ここ最近メディアをにぎわせている薬物についての報道。酒井法子さんの覚せい剤、押尾学さんのMDMA、有名私立大学生達の大麻、等々、何気なくテレビを見ている人にとっては大変不安を覚える出来事だろう。実際、おどろおどろしいキャッチコピーやBGMがつけられる報道は、何かのキャンペーンとも取れる盛況ぶりだ。そういう映像が流れた後で、コメンテーターが「どうしてこんなバカなことをするんでしょうかね?」「警察はさらなる徹底的な取締りに励んでいただきたい。」といった台本通りのお決まりのコメント。ネットで薬物犯罪のニュースを見てもコメント欄では、厳しい言葉が飛び交っている。ノリPぐらいのアイドルともなれば同情的な書き込みも多いが、無名の一般人の場合は「一生刑務所から出すな」「死刑にしろ」といった極端な意見(脊髄反射?)もみかける。 そんな状況に違和感を覚え、思い出したネットの記事があった。 ポルトガルの薬物政
酒井容疑者、クラブで奇行…衣服を脱ぎ捨て踊り狂いhttp://www.zakzak.co.jp/gei/200908/g2009080724.html 本当にここ最近の押尾学と酒井法子を巡る薬物報道とそのゴタゴタを見ていて吐き気がするほどウンザリしている。こんなにイライラするのはこういったクソなニュースの氾濫が、伊藤英明のマジックマッシュルーム事件と、力士の大麻事件以来続く、この国の民衆の薬物に関する知識の低さと、それから生まれる馬鹿さの表現としか思えないからだ。つまり、厚生労働省の「ダメ、ゼッタイ」政策という愚民育成政策と、たいした被害者もいない薬物汚染を徹底的に槍玉に挙げ、どうでもいい脅威や悪が蔓延っているかのように見せかける手口。そして、それを後援する正義の組織「麻薬・覚醒剤乱用防止センター」に膨大な予算が公営ギャンブルから補助事業費として支出され、天下りやら名目だけのポストになっ
前期授業、終了。 5校(オムニバスも含む)での講義、本日にてすべて終了。 あとは、試験(出張のため前倒しで多くは授業内試験)そしてキョーフの採点作業を残すのみ。 ここ数年、状況の変化を痛感していることは以前にも書いたが、もうひとつ、”不思議な現象”に出会った。某大学での講義*1のコミュニケーション・カードの内容。同性愛者に対する嫌悪感が、かなりの比率で増殖している、という現象。いや、こういうことを”現象”と称すべきではないのかもしれない。 「知らない人だったら良いけれど、自分の家族がホモとかレズだったら困る。引く。気持ち悪い。」 「親に育ててもらったのだから、その親が反対するような生き方はするべきではない。」 ほかにも、あまりにえげつなくて授業では紹介できないようなものもあった。「反論も歓迎します」なんて言っているからだろうか。しかも、初っ端から、「なぜこんな授業があるのか意味がわかりま
はてなの全スタッフは次に引くエントリーとそのエントリーページを見ると良い。ここで行われているのは文字通り「いじめ」だ。それ以上でもそれ以下でもない、正真正銘の「いじめ」である。株式会社はてながインターネットに生み出した空間で――id:jkondoがビジョンし、id:naoyaがコンストラクトし、id:kawasakiがプロモートしてきたインターネット上のコミュニティにおいて、今まさに「いじめ」が行われているのだ。そして、はてなにはそれについての責任がある。なぜなら、はてなダイアリーあるいははてなブックマークは、いじめを助長しやすい設計になっているからだ。誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌 はてなダイアリーユーザーであるid:usukeimadaは、2009年の7月20日、上記のエントリーを上げた。その中に、こんな一節があった。文脈も大切なので、少し長めに引用する。
これはやばいなあ。現代日本の家族の闇を描いた衝撃作だろう。フジテレビがひっそり流すザ・ノンフィクション「漂流家族 竹下家の9年間」である。 いろんなところで反響があるようで、id:tada-woさんから録画DVDを借りて見たのだが、絶句してしまった。彼のブログから引用する。非常にうまくまとまっている。 http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20090616/1245138703(因果鉄道999・埼玉-北海道(前編) - アマルフィ 日和) 埼玉県に住む竹下一家。家族構成は父母と6人姉妹(全員、女の子)の8人家族。彼らは心機一転として、北海道の浜頓別(はまとんべつ)という田舎町で行われる、街の活性化を目的とした本州からの移住計画に参加(いわゆる田舎で暮らそう、というやつ)。この計画は、移住して三年の間に、浜頓別に家を建てて定住することが条件で、その間の住居は地元の自治体
と、タイトルでガツンと一発かましておいたが、実は反省文だ。僕は本当に悲しい。僕はどのような場合でもできる限り筋道立てて主張をしようと試みてきた。いままで自分でも目を覆いたくなるようなヘイトスピーチを繰り広げてきたが、少なくともそこだけは譲れない最低限の約束事だった。でもことこれに限っては、どれだけ自問しても自分を納得させるだけの合理的な理由が見つからなかったのだ。かつて「なぜ人を殺してはいけないのか」などの意地悪質問にも瞬時に回答を示し、ID:y_arimがなんか変なクスリやってトリップ(たぶん)してたときもやさしく手を差し伸べ、はてな界を上から目線で俯瞰し、そこそこ世の中の仕組みを知ったつもりになっていた僕が、このホモ問題*1に関しては、あろうことかそこらのバカ女子高生の「キャハハ、キモーイ」という嘲笑以上の主張を見出せなかったのだ。完全なる敗北、自己のポリシーバイオレーション、存在否定
立ちはだかる、という書き方は釣りっぽいな。でも感覚としてそんな感じ。そしてぼくが気にしているのは、エロゲーよりもさらにカジュアルに流通している*1凌辱エロ同人誌です。それこそ年商1億といわれるクリムゾンの頒布する本など、判で押したようにメジャーなマンガやゲームのキャラが凌辱される内容のオンパレード(描き手は女性ですし。『性差別を内面化してしまった哀れな犠牲者』になりうるのかなあ)。「くやしい……でも感じちゃう」という、それこそレイプ神話そのものの台詞回しがネットでコピペ化している有様です。それが虚構どころか、現実にはまるっきり偏見*1なんだというリテラシーは、読者やこのコピペを使う人々にどの程度共有されているのか、いくぶん不安ではあります。特にエロ同人誌の描き手に回ろうとする、あるいは回っている若い人々に。エロ表現がカジュアルに流通しすぎて、ただの流行りものとしてしか捉えられず、今回の議論
評論, その他 | 17:45 | 『日本の難点』の中で語られるゾーニング問題今、宮台真司の『日本の難点』を読んでいます。その中にゾーニングに関しての話が出てくるのですが、ここ一連の「レイプレイ」をめぐる言説と関係が大いにありそうなので書いておきます。『日本の難点』の「第三章「幸福」とは、どういうことなのか」における記述がそうです。*1この中で宮台は「僕はいわゆる猥褻表現をめぐって「表現規制からゾーニングへ」と主張してきました」と自らがゾーニング派であることを明らかにしたうえで「総じて厳格なゾーニングがもたらす「隔離」は、異質なものへの不寛容さを醸成し、不安ゆえに神経質な「隔離」をもたらします。これままずい展開です。」と過剰なゾーニングを問題視しています。この典型例として文中で挙げられているのが「(性)風俗」です。日本の風俗は店舗風俗の規制によって「店舗風俗から派遣風俗へ」の流れが定着しつ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く