で、知人だろうが兄弟だろうが親子だろうが、「自

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    kiwofusi 2006/09/08
  • 不倒城: ひとり語りは面白いのかどうか、について。

    自分が書いた文章というものは面白い。 「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。 当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きなべ物」というのも、人にしてみれば基的に面白い筈なのである。 文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」

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    kiwofusi 2006/09/08
  • 「無私」に疑問を呈する。: 不倒城

    国語の教科書を読む機会があった。 たまーに思うんだが、教育者ってのはどうしてこう「無欲の人」「自分を顧みず、誰かの為に自分の身を擲った人」が好きなんだろうか。世界共通のことなのか、日に限るのか知らんが。 「自分の為に頑張って、結果的に幸せになりました」じゃダメなんかなあ、とちょっと思う。別に「みんなが幸せになりました」でも構わない。なんつーか、「自分の為に欲望を持って行動するのはヨクナイコト」みたいな感覚が根付いちゃうと、色々と将来よくない影響が出るんじゃないかと思うんだけどなあ。 生きる力と欲望はニアリイコールである。「何かを実現したい」という欲望が強い人程生命力は強い。金銭欲でも性欲でも社会欲でもいい、世界は欲望で発展するのだ。 「発展」という観点からみた時、勿論欲望にはプラスの作用とマイナスの作用がある。他人の欲望とぶつかり合うと喧嘩が起きる。ルールの枠を踏み越えると犯罪が起きる。

  • 一周年にまつわる雑文。: 不倒城

    駅での電車待ちの時間、「めっきり寒くなってきましたねー」などという会話をスーツ姿の男達がかわし、ふと横を見るとめっちゃクールビズ姿の若造(私)が突っ立っておりそれっきり会話が止まる、という状況に今週3回遭遇した昨今、皆様ご壮健でしょうか。しんざきは冬型なのでこれからの季節元気になります。 さて。軽やかにスルーする所だったが、そういえばこのブログを始めてから一年経った。 たまに思うのだが、何かしらの「記念」のエントリーというのはなかなか厄介な物である。なんだか一年続いたなあ、というぼんやりとした感慨は確かにあるが、これは徹頭徹尾ブログ作者だけが持ち得る感慨であって、このブログが出来た瞬間からこのブログを見続けている人間というのは多分この世に数人といない。 故に、私一人の感慨について書き綴ってみてもそれは確実に読者置いてけぼりの内容になってしまう訳で、書きにくいことこの上ない。と思ったが、よく

  • 「集める」ゲーム性と「育てる」ゲーム性: 不倒城

    人は何が好きって、集めるのと育てるのがとにかく好きである。 育てるのが好きな人が経験値稼ぎをやる。 集めるのが好きな人がトレーディングカードを買う。 今のゲーム市場を見ると、要するにこの二つの欲求をどう刺激するかって話を突き詰めていった結果こうなりました、みたいな側面は結構ある様な気がする。 例えばFFにせよドラクエにせよ、最近の人気RPGの売りって言うと大概この二つだ。RPGの場合、ただでさえ「レベル上げが一番面白い」とか「シナリオ進めるよりも経験値稼ぎの方が燃える」って話をそこかしこで聞いたりする。FFなんか、そのものずばりトレーディングカードをゲーム内で流通させたりしている。ドラクエも、モンスターを仲間にする辺りから始まった集めさせっぷりがかなりのものだ。 ポケモン然り、女神転生然り、三國志や信長然り、この「集める」と「育てる」が上手くマッチしているゲームは大概ある程度以上の人気

    kiwofusi
    kiwofusi 2005/11/08
    アンディー・メンテが最高だお。ところで物語系ゲームは物語を「集め」て浮かびあがらせるおもしろさかしら
  • 不倒城: 「読んで面白い」情報より「知って面白い」情報が求められる

    コメントで書こうと思っていたのだが、なんかこねくりまわしている内によそ様のコメント欄に放り込んでいい長さではなくなってきたので、粛然と独自エントリ(またかい) なんか言葉の話の難しげな話題なので、お好きな人だけどうぞ。 モウビィ・ディック日和様に頂いた、前回の「「文章力」の落とし穴」宛てトラックバックへのコメント。 以下、コメントとして書き始めたので敬態。 -------------------------------------------- 件のエントリーは、ちょっと検討不足の部分があって恐縮なのですが、少々補足を。 まず、「装飾」という言葉に関して「パフォーマティブ」という例示をされています。補記2で言及して下さっている様に、私は正直、件のエントリーを書いた当初はそこまで考慮していませんでした。 「パフォーマティブ」という表現が「装飾」や「修辞」の内に入るかどうかはちょっと未整理とい

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