高倉健さんに続いて菅原文太さんが亡くなった。思い起こすのは、記者生活2年目で初めて担当した東映フライヤーズの身売り話の取材だ。 1973年1月。早朝の東京・銀座の東映本社玄関内。「アレッ? 今日はどうしたんだろう。社長の車が到着したのに、入ってこない」。寒さに震えるストーブリーグ取材なので、少しでも暖かい所で待機、朝駆けの毎日だった。 当時の岡田茂東映本社社長が入ってくると、エレベーターに同乗して社長室前までぶら下がり取材ができる。だが、この日に限って玄関に入ってこない。外では岡田社長が大きな看板をしみじみと見上げている。何があるのかと尋ねると「オレはこの映画に社運をかけているんだよ」という答えが返ってきた。 岡田社長が社運をかけた正月映画こそ、文太さん主演の『仁義なき戦い』だった。見事に大ヒットしてシリーズ化。金看板の高倉健さんの任侠映画以降、低迷していた東映が一気に復活した。そして、陣
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