2008年は、一連のケータイ小説研究と、『ゼロ年代の想像力』と『日本語が亡びるとき』が出版される必然性があった一年であったということでしょう。これらの著作は同時に読まれなければならない。 というわけで今日は、昨年考えていたいくつかのテーマに響くあれこれの記事をリンクしてみます*1。 90年代位から、もはやポストモダンとは呼べない新たなタイプの言説が見られるようになった(略)なぜポストモダンではないかといえば、そこにはある種の必然性、自然主義、つまり「大きな物語」が再び顔を出しているからである。それが「世界化(mondialisation, globalisation)」の時代である。われわれはいわば束の間の幸福な時代としてのポストモダンを脱出し、経済原理に支配された、9・11に象徴される「世界化」という脅威の時代に入った。「世界化」の「世界(globus)」とは地理的・歴史的に飽和された全
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