ブックマーク / technique.hateblo.jp (15)

  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 4 ひきこもりについて

    【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート3】 【上山・注】: 最後に、質問時間について。 ▼以下の記録の前に、男性と女性がそれぞれ1名ずつ長く質問され、かなり長時間のお返事があったのですが、当ブログのテーマである「ひきこもり」との関連が薄かったり、すでに繰り返し扱われた話題であったりするので、講演者の了承を得て割愛致しました。 ■質問(id:iDESさん) 「ひきこもり」の定義が、人によってちがう。 斎藤さんの定義では精神障害は除くとなっている。 厚生労働省の定義では発達障害も含むことになっている。 質問の一つ目は、斎藤さんの定義に発達障害に対する言及がない理由。 厚生労働省の定義に発達障害が含まれていることについての斎藤さんのご意見。 質問のもうひとつは、発達障害に対して精神分析ができることがあるとしたらどういうことか。 ■斎藤環氏の返事: 私はひきこもりの定義には発達

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 4 ひきこもりについて
    kwkt
    kwkt 2007/03/20
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3 ラカン派精神分析のパラダイム

    【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】 ラカン派精神分析のパラダイム 精神分析にはさまざまな理論があり、非常に多様。 フロイトとラカン以外にも、ユング、アドラー、フェレンツィ、ウィニコット、コフート、クライン、カーンバーグ、などなど。 とりわけ「自我心理学 Ego psychology」というアメリカの精神分析一派が、最近「脳」との関連に非常に熱心になっているが、今日の私(斎藤)の話は、そうしたものとはかけ離れている。 最近の精神分析の主流は、脳科学や生物学的精神医学との接近をひとつの特徴としている。 それは状況上避けられないことだったのかもしれないが、フロイト・ラカンとはかけ離れてしまった。 「フロイト=ラカン」という言い方をするのは、ラカンという精神分析家は、「自分こそが、フロイトの創始した精神分析のもっとも正統的な後継者だ」と主張したから。(そのことは、ラカン

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3 ラカン派精神分析のパラダイム
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    kwkt 2007/03/20
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 2

    【講演レポート1】、 【講演レポート3】、 【講演レポート4】 ベイトソンの学習理論 「心脳問題」については私(斎藤)の思考実験を含むので聞き流してもらってもいいですが、ここから先はとても役に立つ思考ツールの紹介になります。 ベイトソンは、生物的主体(Organic Subject)としての人間について、より多くのことを研究した。 それゆえ彼は人間とイルカを区別せず、「どちらも学習ができるし、言葉も使える」という(これについてはやや限界を感じる)。 しかし、彼の学習理論は非常に洗練されたもの。 ベイトソンは学習を5種類(学習0〜4)に分類し、だんだんメタレベルに繰り上がる仕組みになっている(階層的な学習理論)。 私(斎藤)はここから、「学習は脳のレベルでしか起こらない」「心のレベルでは学習は生じにくい(生じたとしても維持できない)」と思いついた。 刺激と反応が一対一対応で、変化がまったく起

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 2
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    kwkt 2007/03/20
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
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    kwkt 2007/03/20
  • 「症候を自分で決めることはできない」 - Freezing Point

    「消費としての労働」という仲俣暁生氏のエントリーが、話題になっている。 ラジオの番組のなかで田さんが、柳瀬さんの「なんでもいいからとにかく働け、働いてみないと、働くことがどういうことかなんてわからない」という発言に対して、「回転寿司をべて一度中毒になったことのある人間は、寿司の皿を選ぶ以前に、回転寿司に対して恐怖を感じる」というようなことを言っていた。 でも、これは問題のすり替えである。 職業選択の問題が、なんの疑問もなく消費の問題に喩えられてしまうことにとても違和感を感じながら、私は彼女の話を聴いていた。 《中毒》は、就労を「回転寿司」の比喩*1で語っていた玄田有史氏に、あるイベント内で反論したもの。 この比喩の核心は、「消費」ではなく「人の意思的努力によってはどうしようもない」にある。 ひきこもりの深刻な事例では、「このままでは死ぬよ」と言われても社会参加はできない。 「働か

    「症候を自分で決めることはできない」 - Freezing Point
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    kwkt 2007/02/03
  • 2006-10-30

    先日のイベントを終えての私的なエントリーです。 引用部分には誤り等あると思いますし、公的な記録ではありませんのでご注意ください*1。 取り上げられたモチーフはこれで全てではありませんが、今後も継続的に検討する予定です。 *1:主催者側で、音声などの記録をとられているようです。 当ブログでの引用に間違い等があれば、後日訂正しようと思います。 「ICCシンポジウム」の斎藤環氏の発言から、少し引用します。 私が今回の対談イベントで言いたかったこと、そこからあらためて整理してみたことは、こちらのご発言との関係で考えたほうが分かりやすいので。 ヨーロッパのアーティストにはメタレベルがあるというが、それだけでは作品は作れない。 オブセッションがどこにあるか。 その自分のオブセッションに対してどこまでメタを維持しているか。 ▼情報がフラット化(Google化)した世界、つまり「再帰性の回路が広がった世界

    2006-10-30
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    kwkt 2006/11/02
  • 生田武志氏講演会@「カフェ・コモンズ」 参加 (15日) - Freezing Point

    コモンズ1周年記念イベント: 『ひきこもり/野宿者〜2つの「ホーム」レス』 「野宿者襲撃」論 作者: 生田武志出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2005/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 93回この商品を含むブログ (45件) を見る ひきこもっているご人や経験者で、「自分は近々ホームレス*1になってしまうのではないか」と思っている人は多いと思う(ネット上でもオフラインでも、そういう心配がリアルに語られる*2)。 社会参加の能力を持てないまま高齢化し、親の扶養能力がなくなれば、数十万人のひきこもりはそのままストリートに投げ出されるしかないように思える*3。 生田さんの講演では、60代の現役ホームレスの日常を取材したビデオが上映されたが、「1日12時間 足を棒にしてアルミ缶を集めても、1200円にしかならない」という現実*4、しかも収拾をめぐる熾烈な生存競争を、ヤワ

    生田武志氏講演会@「カフェ・コモンズ」 参加 (15日) - Freezing Point
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    kwkt 2006/10/18
  • 「社会学*カフェ→それから vol.3」::「個人と組織の公共文化事業」 - Freezing Point

    聴衆として参加した。 スピーカー: 渡邊太 (社会学者・「大淀南借家太陽2」店主) 山納洋 (「大阪21世紀協会」 「SINGLES PROJECT」) 中脇健児 (「伊丹市文化振興財団」 いたみホール事業担当) 現場におられる方々のお話に、社会学的考察が掛け合わさる感じ。 特に山納洋(やまのう・ひろし)さんのお話は、現場の緊張感と知的分析のバランスが素晴らしく、いろいろメモを取った。 メモからいくつか抜き書きしてみる*1。 誰かの意見だが、「個人的に気になった論点や事実」ということで。 「文化の価値」と「生存の価値」。 後者がままならないからと言って、前者をないがしろにしていいのか。 良い演劇を作るためには経験を積み、人や社会を見る必要がある。 だが多くの人が30歳ぐらいで夢破れて辞めてゆく。 100万円や1000万円ではなく、10万円や20万円で自分のやりたいことを試せる場所が必要。

    「社会学*カフェ→それから vol.3」::「個人と組織の公共文化事業」 - Freezing Point
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    kwkt 2006/08/06
  • Freezing Point - 「こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。」(id:using_pleasureさん) 【はてブ】

    元になった樋口康彦氏*1の論文は、前提としているデータや価値観に疑問がある*2が、問題啓発としては有意義だと思う。 非社会的状態像については、まず最初の段階で次の3系統を診断し分けなければならない。 (1)精神疾患 (うつ病・統合失調症など) (2)発達障害 (高機能自閉症・アスペルガー症候群など) (3)社会的ひきこもり*3 それぞれで課題や社会的処遇が異なる。 大学に入学して学科をこなしていても、(1)や(2)に苦しんでいるケースは多い*4。 樋口氏の議論は(3)についてだが、気になったのは次の諸点。 ■「何をもって社会性となすか」が疑われていない。 ■「いかに社会復帰してもらうか」は現実的な課題だが、「とにかく社会復帰させよう」という目論み自身が、目的にとって自殺的に機能する。 ■「適応強迫による内面疎外」の問題は、単なる外圧では対応できない。 以下、詳しく見てみる。 若者の「非社会

    Freezing Point - 「こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。」(id:using_pleasureさん) 【はてブ】
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    kwkt 2006/04/29
    id:ueyamakzkさんによる樋口康彦氏への建設的批判
  • 2006-03-17

    社会行為の凍結*1から遡って考えている私にとって、モチーフとしては重なるし、これから勉強を続けていきたいと思うのですが、現時点での疑問を以下にメモしてみます。 いいから、とりあえず人間は働いてみるもんだよ。(内田樹氏) どんな水準でも「労働」は「オーバーアチーブメント」(id:kwkt氏) 「参加しさえすれば贈与的になる」という議論は、「だから参加するのは当然だ」という形で、強圧的な規範を強化する。 それでも入っていけない存在は、ますます徹底的に叩かれる。 雇い主が誰かを解雇するときには、「この人が生み出す価値よりも払う賃金のほうが多い」と判断しているのではないか。 「働いていれば必ずオーバーアチーブメント」なのであれば、解雇される理由は何か。 ▼「労働していれば贈与的になる」というのは、継続的な就労に成功している人間の事後的な自己肯定にすぎないのではないか。 自己を供物として捧げることを

    2006-03-17
    kwkt
    kwkt 2006/03/17
    「非社会」の問題を想定していなかったのは確か。その点についてはさらに考えたいです。
  • Freezing Point:『「ニート」って言うな!』について

    chiki(id:seijotcp)さん、井出草平(id:iDES)さんと読書会チャットを行い(1月末)、多くを学んだ*1。 この自体は、ゆがんだ言説の横行に対する重要なカウンターであり、ぜひとも流通してほしい。 ▼私としては、「ひきこもり」に固執する立場から批判的なことを言わざるを得ないが、その批判を通じてこそ見えてきたものもある。 *1:このをめぐる私のエントリーの多くに、お二人の見解が反映されている。 もちろん、当blogにおける見解主張の責任は私にある。【私たち3人の見解は、いくつかの点で相互に対立した。】 『「ニート」って言うな! (光文社新書)』の中心事業は、あくまで「歪んだ言説の吟味」(それ自体はきわめて重要な仕事)*1にある。 一方的な偏見がなくなることは、苦しみを大いに軽減させる。しかし、それは問題のすべてではない。 ▼内藤朝雄(id:suuuuhi)氏は、「ニート

    Freezing Point:『「ニート」って言うな!』について
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    kwkt 2006/02/15
    『「ニート」って言うな!』から明確化した『個人の「非社会」的あり方(「反社会」でも「脱社会」でもなく)』
  • 2006-02-13

    いくつかのTBでの指摘(私のエントリーを含む*1)について、田氏が「ひきこもり」に特化した言及をされている。 『「ニート」って言うな! (光文社新書)』においては*2、田氏のみが「ひきこもり」に突っ込んだ言及をしているために、内藤朝雄氏・後藤和智氏よりも多く批判される形となっている。 ▼田氏としては、「なぜ自分だけが」と理不尽に思われるかもしれないが、私はむしろ、その勇気ある言及によって「議論を整理することが可能になった」と感謝し、少し詳しく触れてみる。【そもそもこのがなければ、「ひきこもり」についての忘却もさらに進んだだろう。その意味でも単語「ニート」は、遠回りかつ皮肉な形とは言え、「ひきこもり」救済にも一役買っている。】 *1:2月9日のあと、12日付のblogに再度TBを送ってしまったのは、単に私の操作ミスです(修正時、「ちょっとした更新」のチェック忘れ)。 失礼しました

    2006-02-13
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    kwkt 2006/02/14
    上山さんからの本田先生へのちょっぴり厳しいエール
  • Freezing Point -  《交渉と契約》—「動機付け」と「不能」

    1 :さやか :2005/11/18(金) 08:40:51 ID:TIxiS8Q30 夜中にこそこそ冷蔵庫漁るなカスが 18 :(-_-)さん :2005/11/18(金) 09:06:43 ID:???O ホントは冷たくされるのが怖いから 夜中にコソコソ起きたりするんだ。 このまま突き放し続けたら 対人恐怖症とか、精神病になると思うぞ。 45 :さやか :2005/11/18(金) 20:14:58 ID:???0 はぁ?家族だからって最低限の義務も果たさないやつがいつまでも暖かくされると思ってんの? あんたらおかしいでしょ、父も23になったら放り出すって言ってたよ 死のうがどうなろうがしったこっちゃないって 48 :(-_-)さん :2005/11/18(金) 20:17:38 ID:???0 1さん、うちの兄も25にもなってヒキコモリです 気持ちわかります、ほんと消えてほしいですよ

    Freezing Point -  《交渉と契約》—「動機付け」と「不能」
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    kwkt 2005/12/10
    id:ueyamakzkさんによる分析。「ひきこもりというのは、順応労役の破綻」であるとして、「交渉」「契約」は「能動性の再興」「動機付け」の萌芽となりうるか?
  • Freezing Point - 思考実験 :: 「義憤vs権利」とマクロ政策的視点

    「ベヴァリッジ報告」を中心に、友人からレクチャーを受ける。めちゃくちゃ勉強になる。 やはり社会保障について政治的に説得するには、「弱者を救済せよ!」ではなく、「社会保障があったほうがマクロ政策的にいい」というスタイルが必要なのだと思う。 ★内田樹「勝者の非情・弱者の瀰漫」より: 「弱者を守れ」という政治的言説はいままったくインパクトを失っている。その声を「既得権益」を手放そうとしない「抵抗勢力」の悲鳴として解釈せよと教えたのが小泉構造改革のもたらした知られざる心理的実績である。 「弱者は醜い」という小泉首相の「勝者の美意識」はこの大衆的な倦厭感を先取りして劇的な成功を収めた。 こうるさく権利請求する「負け組」どもを、非難の声も異議申し立てのクレームも告げられないほど徹底した「ボロ負け組」に叩き込むことに国民の大多数が同意したのである。 官僚の不正や無駄使いを「許せない」という層と、ニート

    Freezing Point - 思考実験 :: 「義憤vs権利」とマクロ政策的視点
    kwkt
    kwkt 2005/10/25
    『官僚の不正や無駄使いを「許せない」という層と、ニート・ひきこもりを「許せない」という層は同じだと思う。どちらも、「義憤」の対象になっている。』
  • 2005-07-27

    社会的弱者の支援者は、「より弱い当事者」に寄り添おうとする。結果、少しでも発言を試みられる状態になった当事者に対しては、「あいつが発言するから、より弱い当事者が抑圧される」という抗議が発生する(その抗議は、実際に「より弱い」当事者人やご家族から出ている)。しかし、発言を試み始めた当事者(経験者)は、社会的には最弱のまま。つまりこの者は、業界の内部からは「最強だ」と言われ、しかし外部社会においては、最弱の存在として相手にされない。発言を試みたことによって、業界の内部からも外部からも締め出されてしまう。 私は、ひきこもりの業界内部から、「お前一人が発言するから、お前が代表者であるかのように見られてしまう。迷惑だ」と言われ続けている(ここ最近、信頼していた関係者が次々とこうした表明を始めている)。しかし、例えば女性という自分の属性に基づいて「女性学」という当事者発言を試みてきた上野千鶴子氏は、

    2005-07-27
    kwkt
    kwkt 2005/07/28
    『誰かが「偽の代表者」になってしまうジレンマは、その者に発言をやめさせることによってではなく、発言のチャレンジを試みる者が多数出ることによって、解消を目指すべきではないのか。』
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