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ブックマーク / interdisciplinary.hateblo.jp (5)

  • ホメオパシーと化学物質過敏症 - Interdisciplinary

    再び、NATROMさんの主張を検討してみましょう。 NATROMさんが化学物質過敏症とホメオパシー*1を並べて話をするのは、 現在の知見、つまり理論からすればありそうに無いと思われる から、と思いますよね。で、それがおかしいな、と感ずる人はおそらく、 化学物質過敏症とホメオパシーとでは、あり得なそうな度合いが異なるではないか と認識しているのではないでしょうか。ありていに言ってしまうと、馬鹿馬鹿しさの度合いが全然違うだろう、と。だから、それらを同列に並べるNATROMさんは悪質な印象誘導をしているのだ、と評価される。 しかし、NATROMさんが敢えてその二つを並べているのは多分…… 現在の知見からあり得なそうに思える事がまず一つある、というのはその通りだと思います。けれど、それ自体は核では無いというか、質的に重要なのはそこでは無くて、 その説を否定する実証的な証拠がある という所なのです

    ホメオパシーと化学物質過敏症 - Interdisciplinary
  • NATROM氏と化学物質過敏症 - Interdisciplinary

    NATROM氏の化学物質過敏症に対する見解・姿勢はこちらにまとめられている⇒何を否定し、何を否定していないか あるものについて議論している場合、言ってもいない事を前提され批判を受けたり、言った事をあたかも言っていないかのごとく扱われる時がある。それは大変に困るので、ありがちな疑問を設定し、それに答えてまとめておく。いわゆるQ&AやFAQの類のコンテンツ。 ここでリンクしたNATROM氏のページもそのような構成であり、いくつかの(恐らく、誤解されがちな)主要な論点がまとめられている。そして、こういうものを検討しておくのも、ある論者の意見をなるだけ正確に評価するのに役立つものと思われる。 そこで、リンク先でNATROM氏が挙げている項目のいくつかを採り上げ、その見解について検討する。 尚、エントリーにおける小見出しは、リンク先のNATROM氏のページより引用する。 微量の化学物質の有害性は否

    NATROM氏と化学物質過敏症 - Interdisciplinary
    kutakutatriangle
    kutakutatriangle 2013/06/18
    とても力の入った素晴らしい解説。
  • いざ抜かん - Interdisciplinary

    マンガやアニメを見ていると、抜刀の達人が今にも、抜き付けにて相手を両断せんとす、という場面がしばしばありますね。鞘に刀を納めたまま気迫が発揮され、並々ならぬ雰囲気を漂わせている、的な。たとえばこんな風です。 ※クリックで拡大。以下画像は同様 正面 横 どうでしょう。「いかにも」って感じではありません?*1マンガなんかで剣の遣い手がこういう体勢で構える、というのは結構見るように思います。 このポーズ、見るからに、 力を溜めている 弓かパチンコを引き絞るような 抜刀によって爆発的に威力を放出する いかにも攻撃を繰り出す準備をするように身体を捻っている という感じではないでしょうか。語感からすると、「溜める」「引き絞る」「捻る」「バネが縮むよう」という印象を受ける人もいるかも知れません。 けれど、私などからすると、こういうのは違和感を憶えます。 さて、どうしてでしょうか。 私としては、より「怖い

    いざ抜かん - Interdisciplinary
  • 「割る」 - Interdisciplinary

    ところで、先日のエントリーで紹介した黒田氏の映像にある最後の抜刀ですが。 これは、 刀を抜きつつ 右前に出るのに 左腰は引く という体捌きを華麗に行なっているのが妙(もちろん良い意味の方)ですね。 まず、相手は真向正面打ちにて斬りかかるので、その攻撃ラインから外れるように右側(相手の左側)に入身する(合気道的にはあれを入身と呼ぶかは微妙でしょうが)*1。 そして、その動きの流れで抜刀と同時に斬る、と。 これは、剣と腕は時計回りの回転運動を行うにも拘わらず、腰はむしろ逆方向へ回転させる、という事ですね。直感的に、非常にやりにくく思えませんか? その運動を適切に行うには、綺麗に前側の脚を抜き、後ろ側の足や腰の廻りを操作して動きを作る必要がある。右前に出るのだけれども、骨盤は右回転させたり、回転させなかったりするのでは無く、むしろ左回転させる。いわゆる「蹴らない」動きの実現です。身体全体で考える

    「割る」 - Interdisciplinary
  • 「一見してネタって判るだろう」――文脈把握の押し付け - Interdisciplinary

    パッと見てデタラメと判るだろう、ネタというのは一目瞭然だろう、ってのは一般に、「文脈を共有している人達の言い分」と捉えておくべきでしょう。特に、不特定多数の人から見られる可能性が大きい(たとえば友人や家族との会話、とは時間的空間的条件が全然違う)WEB上での情報発信においては。 通じなかった時に、「通じなかった側」を責めるのは、とても押し付けがましい場合がありますよね。確かに、一旦落ち着いて情報を精査する、というのを怠る態度は批判されて良いのだろうけれど、それはそれとして、騙されたりのせられたりした人を、見下す、馬鹿にする、というのは控えたいところです。いつ自分が引っかかるか解らんですよ。引っかからない自信がある、的な人には何も言わないけれど。 冗談というのは、それに関わる双方(言う人、言われる人やもの――ネタにされる人やもの)が了解しているから成り立つのであって。ネタって判れよ、というの

    「一見してネタって判るだろう」――文脈把握の押し付け - Interdisciplinary
    kutakutatriangle
    kutakutatriangle 2012/05/15
    ザッとネットを徘徊した中で私の意見に一番近い記事。
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