人気再燃!ポケモンGOをより楽しむウェアラブルデバイス4選 街中で『ポケモンGO』を遊ぶにしても、スマートフォンを出したりしまったりしながら歩くのはなかなか難し…
1801 – ジョセフ・マリー・ジャカールがパンチカードを使った織機によってタペストリーに"hello, world"と織り出す。しかしラッダイト (当時のRedditer) たちは、テールリカージョン、並行処理、大文字小文字の区別を欠いていたため、さほど感心しなかった。 1842 – エイダ・ラブレスが最初のプログラムを書く。彼女の努力は、プログラムを実行するコンピュータが実のところ存在しないというマイナーな問題のために頓挫した。後にエンタープライズアーキテクトたちはプログラムをUMLで書くために彼女のテクニックを再び学ぶことになる。 1936 – アラン・チューリングが存在しうるあらゆるプログラミング言語を発明するが、特許化する前に英国情報部員(後の007)によって抹殺される。 1936 – アロンゾ・チャーチも存在しうるあらゆる言語を発明しているが、より巧みに行った。チャーチのラムダ
「毛沢東記念堂には、行っても構わないが、覚えておきなさい、その記念堂は『靖国神社』だ。中に、まつられるのは、両手に人民の血がついた殺人鬼。行ってもいいが、どんな心持で見るのか、あれらはみな偽物だ」「私は天安門広場に絶対行かない。車で通るだけで鳥肌が立つ、4千万の怨魂がおり、実に恐ろしい。名前を変えるべきだ。『大虐殺記念館』と」 【出典:新唐人TV】http://megalodon.jp/2010-0508-1250-54/www.ntdtv.jp/ntdtv_jap/zgjw/2010-05-05/362823317302.html 【YouTube】http://www.youtube.com/watch?v=59agvtyiENE 【朝鮮日報】http://megalodon.jp/2010-0508-1249-43/www.chosunonline.com/news/20100
(10/03)聖人とコブラ (09/14)朝日新聞と日本の異常な新聞観 (08/18)ヘイト・プロパガンダ (08/04)第一次世界大戦 (02/18)メリットの有無と戦争 (02/15)ジョブスの教え「お客様は神様です」 (02/12)クール・ジャパンとハリウッド (02/11)悪いのは猫である (02/10)架空戦記に見るステレオタイプ (02/07)テレビの性 (01/31)醜いスポーツ (01/30)みんなでやってる感 (01/29)肩書きはチラ裏を金言に変える (01/27)過去は清算できない (01/25)英のEU離脱と日英ブロック (01/24)イーベン・バイヤーズの悲劇 (01/22)「国家ブランディング」は国を滅ぼす (01/21)もっと感動を! (01/18)Too good to bear (01/17)過去を反省しない日本の原点
1880年代といえばまだほとんどの西洋人は日本に自由に入国することができなかった時代ですが、明治時代初期の1873年に来日したイタリア人アドルフォ・ファルサーリは横浜に写真スタジオを開き、在留外国人と外国人旅行者に土産として販売するために数多くの写真を撮影しました。 熟練の職人によって1枚ずつ手作業で彩色された写真は幻想的な雰囲気を帯び、当時は生まれてもいなかった現代の日本人が見ても不思議とノスタルジーを感じるものとなっています。 詳細は以下から。Adolfo Farsari – The Man Who Shot Old Japan | Quazen 写真は当時の日本人にとっては非常に高価だったため購入者のほとんどは外国人で、観光客にアピールするような主題が選ばれています。 Image Credit ファルサーリも自分の写真を芸術としてではなくビジネスととらえていたようで、撮影された人々の
ビルゲイツがWindowsをやるぞ、と決心したその日、その瞬間に私はその場に居合わせたのでした。 それは、1983年5月16日のこと、目の前がディズニーランドというロスアンジェルスのアナハイムで、NCC(National Computer Conference)という展示会が開催されました。 その当時は、WCCF、Comdex、NCCがコンピュータの展示会として実績があり、マイクロソフトも初めて「マイクロソフト・マウス」「マルチプラン」そして「マルチツール・ワード」を主たる製品としてNCC83の展示に望みました。 コンピュータ業界では新参者のマイクロソフトは展示会場の建物内にブースを構えることができず、急遽しつらえられた巨大な白いテント内にブースを構え後にブース内の気温が上がり、消防署の指示により展示を中断するという事態になりました。 マイクロソフトは、緑色のマウスをPCに繋ぐということは
オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説(参照)はすばらしかった。自分のメモとして要点部分を抜粋したあと、そういえばとブログ用に試訳を添えてみた。ネットを覗くと、朝日新聞(参照)と共同(参照)の訳があり、それらの訳文を見ると、ほぉと思うこともあったので列記しておきたい。 I face the world as it is, and cannot stand idle in the face of threats to the American people. For make no mistake: Evil does exist in the world. A non-violent movement could not have halted Hitler's armies. Negotiations cannot convince al Qaeda's leaders to lay do
足利尊氏ってこんな人 後醍醐天皇に乗って倒幕に参加 後醍醐天皇の政治がクソなので、武士の土地保証を独自に開始 後醍醐天皇の息子護良親王に邪魔されたので、周到に追い詰めて鎌倉に幽閉 機会を上手くつくって鎌倉を奪取 キレた後醍醐天皇が新田義貞を仕向ける 尊氏、天皇に反逆してる事に気付いて発狂 発狂して、寺に閉じ込もる 尊氏の弟の直義、しかたがないので自分が出陣 直義ボロ負け 尊氏、出陣 尊氏のありがたい台詞「弟の直義が死んだとしたら、俺が生きている意味は無い」 尊氏、新田義貞を破る 尊氏、そのまま京都に攻め登る 奥州から帝方の北畠顕家が追って来た 尊氏、京都でボコボコにされる 尊氏、九州まで逃げる 尊氏、逃げる途中で皇室の偉い人から旗を貰う 尊氏、九州で千人ぐらいの軍を纏めあげる 尊氏、菊池軍三万に襲われる 尊氏、千人で三万に勝つ 尊氏、九州で大軍を纏
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Foreign Policy誌にエドワード・ルトワックが、米国はローマ帝国ではなくビザンティン帝国を範とすべし、と書いている(The Big Picture経由)*1。 ルトワックに言わせれば、ローマ帝国の容赦無い拡張主義や外国人支配や全面戦争の手法を米国が真似たら、却って没落を早める、むしろローマ帝国よりも8世紀長続きしたビザンティン帝国の方を手本にすべし、とのことである。また、ローマ帝国はあまり戦術・戦略に関して文献を残さなかったが、ビザンティン帝国はすべて書き残しているという。ルトワックは過去20年間にそれらの文献を渉猟して、以下の7つの米国への教訓を引き出したとの由。 戦争は可能な限り避けよ。ただし、いついかなる時にも戦争が始められるかのように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦闘準備態勢にあるべきだが、戦争を望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争を余儀なくされる確率を減
WOWWOWを見ていたら、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という映画を放送していました。去年公開された映画です。内容はタイトル通りで、40年前に社会を揺るがした極左過激派組織のお話しです。 ところで今月日本で、「バーダー・マインホフ・理想の果てに」という映画が公開されます。「実録連合赤軍」と全く同時期にドイツで活動した過激派の話で、日本では「おくりびと」とアカデミー賞外国語映画賞を争ったことで知られています。 以前ぼくは、この映画の主役であるバーダー・マインホフ・グルッペ(アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフを軸に活動したグループなのでそう呼ばれる)に興味を持ったことがあり、この映画の原作も読んでいたので、しばらく前にこちらの方を先に見ていました。そして今回たまたま「実録連合赤軍」を見たのですが、同じ時代に、同じ夢を見て洋の東西で起きた若者の反乱が、異様なほどシンクロしていな
[速報]サンの27年間の歴史にさよなら。SPARC、Java、MySQLはオラクルが引き継ぐ。米Oracle OpenWorld基調講演 サンフランシスコで開催されている米オラクルのOracle OpenWorld 2009。初日となる10月11日(日本時間10月12日午前)に行われた基調講演には、サン・マイクロシステムズ会長 スコット・マクニーリ氏が登場。1982年に創業された同社の27年間の歴史を振り返るシーンで幕が開けました。ライブストリーミング配信された内容を基に紹介します。 マクニーリ氏は、「オラクルカラーに近い色に合わせてきたんだ」と、赤い服で登場。サン・マイクロシステムズは27年間イノベーションを続けてきたと、まもなくオラクルによる買収が完了する見通しの同社の歴史をやや感傷的に振り返ります。リストの1番にあがったのは、最初のオープンソースとなったNFS。
岩本康志氏が政府債務の対GDP比の長期グラフをもとに、近年の景気対策を戦争になぞらえるエントリを書いた(池田信夫氏も引用している)。 そこではデータソースも言及されているので、取りあえずインターネットで入手できるものを小生も掻き集め、同様のグラフを描いてみた(データの詳細は後述参照)。 これを見ると、現在の債務残高比率は、第二次世界大戦末期の200%近い水準に近づいている。岩本氏は、このことから、第一次石油危機以降の景気対策を戦争に喩えた。 しかし、ここで注意すべきは、債務残高そのものではなく、その国民所得に対する比率を見ている点である。比率である以上、分子の債務残高だけでなく、分母の国民所得の動向も、当然その数値を大きく左右する。 そこで、内訳を見るため、同比率の各年の変化(対数変化率、%)を、分母の国民所得の変化と、分子の債務残高の変化に分解してみた。 (参考のため、債務残高比率も水色
数か月前から9月の頭(ちょうど一周年!)にこのたんぶらを閉じようと思っていたのですが。今回tsudaさんに指摘されたことをきっかけにいろいろと考え直した結果、いい機会なので今月中にbiccchi.tumblr.comを閉じることにします。サブアカウントもほとんど閉じます。zero-noteあたりは残るかもしれませんが。まぁ俺のことなので違う形でまたはじめたりしてそうですが、ひとまずbiccchi.tumblr.comは一区切りです。 当初はこんなに女子画像ばっかりになる予定じゃなかったんだけどなぁ。ていうか今でもあんまり女子ばっかりクリップしてる意識はないんだけど。振り返るとほんとに女の子ばっかりで自分でびっくりします。 最初から最後までいちリブロガーとしてわいわいやり続けられたのが本当によかったなぁ。tumblrのなにがきもちいいって、だーれもえらくないとこだよね。ハブになる存在がいて、
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