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核と政治に関するkumasuke583のブックマーク (4)

  • 核兵器使用を巡る米国大統領選の一コマ: 極東ブログ

    6月末日の久間元防衛相の「しょうがない」発言は国内で話題になった。しょうがないならディアボロ・ジンジャーでも飲めというお勧めも間に合わぬ内に彼は消えた。が、あの時の発言をちょっと振り返ってみる。同日の朝日新聞記事”久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」”(参照)より。 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。 ここで振り返ってみたいのは、久間の認識として「あの時、原爆使用という選択肢はあり得た」ということがあるとして、では、「これからも国際情勢によって

  • 「核」の管理という課題 - 雪斎の随想録

    ■ 『溜池通信』で紹介されていた『The Economist 』記事要旨からの抜き書きである。 久間防衛相が米国の原爆投下を是認するような発言をした。久間の発言は主流派歴史家の見解通り、原爆投下が日の降伏を早め、ソ連の大規模占領を防いだというもの。これが日の右派(歴史見直し派)と左派(反戦平和派)を結束させてしまった。不運にも久間の選挙区は長崎であり、自民党候補が民主党と競っている。九州は保守の金城湯池なるも、自民党の選挙マシーンは弱体化している。久間は7 月3 日に辞任した。 雪斎は、「久間発言は、教条的な『平和主義者』と観念的な『民族主義者』の醜悪な野合の光景を出現させた。誠に気色悪いものを見せられた想いがする」と書いたけれども、『The Economist 』記事要旨を前にして、「何だ。同じことを言っているやないけ」と反応する。 ■ 昨日付『産経新聞』「正論」欄に寄せた原稿である

    「核」の管理という課題 - 雪斎の随想録
  • 「核」に関する備忘録 - 雪斎の随想録

    ■ 日における冷戦研究の古典『冷戦の起源』(永井陽之助著、中央公論社)を再読する。このシリーズには、細谷千博、中嶋峰雄、入江昭、間長世、五百旗頭真といった先生方の著作が並んでいた。 何故、再読しようとしたかといえば、「何故、ハリー・トルーマンが原爆投下を決断したか」ということの考察が記されていたと記憶したからである。久間章生大臣は、何を念頭においていたのかと思ったのである。 この書の記述の中でメモしておくべきものを抜書きにする。「/斜線」以降は雪斎の補足である。 □ ドイツ降伏以前に原爆が完成したら、それがドイツに対して使用されたのは確実であった。 / 「黄色人種」である日人だから狙ったというわけではない。 トルーマンの発言には、人種偏偏見が指摘されるけれども、そう認識しなければ、トルーマンも「精神の平衡」を保てなかったということかもしれない。 □ 原爆投下は、日軍部に「戦争終結の

    「核」に関する備忘録 - 雪斎の随想録
  • 久間発言と「核」の自閉意識 - 雪斎の随想録

    ■ 五月中旬にフランスを訪問中にピエール・ガロワ将軍と面談した折、将軍が雪斎に次のように問い掛けて来た。「犠牲者の数からすれば、東京空襲のほうが、広島・長崎jよりも被害は多いはずだ。それなのに、何故、日人は核を特別なものと認識するのか」。一瞬、「ぎくっ」としたものである。 雪斎が言論家として最初期の題材としていたのは、「唯一の被爆国」感情によりかかって「核」を語る姿勢への批判であった。もし、「核の惨禍」を再現させないという意志が物であるならば、日こそが、近年の「核の拡散」を防止するための知恵を持っていてしかるべきである。実際には、そのような知恵が過去において大々的に蓄積された形跡はない。だから、北朝鮮核を巡る「六ヵ国協議」の議論を主導できない。過去半世紀、日は、「反核」の念仏を唱えていたのか。 そこに伝ええられたのが、久間章生防衛大臣の「核」発言である。もう「永田町」の外にいる身分

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