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教育と伝統に関するkurotokageのブックマーク (2)

  • 家族再興の影に - 今日行く審議会

    「家族の日」作ります 政府、少子化対策の一環 最近は、「家族」とか「家庭」ということが良く言われる。その影で大きな問題が進行しているように思う。様々な問題を家族、家庭の中で抱え込んでしまい、そのうちに問題をこれ以上抱え込めないという状況に陥る。そして、最後には最悪な結末が訪れる。その外側にいる人には、その家族や家庭の中で問題を抱え込んでいるというのは見えない。そういうことが立て続けて起きている。 ここで言いたいのは、それを未然に防ぐために家族や家庭に社会が介入すべきというのではない。なぜなら、それでは問題は解決しないからだ。 このような状況が生まれてきた要因は、家族や個人という小さな範囲だけに様々な責任をとらせるような仕組みが出来上がっていること。また、家族や家庭の問題にコミットメントするときに、強制的な手段をすぐに用いて、問題を強制的に解決しようとすることがある。 そして、何よりも家族や

    家族再興の影に - 今日行く審議会
  • 問い直すという視点 - 今日行く審議会

    都立学校の学校設定教科・科目「日の伝統・文化」カリキュラムについて このカリキュラムを見ながらいくつか考えた。 これによって教え、学ばれる「伝統」や「文化」は誰のものか。なぜこれが「伝統」や「文化」として選択されたのか。なぜ「伝統」や「文化」を学ばなければならないのか。そういうことを問うということがこのカリキュラムでは行われないのではないだろうか。 そういう問いかけをすることなく、「自国」の「伝統」「文化」として「選択」されたものをカタログ化し、それを学ぶ。それは観光案内のパンフレットを眺め、それによってそこの「文化」を「理解した」と錯覚しているのと同じではないか。 また、伝統や文化は「ポリティックス」とは切り離すことができない。それらの持つポリティックスが伝統や文化の盛衰を左右してきたし、悲劇も生み出してきた。そういう点について学ぶような機会は用意されていないし、そもそもそういう視点が

    問い直すという視点 - 今日行く審議会
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