落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが死去したことが23日、分かった。75歳だった。 東京都出身。昭和27年、五代目柳家小さんに入門。早くから才気を表し、先輩からは“天狗(てんぐ)″と非難されたものの、38年に真打ちとなり、五代目立川談志となる。以後、日本テレビ系番組「笑点」の大切りの仕切り役なども務め、毀誉褒貶(きよほうへん)はあったが、江戸っ子風の威勢のよさと、歯にきぬ着せぬ毒舌でトップクラスの人気落語家になった。 社会的発言を好み、46年には参議院選挙に出馬して当選。三木武夫内閣で沖縄開発政務次官に就任したが、問題発言によりわずか36日で辞任した。1期6年の議員活動の後に本業に戻ったが、58年には師の小さんと対立して落語協会を脱会、立川流を創設して家元となるなど、落語界の異端児の健在ぶりを示した。 平成9年に食道がんを告白。近年は持病の糖尿病な
■体が山をほしがる 目標に向かって全力で突き進んでいる人の姿ほど美しいものはない。こんな言葉を捧(ささ)げたくなる登山家である。凍傷で手足合わせ10本の指を失う傷を負っても、諦めずに世界の大岩壁に挑み続ける。日本全体が活力を失いつつあるいまだからこそ、彼のように目標を持って生きていくことが大切なのかもしれない。(文・木村良一) ◇ --午前中も登っていたのですか 山野井 はい。手に滑り止めの粉が付いているでしょ。近くの岩を登っていました。奥多摩駅(東京・青梅線)から車で少し行った山ぎわの高さ20メートルの岩です。6日間ほどやったのですが、どうしても登れない。わざと難しいルートを選んでいるのですが、また駄目でした。 --指がないからだと思いますが、それでも酸素ボンベなしに氷点下20度、30度のヒマラヤやカラコルムの垂直の氷雪壁を何度も登ってきたクライマーで
発狂するような幸せ --山自体が目標ですね 山野井 うーん。そう、確かに。次にどの山に登るかが決まってないと落ち着けない。10歳のときに山登りを始めてから、半年後はこれをやろう、来年はこれだと具体的に登山の目標を設定してきた。それがこれまでずっと続いている。 《小学校5年のときに仏映画「モンブランへの挽歌」を見てクライマーになる夢を抱く。叔父さんに奥多摩や南アルプスに連れていかれ、中学3年のときには社会人山岳会の日本登攀(とうはん)クラブに入る。16歳のときに谷川岳の一ノ倉沢、北アルプスの滝谷、屏風(びょうぶ)岩などを登る》 《高校を卒業後、アルバイトをしながら米国カリフォルニアのヨセミテ国立公園でクライミング技術を磨き、北米や南米、欧州各地の大岩壁のほか、ヒマラヤやカラコルムの高峰に挑戦してきた。資金援助のスポンサーは付けない》 --現在の目標は 山野井 2年前にヨセミテで登れなかっ
一川保夫防衛相は22日、在京のブータン総領事館を訪れ、ワンチュク国王夫妻歓迎の宮中晩さん会を欠席し民主党議員のパーティーに出席したことについて「ご迷惑をおかけし、申し訳なかった」と陳謝した。対応した日本大使を兼任するナムゲル駐インド大使は「恐らく国王はご存じない。気にしなくていい」などと答えたという。 これに先立ち、一川保夫防衛相は参院外交防衛委員会で、自民党の佐藤正久氏に国王の名前を尋ねられたが、即答できなかった。 不意をつかれた一川氏は後ろにいた秘書官に確認し「ワンチュク国王と思う」と答弁。佐藤氏は「名前も覚えていないのは『反省がない』といわれても仕方ない」と厳しく批判した。ガンジスのほとりで ブータン国王に拝謁
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