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  • 言葉のままならなさに向き合う──一義性の時代の文学にむけて(前篇)|矢野利裕

    編集部に矢野利裕氏から連絡があったのは昨年12月のことです。某大手文芸誌で掲載不可となった原稿を掲載できないかとのこと。一読して掲載を決め、細かい修正のやりとりをすることになりました。以下に掲載するのはその原稿です。前後篇に分けて掲載します。 いまは言葉が文脈から切り離されるSNSの時代です。そのようななか、文学者からは言葉の「多義性」を擁護する議論ばかりが見られます。けれども矢野氏はむしろ、そこで切り捨てられた「一義性」の言葉のほうに、多様な読者に開かれる可能性があると指摘している。それはたんなるパラドックスではなく、教員でもあるご自身の実感に基づいた具体的な問題提起にもなっています。論旨は明快で、なぜこれが掲載を拒否されたのか、率直にいって理由がわかりません。もしこの原稿が「文学をわかっていない」ものだと捉えられたのだとすれば、まさにその態度こそが文学を貧しくしている元凶のように感じら

    言葉のままならなさに向き合う──一義性の時代の文学にむけて(前篇)|矢野利裕
    kokugo_tweets
    kokugo_tweets 2021/05/31
    「教育現場にいる者として、初等教育も含めた国語教育全体から眺めたとき、「論理国語」や「現代の国語」といった実用文重視の方向性は、自閉症傾向にある生徒に対する「合理的配慮」の適用として捉えられる」
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