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Freezing Point - 斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3 ラカン派精神分析のパラダイム
【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】 ラカン派精神分析のパラダイム 精神... 【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】 ラカン派精神分析のパラダイム 精神分析にはさまざまな理論があり、非常に多様。 フロイトとラカン以外にも、ユング、アドラー、フェレンツィ、ウィニコット、コフート、クライン、カーンバーグ、などなど。 とりわけ「自我心理学 Ego psychology」というアメリカの精神分析一派が、最近「脳」との関連に非常に熱心になっているが、今日の私(斎藤)の話は、そうしたものとはかけ離れている。 最近の精神分析の主流は、脳科学や生物学的精神医学との接近をひとつの特徴としている。 それは状況上避けられないことだったのかもしれないが、フロイト・ラカンとはかけ離れてしまった。 「フロイト=ラカン」という言い方をするのは、ラカンという精神分析家は、「自分こそが、フロイトの創始した精神分析のもっとも正統的な後継者だ」と主張したから。(そのことは、ラカン
2013/12/27 リンク