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秀逸と本に関するkurotokageのブックマーク (3)

  • 深町秋生の序二段日記

    森達也の新刊「死刑」を読んだ。一気に読んだ。 これはいつもの「森達也業」ともいうべき仕事だなと思ったのが第一印象。しかしやっぱり森達也以外に書けない内容だとも思った。彼の代表作になるだろう。 世の中には曖昧な領域がある。それは誰もが忌避したくなる世界だ。手を突っ込んだところで余計な火傷を負うだけでまったく得にならない。どう書こうが誹謗中傷、ないしは「非国民」とか「レイシスト」とかありがたくないレッテルまで貼られることもある。さらに世の中は何事も竹を割ったようなわかりやすい善悪、左右、縦横な話を好むので、曖昧な領域なるところを追っても銭にはならない。そして誰もが取り上げるのを諦め、その世界はサンクチュアリと化してときには暴走していく。 森達也はそこへ果敢に攻め込んだ男である。先日も取り上げた動物実験。超自然現象。放送禁止歌。オウム真理教。メディアそのもの。 そして死刑。廃止派でありながらも、

    深町秋生の序二段日記
  • 虚飾と欺瞞を削ぎ落とす - 今日行く審議会

    先日いただいた宿題の答えをずっと考えていた。今、教員に対する批判が高まっている。そんな中で教員はどうすればいいのかということを。考えたことを書いてみたい。 ISBN:4130513001:detail の佐藤学「教師文化の構造‐教育実践研究の立場から」の冒頭で佐藤氏は次のように述べている。 一般に語られる教師文化は矛盾に満ちている。人々は、教師の権威的体質を批判しながら、厳格な教育を要求し、教師の偽善的ふるまいを批判しながら、高潔な倫理と私心のない献身性を讃えている。また、教師の学問的意識や教養の不足を嘆く声の一方で、学識よりも人格だという俗論が後を絶たず、教師の保守意識を嘆く声の一方で、政治意識の過剰に対する警告が「中立性」を盾として繰り返される。さらに、教師の同族意識が批判される一方で、職場における連帯の欠如が問題にされ、専門的な知識や技術の不足を嘆く声の一方で、教師は専門家でなく一般

    虚飾と欺瞞を削ぎ落とす - 今日行く審議会
  • ミッキーマウス奪還作戦!!〜村上隆とS・スプラウス〜 - 想像力はベッドルームと路上から

    村上隆と知的財産権〜渦状言論〜 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記〜村上隆のDOBのモデルってミッキーマウスじゃないの? 著作権とお金とアートをめぐるお話し〜おれはおまえのパパじゃない この件に関しては、東さんの意見と特に相違はないので、もう少し別の視点から見てみたいと思います。 東さんは村上さんに関して、 村上氏の戦略は、美術と市場という二つの世界の差異に基づいたものであり、現代美術のゲームに対する強い危機意識のうえに立てられています。村上氏には、美術家と同時に商売人の顔がある。その二重戦略は、ある視点からすれば搾取に見えるでしょうが(市場で売れないものを美術作品として高額で売り抜け、逆に美術界の評価を市場に持ち込んでまた儲けているのですから)、別の視点からは、そのような二重基準を作り出す現代社会への鋭い批判のように見える。 という部分を評価している、と言っています。 つまり、市場で流通

    ミッキーマウス奪還作戦!!〜村上隆とS・スプラウス〜 - 想像力はベッドルームと路上から
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