シリアにおける内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている[16][17]。チュニジアのジャスミン革命とエジプトの民主化革命のように、初期はデモ行進やハンガーストライキを含む様々なタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた[18]。 初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている[19]。 その後は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じて過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党(PYD/Partiya Yekitiya Demokrat)をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴァが
ハーフィズ・アル=アサドと家族。後列左から二人目がバッシャール、中央が事故死した兄バースィル バッシャール・アル=アサド(アラビア語: بشار الأسد, 転写:Bashshār al-Asad, 英字表記例:Bashar al-Assad、1965年9月11日 - )は、シリアの医師、政治家、第5代大統領(在任2000年 - )、バアス党地域指導部書記長。宗教的にはアラウィー派に属す。前任のハーフィズ・アル=アサド大統領の次男。日本の報道機関ではバッシャール・アサドと表記される。 概要[編集] ダマスカスで生まれ育ったバッシャールは、1988年にダマスカス大学を卒業。シリア軍で軍医として働いた。4年後の1992年、ロンドンに本部を置くウェスタン眼科病院で眼科を専門とする大学院に通った。 1994年、バッシャールの兄にあたるバースィルが交通事故で死去したため、再びシリアに帰国。陸軍士
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く