2-日本文学に関するkuroshiorのブックマーク (39)

  • 『日本幻想文学集成』総目次

  • 草野心平:死んだら死んだで生きていくのだ - 壺 齋 閑 話

    筆者が草野心平の詩に親しむようになったのは、宮沢賢治の延長線上においてである。草野心平は、宮沢賢治の作品を生前から評価した数少ない(というよりほとんど唯一の)文学者であり、賢治の詩を同人誌「銅羅」に掲載したりしたほか、賢治の死後その遺稿を整理し、全集の形にして後世に伝えた人である。彼の存在がなかったら、宮沢賢治が偉大な文学者として日人の心の中に定着することはなかったかもしれない。 詩の性質、あるいは色気という点では、草野心平は宮沢賢治とはだいぶ趣が違っている。賢治の詩は、一部の叙情的な作品はともかくとして、一種の壮大な世界観を反映している。 宮沢賢治は自然や人間を、そのあるがままの姿で映し出す詩人というよりは、自分の心の中にあるフィルター(独自の世界観に支えられたもの)を通した上で歌うタイプの詩人だ。賢治はその心の中のフィルターにうつされたものを心象のスケッチとよんでいた。心象スケッチの

  • 種田山頭火 赤い壺(三)

  • 『千曲川のスケッチ』 - 日常からの世界

    1899年(明治32年)から島崎藤村は小諸義塾の教師を6年間勤めました。この時代の藤村の教員生活が『千曲川のスケッチ』からうかがうことができます。書かれたのは明治末年から大正初年です。雑誌『中学世界』に連載したものでした。夏目漱石の『坊ちゃん』は1906年(明治39年)に出版されますが、漱石が愛媛県尋常中学校(現在の松山東高等学校)の教師生活を始めたのは1895年(明治28年)ですから、漱石の中学教員生活よりも少し後のことになります。しかし、この両者の「田舎」にたいする向き合い方はまるでちがっていたように思います。少なくとも『坊ちゃん』と『千曲川のスケッチ』を比べる限り。『坊ちゃん』は ぶうと云って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。 といった感じですから、はなからこの地域で生きている人たちを見る気がない(小説の坊ちゃ

    『千曲川のスケッチ』 - 日常からの世界
  • 血糖値測定器

  • ドナルド・キーン - Wikipedia

    ニューヨーク市ブルックリン区で貿易商の家庭で生まれた[6][7]。9歳のとき父と共にヨーロッパを旅行し、このことがきっかけでフランス語など外国語の習得に強い興味を抱くようになる[6][8]。しかし、世界恐慌の最中に妹が死亡し、15歳のときに両親が離婚[9]。以後母とともに生活を営むことになり、経済的困難に遭遇したが、飛び級を繰り返していたキーンはニューヨーク州最優秀生徒としてコロンビア大学のピュリッツァー奨学金を得ることに成功し、1938年(昭和13年)に16歳で同大学文学部に入学した[6][10][11]。 同校でマーク・ヴァン・ドーレンやライオネル・トリリングの薫陶を受け、フランス語や古代ギリシア語を習得[6][7][11][12]。同じ頃、ヴァン・ドーレンの講義で中華民国人学生李と親しくなり、そのことがきっかけで中国語、特に漢字の学習に惹かれるに至る[7][11][13]。 1940

    ドナルド・キーン - Wikipedia
  • 【文芸時評】4月号 早稲田大学教授・石原千秋 「文体」は解釈と表現を受け持つ (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    【文芸時評】4月号 早稲田大学教授・石原千秋 「文体」は解釈と表現を受け持つ (1/2ページ) 2009.3.29 09:28 持ち前の軽薄さから、ド素人なのにもかかわらず、つい対談形式の「演劇時評」(「悲劇喜劇」)を引きうけてしまった。そこで、とにかく週に2の割で舞台を観(み)ている。1月(ひとつき)ほど観たところで、舞台でも前衛的な舞台とリアリズム系の舞台がかなりはっきりわかれていることがわかった。文学が純文学(芥川賞系)と大衆文学(直木賞系)になんとなくわかれているのと似た構図だ。 舞台の場合は、脚もだが、演出にもかなりの違いがある。脚と俳優の間に演出家という「解釈者」が入っているのには、改めて興味をそそられた。観客は、演出家の「解釈」を通してしか舞台を観ることができない。もちろん、その「解釈」がそのまま観客に伝わるかどうかはまた別問題だが。文学の場合は、文芸批評家や研究者が

  • シュルレアリスム年表

    シュルレアリスムの年表・・『シュルレアリスムという伝説』より +オクタビオ・パス年表・・『オクタビオパス詩集』より 1903年 ・ドイツの作家ヴィルヘルム・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』出版。フロイトは大いに興味を抱き、ひとつ論文を書く。「想像的なもの」と「現実的なもの」との劇的な関係。 1912年頃 ・ブルトン、ヴォージュ山麓の父方の祖父母の地を訪ねる→『磁場』に影響 ・12月・・ポール・エリュアールが結核の療養のためスイスへ行き、ガラと出遭う。彼女は一人の「霊感を与える女(アンスピラトリース) 1914年 ・3月31日、オクタビオ・パス、メキシコ・シティで生まれる。 1917年 ・医学生として動員されたアラゴンと、軍医補になるブルトンが軍医学校で出会い、共鳴。 1918年 ・ルイ・アルチュセール生まれる→『資論を読む』が主書。構造主義的マルクス主義者としてフーコーらに影響を与える

  • お笑い作家としてのウンベルト・エーコ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    お笑い作家としてのウンベルト・エーコ イタリアの哲学者・美学者であり小説家でもあるウンベルト・エーコは日でも比較的よく知られている(最近の2つの長編 Barbelino と The Mysterious Flame of Queen Loana はいまだに翻訳されていないようにみえるけれど)。哲学と歴史の小ネタを惜しみなくつぎ込んだその壮麗な小説世界は、当然なんだか妙に分厚いになって(第一長編と第二長編の邦訳はともに二分冊だった)、しかもいろいろな解説が出ているとなれば活字慣れしていない読者を敬遠させるには十分な気もしますが、あれは当はとても面白いなんですよ。いや、興味深いとかじゃなくて、文字通り笑えるという意味でね。それも知的なウィットとかじゃなくて、どちらかといえば親父ギャグの笑いである。 私にとって『薔薇の名前』は、ある意味で Monty Pythons and the H

    お笑い作家としてのウンベルト・エーコ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
    kuroshior
    kuroshior 2009/02/27
    薔薇の名前の人だ
  • 泉鏡花『草迷宮』とその周辺:カイエ:So-net blog

    カテゴリー 目次(24) 索引(11) リンク(1) 日文学(54) 外国文学(16) 美術(88) 博物誌(9) 民俗・宗教(20) 歴史文化(21) 映画(22) マンガ・アニメ(68) ライトノベル(18) 音楽(10) コレクション(19) PCblog(64) ブログパーツ(38) インターネット(11) 夢(7) (9) 自然(植物)(63) 自然(生物)(21) 自然(風景)(9) コラージュ(16) サッカー(4) 占い・成分解析(54) その他(33) バーナー(1) 過去記事紹介 【トマス・コール『タイタンの酒杯』】 僕が、初めてトマス・コール(Thomas Cole)の名前を知ったのは、1996年にピナコテーカ・トレヴィル・シリーズの1冊として出版された『ハドソン・リヴァー派画集』であった。彼の描く壮大な風景画は、神話的な不思議な魅力を持っている。 【宮沢賢治

    kuroshior
    kuroshior 2009/02/27
    気になる「草迷宮」映画
  • ユリシーズとは何ぞや?

    ユリシーズとは何ぞや? 「ユリシーズ」とは、アイルランド生まれの作家ジェイムズ・ジョイスが、1922年に発表した長編小説です。全18挿話からなり、700ページを超える、文字通りの「長編小説」となっています。「ユリシーズ」というタイトルからも分かる通り、ホメロスの「オデュッセイア」を下敷きにしていて、18挿話がそれぞれ、ホメロスの「オデュッセイア」18章と(厳密ではないものの)対応関係にあります。登場人物も対応関係にあり、主人公の三人、スティーブン・デッダラス、リアポルド・ブルーム、モリー・ブルームが、それぞれ、テレマコス、オデュッセウス、ペネロペイアとなっています。 では肝心の「ユリシーズ」のストーリーを紹介しましょう。 朝、リアポルド・ブルームが家を出て、夜おそく家に帰る。 掻い摘んで話すとこれだけです。「省略し過ぎだ!」と思うかもしれませんが、これだけです。これといった事件は起

  • その他、文学という現象についていろいろと考えることができる文献

    その他、文学という現象についていろいろと考えることができる文献 リストは徐々によいものにしていきたいと思います。 Baer, E. (1983). A semiotic history of symptomatology. In A. Eschbach & J. Trabant (Eds.), History of semiotics (pp. 41-66). Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins. Bersani, L. (1972). Is there a science of literature? Partisan Review, 39 (4), 535-553. Boulton, M. (1982). The anatomy of poetry (Revised ed.). London/Boston: Routledge & Kega

  • 【倉橋健一の文学教室】(1)川端康成『雪国』 乱反射する美意識 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    大阪でペラゴスという読書会を始めてもう16年になります。ペラゴスとはギリシャ語で「外海」のこと。毎月2回木曜の夜、小説や詩、ときには古典とジャンルにとらわれず、文学の“大海原”のなかで読みの面白さを味わってみようという試み。もちろん、あらゆる人に門戸は開かれています。そんな会の模様をこの紙面を借りてお伝えしていくことになりました。どうか気長におつきあい下さい。 さて第1回のテキストは川端康成の『雪国』です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で始まる、あまりにも有名なこの作品、じつは成立過程がたいへんに面白い。昭和12年に長編小説として発表されましたが、連作形式で何編もの短編を書き継いできたものをひとつにまとめたものであることは、案外知られていませんね。 さきほどの冒頭で始まるのはもともと昭和10年、川端が36歳のときに書き始めた「夕景色の鏡」という短編でした。親譲りの財産で無為徒

  • 『バラの名前』探求 (ウンベルト・エコー他) | クープランの墓

    以下、読書後の自分用抜粋メモ。 前々回の翻訳比較用メモとダブった箇所は端折っています。あらすじ等ではないので、これだけを読んでもワケ分からんと思いますすいません。 んが、もし興味が沸いた方がいたら、気が向いた時にでも屋で手に取ってみてください。面白かったので。而立書房より絶賛発売中。 ------------------------------ P.7 「あれは大砲の音?それともわたしの心臓の鼓動かしら?」(カラブランカ) P.8 あるなり、ある映画なりが崇拝対象になるにはどういう条件が必要か。その作品が愛好されねばならぬのはもちろんだが、しかしこれだけでは十分でない。完全装備の世界を提供して、ファンたちが登場人物やエピソードを引き合いに出せるようでなければならない。あたかもそのエピソードがあるセクト ―自分自身の私的世界― の信条の一部ででもあるかのように。 P.9 ある作品を崇拝対

    『バラの名前』探求 (ウンベルト・エコー他) | クープランの墓
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 坪内逍遥 | 近代日本人の肖像

  • 『「阿呆船」』

    15世紀のドイツ作家セバスチャン・ブラントによって書かれた「阿呆船」または「愚者の船」は、ありとあらゆる種類の愚者や狂人の群れが一隻の船に乗り、阿呆国ナラゴニアを目指して出航するという話です。 大量の文書を集めながらそれを一切読まずにを崇拝する愛書狂、欲望に目がくらんだ金持ち、権力に固執する者など、当時のカトリック教会や政治界の退廃を寓話的に表現したこのには社会に実在する様々な「愚者」が登場します。

  • 意識の流れ - Wikipedia

    意識の流れ(いしきのながれ、英: Stream of consciousness)とは、米国の心理学者のウィリアム・ジェイムズが1890年代に最初に用いた心理学の概念で、「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」とする考え方のことである[1]。 アンリ・ベルクソンも時間と意識についての考察の中で、ジェイムズと同時期に同じような着想を得て、「持続」という概念を提唱している(ベルクソンとジェイムズの間には交流があったが、着想は互いに独自のものとされることが多い)。 この「意識の流れ」の概念は、その後文学の世界に転用され、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」という文学上の表現の一手法を示す言葉として使用されて文学用語になった[1]。 この手法を小説

  • 怪しい話Ⅱ-792:阿呆船

    「阿呆船」 阿呆船というのは、架空の船で、一種の虚ろ船と言えるのかもしれません。 ちなみに、人が裁く事が難しい事件が発生した場合や、伝染病に感染したり、何らかのタブーに抵触して穢れた者などを、密閉した船に乗せて流し、どこかに漂着したり途中で助けられればそれはそれ、死んだとしてもそれはそれという裁定が下されていた事もあります。 こうした場合、小舟に棺桶を乗せて流すこともあれば、それなりの大きさの客室がある船に数名を入れて一度に流すこともあったようです。 なぜ船で流したのか?ということになると、これは死後の世界との境界線の三途の川を船で渡ると考えた宗教が珍しくないことからも、生きながらに一度死んであの世へ送ったということだったのではないかと考えられます。 したがって、その手の船を海の上で見かけても見て見ぬ振りをしてもかまわないというか、見なかったことにする船乗りや漁師は多く、どこかに漂着したと

    kuroshior
    kuroshior 2009/02/01
    阿呆船に関して
  • 阿呆船 - Wikipedia

    『阿呆船』(あほうぶね[1][2]、あほうせん[3][4]、ドイツ語: Das Narrenschiff ダス・ナレンシフ、原題・初期新高ドイツ語: Daß Narrenschyff ad Narragoniam、ラテン語:Stultifera Navis) は、15世紀ドイツの作家ゼバスティアン・ブラントによって書かれた諷刺文学である。1494年にバーゼルで刊行された。1497年にはラテン語訳も刊行され、その後英語、フランス語、オランダ語など各言語に翻訳されて16世紀ヨーロッパにおけるベストセラーになった。 内容[編集] ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写してお

    阿呆船 - Wikipedia
    kuroshior
    kuroshior 2009/02/01
    15世紀のドイツ諷刺文学 全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。