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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (6)

  • メディア・リテラシーなるもの - 擬似環境の向こう側

    ぼくは大学でメディアについて教えている。 メディアに関して学生の書いたものを読むと、かなりの割合で「メディア・リテラシーを身につけることが必要である」とか「マスメディアを鵜呑みにしてはいけない」という結論に至っている。まるで誰かがフォーマットを作っているのではないかと思うほどだ。 しかし、教員としてこういうことを書くのはいかがなものかとも思うのだが、そもそもメディア・リテラシーなるものは実践可能なのだろうか。ここで安易にウィキペディアから引用してみると、次のように書いてある。 メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。 (出典)メディア・リテラシー - Wikipedia 言わんとすることは分かる。分かるのだが、実際問題としてこれを実践することは不可能なのではないだろうか。 毎

    メディア・リテラシーなるもの - 擬似環境の向こう側
    klim0824
    klim0824 2015/04/27
    ”絶対に騙されまいとすることよりも、ある程度は騙されても仕方がないという諦めのほうが重要なのではないか””外部の情報を吟味する前に、自分自身のフィルターがどんな状態になっているのかをまずは確認”
  • スマホとどう付き合うか - 擬似環境の向こう側

    ぼくはネットが好きだ。 ネットで話題になっている文章にはだいたい目を通すし、ネットで誰かが喧嘩をしていればそれをいそいそと見物に行く。ぼくはメディアの研究者ということになっているので(専門はマスメディアだけど)、いちおうはフィールドワーク?的な意味もある。しかしそういうことを抜きにしても、基的にネットが好きなのだと思う。 ネットとの付き合いはかれこれ20年近くなるし、インターネット・アーカイブを探せば1990年代後半にぼくがやっていたホームページを見つけることもできる。だからこそ思う。ネットに時間を費やし過ぎるのは決して良いことではない。ところがいまや、スマホを使えば至るところでネットに接続できてしまうのである。 ここで話は四半世紀ほど遡る。当時のぼくは高校3年生で、大学受験を控えていた。ところが、一つ大きな悩みがあった。30分も机に向かうことができないのだ。 自室で勉強を始めても、10

    スマホとどう付き合うか - 擬似環境の向こう側
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    klim0824 2015/04/06
  • 言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側

    ネット上ではやたらと攻撃的なひとが少なくない。 とにかく他者や他集団に対して攻撃的な書き込みをする。それも一つの芸風だと言ってしまえばそこまでだが、そういうひとは防御力が弱くなることも多い。 というのも、誰かを攻撃するためには何らかの理由が必要だからだ。「こんなに酷いことをする(言う)なんて」という理由によってひとは他者や他集団を攻撃する。だが、攻撃をする回数が増えるほどにその理由づけも増えていく。結果、自分自身の行動がそれに当てはまってしまう可能性がどんどん上がっていくのだ。そうなれば、自分自身の言葉がブーメランになって返ってくることもそれだけ多くなってしまう。言論戦において「攻撃は最大の防御なり」は必ずしも妥当しない。 もっとも、言動の一貫性など最初から気にせず、他人からそれを指摘されたとしても無視すればよいだけなのかもしれない。しかし、そういう人は他人からも「そういう人」だと見なされ

    言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側
  • ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側

    在日コリアンの方々に罵詈雑言を投げつけていた男性に関する記事が話題になっている。これだ(記事タイトルを一部改変)。 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【前編】 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【後編】 力作である。著者の安田浩一さんのルポライターとしての力量を見せつける迫真のレポートと言っていい。 この記事で取り上げられている男性については、そのツイートがたまにリツイートされてくることもあり、ぼくも以前から知っていた。その内容は当に酷く、まさにヘイトスピーチと呼ぶよりほかにないものだった。それゆえ、この男性が安田さんの取材によって追い詰められていく様子に、ある種のカタルシスを感じたことは否定しがたい。 その一方で、この記事を読んで微妙な居心地の悪さも感じた。それは安田さんが男性の正体を探り当てる手法に起因している。男性のネットへの書き込みから

    ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側
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    klim0824 2014/11/20
  • マスメディア批判の中心 - 擬似環境の向こう側

    マスメディアの報道は昔から繰り返し批判されてきた。 誤報、事実の歪曲、閉鎖的な記者クラブ、政府の発表をただ流すだけの発表ジャーナリズム、センセーショナリズム、取材対象との癒着、他社よりも少し早いだけの無意味なスクープ合戦、調査報道の欠如などなど。マスメディア批判の文脈で用いられる言葉は昔から驚くほど変化していない。 しかし、ここ数年、マスメディアが批判される理由が少し変わってきたのではないかという印象もある。このエントリではその変化について考えてみたい。 かつて、マスメディア批判の根には「必要な情報をマスメディアが報道しない」という問題意識があったように思う。つまり、権力に屈したり、情報操作に乗せられるかたちで、読者や視聴者が当に必要としている情報を届けていないということが批判されていたわけだ。記者クラブにしても、その横並び体質が調査報道の発達を妨げ、発表ジャーナリズムの温床になってい

    マスメディア批判の中心 - 擬似環境の向こう側
  • ミルズとラザースフェルド - 擬似環境の向こう側

    チャールズ・ライト・ミルズという社会学者がいた。彼が書いた『社会学的想像力』という著作は、国際社会学会の会員たちが選んだ「20世紀の重要な社会学の著作」の第2位にランクインされるほどよく知られている。 他方で、ポール・ラザースフェルドという社会学者もいる。マスコミュニケーションの効果研究の第一人者として知られた人だ。実はミルズはラザースフェルドの調査を手伝ったことがあるのだが、この二人のスタンスは大きく異なる。そもそも研究のスタイルが全く違うのだ。ラザースフェルドは社会調査に基づく厳密な研究を志向する一方、ミルズはより大まかに米国社会全体を分析しょうとする。 ある論文を読んでいたら、この二人の仮想的な対話が紹介されていた。ぼくとしてはなかなか面白かったので訳出してみたい。 私のお気に入りの妄想の一つは、ミルズとラザースフェルドとの対話で、前者が後者に『社会学的想像力』の最初の一文を読んで聞

    ミルズとラザースフェルド - 擬似環境の向こう側
    klim0824
    klim0824 2014/01/31
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