無観客試合が行われている。世界各地で。 観客のいないサッカーに、どれくらいの価値があるのだろう。 たとえば音楽を聴くとき。 特に僕のような「音楽的知見」の全くない人間が、なにか曲を聴いて「良いなぁ」と思うとき。 僕が感銘を受けるのは、メロディラインの緻密さでも、研ぎ澄まされた音質でも、そのビブラートでもなく、それを聴いている「場」と「心情」が、音楽を媒介にして温度を持ったまま記憶されるからに他ならない。即興で作られた恋人の鼻歌や、旅行の車中で流れたラジオ、失意の夜に聴いた一曲が、その瞬間の心の動き、匂いや温度と深く連結されて、その個人にとって圧倒的に「大切な」音楽になりうるように。 そこには「質」や「品」の淘汰はなくて、ただ限りなく浅い見地に基づく嗜好があるだけだ。そして、もちろん、それでいい。誰にでも音楽を聞く権利はあるし、それを解釈する権利がある。 つまりその分野に専門性を持たない人に