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文学に関するkotobukuのブックマーク (20)

  • 『ユメ十夜』 夏目漱石原作『夢十夜』を大胆に映像化。松尾スズキ、阿部サダオ、漫☆画太郎等 - 鋼鉄的日記

  • 【楊逵文物數位博物館】Yang Kui literature museum

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    kotobuku 2011/06/06
    楊逵文物デジタル博物館
  • 通説への疑問  - jun-jun1965の日記

    小説家というのは、昔は戯作者としてバカにされるアウトローだった、という。それが変わったのが、石原新太郎が芥川賞をとった昭和30年ころだという通説がある。 しかしどうもこの説は胡散臭い。だいいち、「太陽の季節」や「太陽族映画」は良識派の顰蹙をかったもので、それで作家の地位が上がるというのはおかしい。 むろん、昭和30年ころに社会構造の変化があったので、たまたま「太陽の季節」と重なったのだというなら、分かる。 だが、実際は、もっと複雑だったのではないか。明治期にも、尊敬される作家というのはいたし、現代でも、軽蔑される作家というのはいる。前者は漱石や鴎外、露伴などで、後者はポルノ作家である。あるいは、村上龍や山田詠美のように、登場した時は不良扱いされていたのが、がんばって書き続けて評価されて地位が上がるとか、大江健三郎だって、当初は不健全で性的なことを描く作家とされていたのが、ノーベル賞とか光と

    通説への疑問  - jun-jun1965の日記
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    kotobuku 2011/05/29
    明治期にも、尊敬される作家というのはいたし、現代でも、軽蔑される作家というのはいる。[小谷野敦]
  • RT I ::: フォルモサフォーカス 地方文化館巡り :::

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    kotobuku 2011/04/13
    楊逵文学記念館
  • ただ面白いだけじゃなくて一生忘れられないような衝撃が走る小説 / その2 - ゴールデンタイムズ

    210 : 風呂吹き大根(埼玉県) :2010/12/14(火) 05:19:24.43 ID:fX83DutUP ハードボイルドから一作 マイクル・コナリー ナイトホークス 軍物から一作 スティーヴン・ハンター 狩りのとき どちらもスレタイ通りおそらく一生忘れられないだろう 150 : 湯豆腐(チベット自治区) :2010/12/14(火) 03:19:44.86 ID:e1GxtTaw0 プラトンの「国家」 哲学云々を抜きにしても、ソクラテスのウザさと 巧みな話術に燃える 152 : ゴム長(長屋) :2010/12/14(火) 03:20:41.70 ID:g5P8JhWei 衝撃的だったのは異邦人 あの最期の激昂と告白 154 : 風呂吹き大根(岩手県) :2010/12/14(火) 03:22:59.19 ID:r4JCuRHJP >>152 ママンを殺し

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    kotobuku 2011/02/03
    2ch 文学案内 その2
  • ただ面白いだけじゃなくて一生忘れられないような衝撃が走る小説ないんけ? : ゴールデンタイムズ

    147 : まぐろ(catv?) :2010/12/14(火) 03:17:32.40 ID:G9aL3QmE0 枯木灘 148 : コーンスープ(京都府) :2010/12/14(火) 03:18:49.47 ID:wZHMWZ2B0 枯木灘は凄いらしいな。 4 : ボジョレー(九州) :2010/12/14(火) 00:08:18.09 ID:vfi7yzd8O 京極夏彦 姑獲鳥の夏からてっその檻まで 5 : ハンドクリーム(埼玉県) :2010/12/14(火) 00:08:18.36 ID:pf031AtV0 刑務所のリタ・ヘイワース 8 : 風呂吹き大根(福岡県) :2010/12/14(火) 00:10:19.45 ID:nTkIYvCqP BE:287803073-PLT(18678) 内田百閒の「ノラや」 6 : 風呂吹き大根(東京都) :2010/12/14(火) 00:

    ただ面白いだけじゃなくて一生忘れられないような衝撃が走る小説ないんけ? : ゴールデンタイムズ
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    kotobuku 2011/01/25
    読書ガイド。ほとんど読んだことがなかった。。
  • nix in desertis:第171回『アンナ・カレーニナ』トルストイ著,望月哲男訳,光文社古典新訳文庫

    タイトルを『コンスタンティン・リョーヴィン』に変更すべき。と,おそらくすでに言われまくっているであろうことを,あえて冒頭に掲げておく。 書を読んだのは二回目だが,一回目は大学1年の頃で,(某人の推薦で)義務感に駆られて読んだのもあり,旧約の読みづらさもあり,当時の自分の読解力もあり,ほとんど今回が初めてのような感覚で読んだ。感想が当時と大きく違うので,そこら辺を各登場人物に対する評価としてつらつらと語っていく。既読者はぜひ,コメントの程を。 アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫) 著者:レフ・ニコラエヴィチ トルストイ 光文社(2008-07-10) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る 以下,全編ネタバレ。 ・アンナ・カレーニナ 昔読んだときはちょっとかわいそうな人だなと思ってたけど,今回一番感想変わったキャラ。かわいそうな人なんかではない,ただのメンヘラ。ヴロン

  • 血糖値測定器

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    kotobuku 2010/10/26
    近現代日本文学史年表
  • アラビアンナイトは面白いのか - jun-jun1965の日記

    『アラビアン・ナイト』ないし『千一夜物語』だが、シンドバッドとかアリババとかいうのは、これの傍系物語らしい。鳥越信は、子供の頃シンドバッドやアリババを読んだが、大人になって物を読んだら、それ以外のほうがずっと面白かったと書いている。 しかし、当に面白いのだろうか。というわけで、今朝からちくま文庫の、佐藤正彰訳を読み始めたのだが、肝心のシャハラザーデの語るお話というのがどうも面白くないし、第一話の中で話が始まる。これはバロック小説などによくあるのだが、それでややこしい。とにかくアラビア人も西洋人と同じで、やたらと「寝とられる」ということを気にする。そして悪鬼が出てきて人を動物に変えてしまう。そればっかりで、今中途でやめて憮然としているのだが、果してこれから先へ行くと面白い話が出てくるのだろうか。 これはもともと、英国のバートンの訳、フランスのマルドリュスの訳などで広まったもので、日では

    アラビアンナイトは面白いのか - jun-jun1965の日記
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    kotobuku 2010/10/26
    結局あれではないか、『アラビアンナイト』が面白いというのは、オリエンタリズムではないのか。アラブ女の黒人奴隷との密通とか、そういうのだけで西洋人は興奮したのではないのか。 by猫猫先生
  • 「古典よむ部」ガイドラインです! - がらくた銀河

    先週水曜に「つくるぞ」宣言した「古典よむ部」、発起人のわたしがモタモタしてる間にみなさんドンドン先にすすんでるご様子でめでたい限りでございます*1。 なにはともあれ、こんな変な名前の「古典よむ部」にご興味をもってくださってどうもありがとうございます。とってもとっても嬉しいです! とりあえず、はてなハイク「古典よむ部」を掲示板的に使っていこうかと考えています。 古典よむ部 http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%82%88%E3%82%80%E9%83%A8 ハイクユーザーの方は、このキーワードをご自身の「お気に入りキーワード」にいれてくださると嬉しいです。 ハイカーさんじゃない方は、是非とものぞきに来てくださいねv 以下、活動内容の簡単で暫定的なガイドラインです。 〜個人活動〜 まずは古典を読む。 (何を隠そう、この時点で「入

    「古典よむ部」ガイドラインです! - がらくた銀河
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    kotobuku 2010/09/07
    とりあえず『徒然草』『未来のイヴ』『ロリータ』を読み始めました。
  • リトル・ピープルとは - 熊田一雄の日記

    『読売新聞』に2009年6月16日から3日間に渡り、村上春樹さんのインタビューが掲載されていました。 16日のインタビューでは、村上春樹さんは「1Q84」に登場する「リトル・ピープル」について次のように答えています。 神秘的なアイコン(象徴)として昔からあるけれど、言語化できない。非リアルな存在としてとらえることも可能かもしれない。神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれていて、ある状況で突然、力を発揮し始める。例えば、鳥インフルエンザのような、特殊な状況下で起動する、目に見えないファクターでもある。あるいは、それは単純に我々自身の中の何かかもしれない。 『毎日新聞』2009年9月17日号掲載のインタビューでは、村上春樹さんは以下のように答えています。 リトル・ピープルがどういうものか、善か悪か、それは分からないけれど、ある場合には悪(あ)しき物語を作り出す力を持つもので

    リトル・ピープルとは - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    深い森の中にいるリトル・ピープルは善悪を超えていると思うけれども、森から出てきて人々にかかわることによって、ある場合には負のパワーを持つのかもしれません。
  • カレワラ - Wikipedia

    『アイノ』(アクセリ・ガッレン=カッレラ、1891年) - ワイナミョイネンは乙女アイノに求婚するが、アイノはそれを厭って見知らぬ海辺で溺れ死ぬ 『カレワラ』(Kalevala、カレヴァラ) は、カレリアとフィンランドの民族叙事詩。[1]19世紀に医師エリアス・リョンロート(Elias Lönnrot, 1802年 - 1884年)によって民間説話からまとめられた。フィンランド語の文学のうち最も重要なもののうちの一つで、フィンランドを最終的に1917年のロシア帝国からの独立に導くのに多大な刺激を与えたとされている。名称は「カレワという部族の勇士たちの地」の意[2]。 リョンロートによる『カレワラ』は、1835年に2巻32章からなる叙事詩として出版され、当時の知識人階級に大きな衝撃を与えた。その後、それを増補し、1849年には全50章からなる最終版として出版した。[3] フィンランドの作曲家

    カレワラ - Wikipedia
  • 時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ

    今年はショパン生誕200周年というわけで、年明けからあちこちで色んなことに関わっていますが、『葬送』というと、今でも思い出すことがあります。 まだ文庫が出る前でしたから、多分7年前くらいのことです。 とある女性から手紙をもらったのですが、その中にこんなことが書かれていました。 自分の夫はガンで、余命数ヶ月と宣告されている。その夫が、『葬送』が大好きで、残された時間をもう一度、『葬送』を読むことに費やしたいというので、大学生の娘と、毎日交代で、病室で朗読してあげている、と。 作家として、こんなに光栄なことはなく、勿論、うれしかったのですが、どんなに愛着のある自信作であったとしても、自分の書いたものにそれほどの価値があるのだろうかと、正直、深く考え込みました。ご人の意志とは言え、もっと他のことに時間を使ってもらった方が良いのではないか、と。 今でこそ、ツイッターで読者とも気軽にやりとりをし

    時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ
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    kotobuku 2010/07/20
    僕の中には、小説体験こそが人生の最高の喜びだと信じる一面と、人生には小説を読むことなんかよりももっとずっと重要なことがあるはずだと思う一面とが、常に矛盾して同居しています。
  • ラオコオン論争 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ラオコオン論争" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年12月) ラオコオン論争は、視覚芸術をめぐって18世紀のドイツを中心としたヨーロッパで行われた議論である。論争の発端となった者はドイツの詩人・思想家のゴットホールト・エフライム・レッシングで、その論争は、絵画や彫刻など視覚的な芸術を「空間芸術」と定義し、文学や舞台など視覚以外の要素が混然とした芸術(時間芸術)から区別することにつながった[1][2]。 当時の美術の趨勢[編集] ヨハン・ゲオルグ・スルツァー(英語版)やモーゼス・メンデルスゾーンたちの提唱していたのはゴ

  • http://www.cnc.takushoku-u.ac.jp/~kakyonet/public_old_html/japanese/column/030225_stories_of_hakka_woman.html

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    kotobuku 2010/06/20
    『客家の女たち』を読む
  • ル=グウィン 『ゲド戦記5 ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』 - 蟹亭奇譚

    ドラゴンフライ アースシーの五つの物語―ゲド戦記〈5〉 (岩波少年文庫) 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ディビッド・ワイヤット,Ursula K. Le Guin,清水真砂子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/03/17メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログ (7件) を見る 原著は2001年3月に刊行された中短編集。翻訳版は以前、『ゲド戦記外伝』 という題で別巻扱いになっていたが、岩波少年文庫版では第5巻になっている。『アースシーの風』 のほうが執筆、原著刊行ともにあとなので、そちらを第6巻とするのが正解。したがって、当ブログでは 『ドラゴンフライ……』 を5と呼ぶことにする。 ル=グウィンがゲド戦記を書くとき、現実の世界では戦争が起る。 1〜3が書かれたのはベトナム戦争中だった。(これは今読むと、ああ、そういう時代の話だよな、というのが理解できる。

    ル=グウィン 『ゲド戦記5 ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』 - 蟹亭奇譚
    kotobuku
    kotobuku 2010/06/01
    ゲド戦記5。収録作品は様々な年代を舞台としており、地理的な広がりよりも、どちらかというとアースシーの歴史に焦点が当てられている。『ゲド戦記はまだ未読なのでそのうち読みたい。まだ続いてたんだ。』
  • ある無神論者の悲劇/正宗白鳥

  • 《語り手の視点》の観点から夏目漱石を読む - 蟹亭奇譚

    スランプを脱する薬が欲しい - 備忘録の集積 id:keiseiryoku さんのエントリを読んで、小説に書かれている視点の変化について興味をもったので、一つ記事を書いてみることにしたい。(ただし、創作上の助言などのつもりではないので、あてにしないでいただきたい。) で、またしても夏目漱石である。 漱石の初期の主要な小説、『吾輩はである』、『坊っちゃん』、『草枕』 はいずれも 《吾輩》、《おれ》、《余》 という一人称で書かれている。主人公自身が語り手であって、『吾輩』 のように、主人公が死ぬとストーリーがそこで終わってしまうケースもある。つまり、主人公以外の視点が入りこむことが全くないのである。 これが中期の小説、『三四郎』、『それから』、『門』 あたりになるとだいぶ変わってくる。三作とも三人称で書かれている作品だが、これらはどのような視点で描かれているのだろうか。 三四郎はぼんやりして

    《語り手の視点》の観点から夏目漱石を読む - 蟹亭奇譚
  • 「イスラーム」の二重基準 - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20100425 ええと、一応元塾生徒さんなので解説しますがそういうことはジェラール・ジュネット『物語のディスクール』が基書で、「神の視点」というより全知視点といいます。また三四郎は視点人物であり、作中内の語り手であります。また歴史的にいえば、小説はむしろ元来全知視点で書かれており、20世紀に入ってから視点を限定するようになったというのが通説であります。もうひとつ基書はウェイン・ブースの『フィクションの修辞学』です。 - 最近「イスラーム」という表記が多い。それが正しいというのは、書く当人がそう書くなら別にいいのだが、「イスラム」と書くと「イスラーム」と直す校閲や編集者がいて、それはどうか、と思うのである。だってそれなら「ソクラテス」だって「ソークラテース」が正しい、ということになってしまうから。「ウラジオストック」

    「イスラーム」の二重基準 - jun-jun1965の日記
  • 青空文庫 Aozora Bunko

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