石神井公園南口の再開発によって『サンメリー』『富士そば』『はなの舞』など、長年親しまれたお店が次々と閉店となった。 そして、創業77年の『まなマート』までもが、1月15日をもって閉店と言う報せは、石神井民(特に南口民)を絶望のドン底に突き落とした😨😨😱
前回は、様々な観点から「米が日本の主食である」という言説を批判的に検討しました。今回は、米や主食に関して雑談めいたことを述べたいと思います。 サブタイトルの3つの用語に共通するものは何か。それは、「飢饉」です。 日本人の大多数が飢饉から解放されてから、まだ数十年しか経っていません。少なくとも戦前までは、日本人にとって飢饉は決して無縁のものではありませんでした。例えば、昭和初期には東北地方で過酷な飢饉が慢性的に続きました。 歴史上、現在のように食料が有り余っている時代は例外中の例外です。日本の歴史は飢饉の歴史だと言っても過言ではないほどです。詳しくは、以下の書籍をご参照下さい。 菊池勇夫 近世の飢饉 吉川弘文館 藤木久志 飢餓と戦争の戦国を行く 朝日選書 清水克行 大飢饉、室町社会を襲う 吉川弘文館 大豆生田稔 お米と食の近代史 吉川弘文館 毎日が飢餓と隣合わせなのに、庶民が米を主食とするよ
荻原由紀著、パンとアメリカ小麦戦略「べき論」に惑わされないために【前編・後編】と謂う専門誌掲載の記事を読みました。これは技術と普及*1と謂う雑誌の2006年10月号から11号にかけて掲載されたものです。 どらねこがどうしてこの記事を読んだのかと謂うと、過去にとても興味深いと思って紹介した論文の著作者によって書かれたものだからです。いつか読みたいな、と思っていたのですが、入手することが出来たので早速読み進めてみました。前回同様、これも一般の方が目にする機会はまずないだろうと思います。それではあまりにももったいないですから、書評ではあるものの、記事の内容を引用多めに紹介したいと思います。 ■そのまえに パンとアメリカ小麦戦略とはいったいどのようなモノなのでしょうか? 第二次世界大戦後、経済的に疲弊し食料事情も悪化していた日本に、経済的援助をエサに日本の主食を小麦に変えてしまおうと謂うアメリカの
速水健朗『ラーメンと愛国』(講談社現代新書) なぜ近頃のラーメン屋の店員は作務衣を着るのか(本書では「作務衣系」という造語が使われている)、店内に相田みつを風の手書きの人生訓が飾られるのか問題については、確か『自分探しが止まらない』の頃から著者は言及していたはずで、新刊がラーメンをテーマにしていると知ったとき、今回はその線からの『自分探しが止まらない』の続編的な内容なのかなと予想していた。 しかし、本書はラーメンの普及と変化を通し、グローバリゼーションにおけるローカライズ、日本人にとってのもの作り、そしてナショナリズムまで論じる紛れもない日本文化論である。帯にある「ラーメンから現代史を読み解くスリリングな試み!」は大げさではなく、いささか強引な展開を感じさせるところもあるが、些細な手がかりからぐいぐい引っ張り読ませるところなど『ケータイ小説的。 "再ヤンキー化"時代の少女たち』を思い出させ
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