作品紹介・あらすじ レストランで食べるリッチで重い料理とはちがい、インドの庶民が毎日食べているのはシンプルで軽いヘルシーなものばかり。しかも朝昼夕晩と、生活のリズムに合わせた素材選びやスパイスの使い分けは、さすがアーユル・ヴェーダ(「生命の科学」という意味の伝承医学)の国。カルカッタ出身のジョイと信州出身の邦子の食いしん坊夫婦が、簡単にできる家庭の味80をご紹介します。
![『インド家庭料理入門―アーユルヴェーダで食べる朝昼夕晩』(ロイチョウドゥーリジョイ)の感想(10レビュー) - ブクログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2c7b8491887921bba778f6a321857bdecc2baeb2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51qQ6vyDI5L._SL500_.jpg)
本書は、そのタイトル通り「社会調査」を行う研究者が、「計量テキスト分析」を行うための「テキスト」。一般論としての社会調査や分析手法の説明ではなく、作者が開発したKH Coderというテキストマイニングの分析用ソフトウェア―に特化した「事例論文」と「使用マニュアル」である。研究、とりわけ社会学的な研究領域では、その双璧をなす研究手法が「量的研究」と「質的研究」であるが、本書は後者での記述的な内容分析を計量的な研究へと発展させるべく、自らが分析ソフトを開発、研究へと適用した。内容分析は、ともすると研究者の主観や価値判断が入り込むリスクに晒されるが、計量的な手法を分析ソフトとして導入することにより、研究成果の客観性・再現性更には新たな知見発見への可能性を高めた意義は大きい。前半の研究事例論文と後半のソフト使用マニュアルは、相互に行き来することによりこのソフトによる研究が論文作成にまで繋がる点は有
題名の通りですが、コーヒーを基軸に世界史の知識が深められる本です。 以前に拝読した「おにぎりと日本人(増淵敏之著)」と共通した面白さがありました。 本書の中で、バッハのコーヒーカンタータ(1732年)が紹介されていたので、YouTubeで聴いてみました。当時のコーヒーの流行っぷりを音楽を通して感じ取れた気がします。 モカブレンド好きの私は、本書でモカの歴史を知れて嬉しかったです。 -------------------------------- ◆モカについて イエメンの「モカ」コーヒーが、オランダのアムステルダムに定期的に輸入されるようになったのは1663年。増大する消費量に対し、イエメンだけが産地であるコーヒーには、需要と供給に差があった。 利益が保証されているのなら、アラビアの商人を介在せずに、自分たちで作って売る方が稼げると気づいたオランダ人は東インド会社を設立。自分たちの植民地に
ユダヤ教はキリストの通俗的な適用。ユダヤ教は一般的に支配されるようになり、外化された人間や外化された自然を譲渡されるよう、キリストがユダヤ教に矮小化された。 仁とは孔子の場合、身分的上位者が会社に対して示す温情に他ならない。仁を実践せよ、との要求は多かれ少なかれ、身分的上位者の権力欲を統制することになる。 その仁でさえ文化大革命には毛沢東自身の内部で消滅した。 柳田國男が仏教を嫌いなのは、彼の父が神官だったからか?
本書は、能力主義について、その「再帰性」という観点から、社会全体を分析対象にして論じている。国内外における近年の大学や就職に係る能力観の議論は、やや食傷気味の感があったが、本書はアプローチの方法も結論も大きく異なる。能力主義は再帰的な性格を帯びるものであることを、明瞭に示したこの仕事はとても重要である。 第1章では、「『新しい能力』であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初から分かり切った能力にすぎない」(p.46)と早々に断じた。能力観が変わってきた、という固定観念に対処するために、これまでの議論から「最大公約数的な陳腐な能力」を毎回定義し直してきている、という見方は、非常にわかりやすかった。 また個人的には、この「再帰性」という言葉の説明力の大きさに気づかせてもらったことは有益だった。再帰性とは、「常に反省的に問い直され、批
作品紹介・あらすじ ヒトが何かを食べるとき、その食べ物に込められた「物語」も一緒に味わっている――そんなセリフを聞いたことはないでしょうか。 コーヒーはまさにその最たる例です。カップ一杯のコーヒーの中には、芳醇なロマンに満ちた「物語」の数々が溶け込んでいます。その液体を口にするとき、私たちはその中の「物語」も同時に味わっているのです。コーヒーの歴史を知ることは、その「物語」を読み解くことに他なりません。歴史のロマンを玩味するにせよ、知識欲の渇きを潤すにせよ、深く知れば知るほどに、その味わいもまた深まるというもの。一杯のコーヒーに潜んだその歴史を、この本で一緒に辿ってみましょう。 先史時代から今現在に至るまで、コーヒーが辿った歴史を、起源に関する最新仮説なども交えながら、できるだけわかりやすく本書にまとめました。近年話題の「スペシャルティ」「サードウェーブ」「純喫茶」なども、じつは混乱の多い
内容の簡単な説明は他に任して私は自分の経験に照らして感想を書く。 とは言っても、経験を軽々しくは書けない。私は彼らの人生をどられくらい知っているのか、自信がない。ただ、労働組合運動で10件ほどのケースに接してみて思うのは、例えばパチンコで生活保護費のほとんどを使ってしまって困っているという話を聞いて、軽々しく不正受給だとか、受け取る資格がないとか、生活態度を改めるべきだとか、人に話したり、SNSで書くべきではないということだ。そのことが仕方ないことだとは、私も思っていない。しかし本人に優しく厳しく注意出来るのは、本人と深く関わっている支援者だったりケースワーカーに限ると思うのだ。 私がビックリしたケースにこういうことがあった。ある生活保護受給をしている青年で、仕事も決まったばかりの彼が、新しい給料が出るまでの生活費の1-2万円を借りれないかと言って来たのだ。私は意外だった。彼はたまたま職を
日頃おおっぴらに影響を話すことはほぼない、しかしおそらくは多くの男性が1度は御世話になったことがあるであろう、AV。女優さんが出演する経緯はなんだったのだろう?貧困や差別から飛び込まざるを得なかったとか、スカウトにだまされて出る羽目になったとか、人生に張り合いを持つために出ることにしたとか・・・普通に考えるとそんなところだろう。 本書で登場するAV女優の出演の動機であるが、多くは大まかにいって想像通り、差別と貧困、そして自己啓発。”AV業界の闇”に話を持っていきたいのか、どの女優へのインタビューを見ても世の不条理のためにAVを選んだ、という結論にたどりついている。 覗いてはいけないものを見てしまった、というある種の罪悪感、自分たちより不幸な人がいる、という優越感。本書は或る意味でAVであり、人間のいやらしさを当て込んで世に出た物であろう。
カレーは美味しい。カレーといっても普通の日本のカレーライスではなく、大皿に小分けにされた数種類のカレーと、何種類かのおかず、そして中央にはライスが鎮座するカレー、それらを混ぜながら混ぜながら食べるカレー。その名前はミールス。本当に冗談抜きでうまい。 この5倍ぐらいの熱量で書いてたレビューが消えてしまった。悲しい。でもカレーはうまい。仙台のあちゃーる、喜多見のbeet eatもほんとうまい、国立のダバ・クニタチ、もう一回いきたい。ミールスを食べている間は幸せしかない、脳内物質がドバドバになっていることを感じる。きっとあなたも感じれるはず。これを読んでカレーを食べに行くといいと思う。一人でもいいし、二人でもいいし、もし好きな人と一緒に行ったらもっとその人を好きになれるくらい美味しい。好きじゃない人と行っても好きになっちゃうんじゃないかっていうくらい、脳がバグるくらいうまいと本気で思ってる。
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