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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (8)

  • コピペの「作法」 - H-Yamaguchi.net

    レポートの採点などをしていると、いわゆる「コピペ」に気づくことがある。いうまでもないが、一般的に大学教育の場でのレポートにおけるコピペは一種の不正行為とされている、いわばご法度の行為だ。よって来なら減点なり失格なりといった対応をするわけだが、対応をするからにはきちんと証拠を押さえていないといけないから、そこまでの確証がない場合は、多少疑わしくても見逃す場合がけっこうある。世の中にはレポートや論文のコピペ、剽窃チェックのためのツールはすでに存在している(これとかこれとか)から、それらを使うという手もあるが、教育という場にこういったものを入れるべきなのかどうか、議論があるところだろう。 しかしここで論じたいのは、コピペの是非そのものではない。あくまで個人としての意見だが、コピペするにも「作法」みたいなものがあるんじゃないだろうか、という点についてだ。 職業柄あまりこういうことを書くのはどうか

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  • 皆さん「ダダ漏れ」についてちょっと思い違いをしてはいないか? - H-Yamaguchi.net

    「ダダ漏れ」という言葉があちこちで見られるようになった。いうまでもなく、「ケツダンポトフ」の「そらの」さんの活躍によるものだ。事業仕分けやウェブ学会など、名だたるイベントに乗り込んで起きていることをノーカットで中継するスタイルは、マスメディアによる編集された情報に慣れた目には新鮮に映る。「あれはジャーナリズムじゃない」という批判も、もはや無視できない影響力を持っていることの裏返しだ。 とはいえ、もちろん全員とはいわないが、どうも世間の少なからぬ人々の間に、「ダダ漏れ」に関連してある種の誤解があるように思われるのでひとことだけ。ちょっと釣りっぽいタイトルだが、実際若干挑発的でもあり、でも一応割とまじめで、かつ前向きのつもりだったりもする。ちょっと長文。 知ってる人は多いだろうが、そもそも「ダダ漏れ」とは何か?たとえば地域情報サイト「品川経済新聞」の記事「大井町のすし店が「ツイッター割引」-「

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  • いつから結婚詐欺はネット犯罪になったのだ - H-Yamaguchi.net

    こういう話は前からよくあってほんとに「なにをいまさら」な感じがする。しかしなんというか、こういうのは「Gの字」のように、ほっとくといつのまにか跋扈するようになったりするから、めんどくさいが出てくるたびにしつこく叩いておくべきだと思う。というわけでひとことだけ。 福島瑞穂消費者・少子化担当相は31日、宮崎市内で記者会見し、「結婚詐欺などのネット犯罪が話題になっている。消費者問題として、ネット犯罪をどう防げるのか検討したい」と指摘した。(毎日新聞2009年11月1日) いつから結婚詐欺はネット犯罪になったのだ。 たいていの問題はことばの定義の問題でもあるわけで、まあ一応「ネット犯罪」の定義はある程度考えとかないといけないだろうと思う。一番簡単にいえば「ネットを犯行の主な舞台とする犯罪」ぐらいになるんだろうか。典型的なものといえば、ワンクリック詐欺とかフィッシングとかかな。ネットオークション詐欺

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    klim0824
    klim0824 2009/11/04
  • ネットにもサイレントマジョリティはある - H-Yamaguchi.net

    「ネット世論」ということばがある。「世論」というのは「世間一般の意見や考え」というぐらいの意味だろうから、それに「ネット」がくっつくと、「ネットの中で一般的な意見や考え」くらいになるだろうか。わざわざ「ネット」とつけるということは、「ネット世論」は「世論」とはちがうという含みがあるのかな。いまや全国民の7割だかがネットユーザーであるわけで、ネット世論が全体の世論とちがうというのもなんだか妙な気がするわけだが、ユーザー層は必ずしも国民一般の縮図とはなっていないのも事実だし、実感にもそこそこ合っているような気がするにはする。 それはいいとしても、「ネット世論」も「世論」の一種なわけで。となると、アレだなアレ。 世論を語るときに、サイレントマジョリティという考え方が持ち出されることがある。Wikipediaによると、1969年にニクソン大統領が「発言はしないが現体制を支持している多数派」という意

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    klim0824
    klim0824 2009/08/10
  • ネットに「子どもの遊び場」を用意するということ - H-Yamaguchi.net

    インターネットの中で、一般社会で受け入れられているルールが守られずに問題が起きる、という構図はよくある。たとえば著作権侵害の問題とか、プライバシー侵害の問題とか、犯行予告の問題とか、ネットいじめの問題とか、まあ他にもいろいろ。匿名性が問題なのだとかデジタル技術の特性だとか、教育がなっとらんとか法整備が必要だとか、いろいろなことがいわれていて、それぞれなるほどと思ったりそうかなーと思ったりいろいろあるが、とりあえずはおいとく。そういった「問題」の発生しているところを見ていて、つい連想する光景がある、という話から。 たとえば幼稚園、のような場所を想像していただきたい。小さな子どもたちが遊んでいて、それを先生たちが見守っている。その中で何人かの子どもが、いたずらを始めた。しばらく放置していた先生が、やがて見かねて注意する。「それはいけません。やめてね」と。子どもたちは「はーい」とか「ちぇー」とか

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  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
    klim0824
    klim0824 2009/01/01
    メディアを発信する側のリテラシー、メディアを受信する側のリテラシー
  • 気象協会がSNSっぽいものを始めている話につられてつらつらと - H-Yamaguchi.net

    「天気を もっと 楽しくする」のだそうだ。天気というのは差しさわりのない話題No.1だったりするわけだが、それだけではなく「天気オタク」というか「気象オタク」というか、お天気ネタに異様にいつく人は意外に多い。「鉄ヲタ」とか「鉄子」とかいう呼び方があるが、こっちはどう呼ぶんだろう。「天ヲタ」?「きしょヲタ」?なんでもいいが、そういう方々に向けての展開ということなんだろうか。 今回のリニューアルの趣旨はこちらに出ている。 財団法人 日気象協会(社:東京都豊島区、会長:松尾 道彦)が事業運営する気象ポータルサイト「tenki.jp(http://tenki.jp)」は、株式会社ありんく(社:埼玉県深谷市荒川319、代表取締役:池田 誠治)との共同プロデュースのもと、web1.0型事業モデルからweb2.0型事業モデル対応の“ユーザ参加型サイト”へ全面リニューアルしました。新生tenki.

    気象協会がSNSっぽいものを始めている話につられてつらつらと - H-Yamaguchi.net
  • 最も影響力の大きいメディアの影響が最も大きいと考えるのが自然ではないか - H-Yamaguchi.net

    似たようなことを何度も書いてるんだがしつこくもう一度、手短に。凶悪な、あるいは陰惨な犯罪が起きるたびにゲームやらネットやらの影響をいう人がけっこういるのだが、リアルの世界での犯罪の原因の大半はリアルの世界の中にあると考えるほうが自然だと思う。過激な表現やそれを多く伝える媒体があるのは事実だが、そうしたものに触れた者の大半は犯罪を犯さないし、そうしたものに触れていないと思われる者も多く犯罪を犯している。表現や媒体を気で問題にしたいなら、そのあたりきちんと、実験室だけではなく疫学的に検証を行ってからにすべきではなかろうか。 以上を前提として、もちろん表現や媒体にもなんらか影響力があるだろう、というのが題。 もし人が接触するメディアから悪い影響を受けると考えるならば、特段の事情がない限り、最も強い影響を与えるのは最も多く接触するメディアと考えるのが自然な仮説というものではなかろうかと思うのだ

    最も影響力の大きいメディアの影響が最も大きいと考えるのが自然ではないか - H-Yamaguchi.net
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