大田 正一(おおた しょういち、1912年〈大正元年〉8月23日 - 1994年〈平成6年〉12月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は大尉。特攻兵器桜花の発案者。終戦後に逃亡を図りその後も正体を隠して3人の子をもうけ生きながらえた。 生涯[編集] 1912年8月23日山口県熊毛郡室津村(現・上関町)に生まれる。名古屋で育ち、高等小学校卒業後、1928年(昭和3年)6月海軍普通科電信術練習生を志願して呉海兵団に入団[1]。 航空偵察員[編集] 1932年(昭和7年)4月、第20期偵察練習生に採用され、半年課程後に艦上攻撃機の「偵察員」になる。海軍では、操縦員以外で航法、通信、爆撃、射撃、写真撮影、観測などの任務を行う飛行機搭乗員を一括して「偵察員」と呼んでおり、兵曹、水兵の中から募集した「操縦練習生」(略して操練)、「偵察練習生」(略して偵練)の教育を行っていた[2]。 偵練同期の馬場政春に