【読売新聞】 麻酔から目覚めると、不思議な感覚に襲われた。いつも左隣にいた兄がいない。「ナンダカナ、ナンダカナ……」。訪日時に覚えた片言の日本語でそうつぶやいた。「何が起きたのか」という意味だった。 1988年10月4日、ベトナム南
暇なんでマジレスしてやるがオマエが悪い。 不器用にも程がある。 まず外国人特にベトナム人の扱い方が間違ってる。 外国人は別の文化や常識や価値観を持っていることに不見識すぎる。 ベトナムは社会主義、儒教。 指揮命令系統には愚直だがナメていい相手はとことんナメる。 日本人の常識は通じないの。 オマエはベトナム人に対して上司であり昇給や配置などの決定権を持っていることを誇示しなきゃならない。 威張って堂々とな。 目下目上を明瞭にして上から目線で接しなきゃダメなの 謙譲、謙遜なんて日本文化は通用しねぇの。 あと仕事の指示、文書で出したか?口頭指示なんて誰も聞かねぇよアホか。 あいつらマニュアルを出せばそれには素直に従う。曖昧な口頭の指示は縛りがないものとしか認識されない。 かつご褒美とペナルティ付きじゃないとダメ。 反省文もダメ。アホ。 あのな、社会は建前で回ってるの。 本人の素直な反省なんてもの
ベトナム人技能実習生による乳児遺体遺棄事件が起きた広島県東広島市安芸津町 4月に広島県、5月に兵庫県、先月は埼玉県でと、最近は毎月のように起きているベトナム人による乳児遺棄事件。中でも4、5月の2件は技能実習生による犯行で共通点が多い。今、政府は外国人技能実習制度の廃止を検討しているが、地方では何が起きているのか? ルポライターの安田峰俊(やすだ・みねとし)氏が現地取材を敢行し、その"やるせない構図"を暴いた。 * * * ■遺棄の動機は「怖くなった」から 職業選択の自由が実質的に存在しない環境の下、〝外国人労働者に低賃金労働を押しつけるシステム〟として批判されている外国人技能実習制度。今年は政府会議で「制度廃止」の検討が始まり岐路に立たされているが、逃亡した実習生が犯罪に走るなど、今も多くのトラブルが発生している。 その中で今年、目につくのが女性の実習生が周囲に明かせないまま妊娠・出産し
キー・ホイ・クァンが涙のスピーチ。「私の旅はボートで始まった。難民キャンプで1年過ごした」【アカデミー賞2023】
著者:森枝 卓士出版社:講談社装丁:文庫(271ページ)発売日:1999-10-01 ISBN-10:4062646730 ISBN-13:978-4062646734 内容紹介: 市場を歩けば、いつだって目もさめるような果物・野菜、魚介類が溢れている。大河メコン―チベットの氷河から流れでた一滴は、中国雲南省を経てインドシナを縦断、ベトナムのメコンデルタへいたる。アジアの水辺で営まれる豊かな暮らしに魅せられた旅人がきわめた多彩な民族と食文化。文庫オリジナル作品。 旅する味覚私の味覚はちょっとズレているのか鈍感なのか、海外へ行っても、現地の味に割とすぐなじむ。その代わり、日本に戻ってから切り替えるのに時間がかかる。 年配の男性の頭には、「日本人なら寿司が食いたくなるはず」との図式があるせいか、私が出入りする会社でもよく、出張から今さっき成田に到着しましたという人を、上司が、「おー、久しぶりだ
アジアの平和や発展に尽くした個人や団体をたたえ、「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞に、ベトナムで長年、白内障などの手術を無償で行ってきた日本の眼科医、服部匡志さんが選ばれました。 マグサイサイ賞は毎年、アジアの平和や発展に尽くした個人や団体に贈られ、「アジアのノーベル賞」とも呼ばれています。 過去には、貧困や飢餓に苦しむ人たちの救済に生涯をささげたマザー・テレサや、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世などが受賞しています。 フィリピンの首都マニラにある財団は31日、ことしの受賞者4人を発表し、日本からはベトナムで白内障などの手術を無償で行ってきた眼科医で、「アジア失明予防の会」代表の服部匡志さん(58)が選ばれました。 服部さんは、ベトナムで貧しさから白内障などの治療が受けられず、失明する人たちを救おうと、私財も投じておよそ20年にわたって手術や治療を無償で行い、高度
「私、寂しいです、奥さんに会いたいです」 ことし4月、大阪・淀川区で、弁当店でアルバイトをしていたベトナム国籍の女性が殺害されました。 女性は、日本語の教師になりたいという夢を抱いて日本に来ていました。 女性の夫が、自宅で初めて苦しい胸の内を語りました。 (大阪放送局 記者 奥村凌) 突然奪われた2人の夢 ベトナム国籍のヴォ・ティ・レ・クインさん(31)。 ことし4月、大阪・淀川区で起きた事件で殺害されました。 現場となった建物の1階に入る弁当店でアルバイトをしていました。 首を絞められて殺害され、現金およそ2万6千円を奪われました。 この事件で逮捕・起訴されたのは、弁当店の上の階に住む59歳の被告。 捜査関係者によりますと、1階の弁当店に1人でいたヴォさんに「店長に言われているから貴重品を持って来て」などと声をかけ、2階にある自分の部屋に誘い出していたということです。 これまでの調べに対
「戦争」「難民」聞きたくなかった 「問題は何十年も続く」 「人生は希望する通りになる」 ウクライナからの「避難民」を受け入れ始めた日本。空港に降り立った幼い子の後ろ姿をニュースで見た時、ふと話を聞きたくなった人がいました。約40年前、たった一人、難民として日本にやってきた「少年」、今は東京でタクシー運転手をしている元ボートピープルの「伊東さん」です。あの時、あなたは何を思っていたのですか。今また海を渡ってきた子どもたちに、何を思いますか。 私が経験した戦争よりもっとひどい 約2年ぶりに、北千住で再会した伊東真喜(まさき)さん(53)。「30代に見えるって友達にも言われます」とおどけつつ、疲労がにじむ表情が気になりました。 聞けば前日10時から、翌朝7時までの乗車勤務明け。それなのに、「ウクライナについて話を聞きたい」との依頼に、「是非、伝えたいことがあるから」と快諾し、駆け付けてくれました
<長年にわたって世界各国で数十億円の私費を投じてきた慈善活動。そこには生涯をかけた強い信念と、困窮する人たちへの愛があった> 里子の数152人、投じた私財は数十億円以上──。歌手・俳優として活躍する杉良太郎は、個人として「桁違い」の規模で慈善活動に打ち込んできたことでも知られる。 【動画】7歳男児の口内から526本の歯! 国内ではデビュー前だった15歳の頃から刑務所や老人ホームへの慰問を始め、法務省特別矯正監や麻薬追放協会会長を務めるなど幅広く活動。その功績から、紫綬褒章や緑綬褒章を受章し、文化功労者にも選ばれた。 一方、国外で活動を始めたのは27歳のとき。アジア諸国やアメリカ、ブラジルなど世界中でチャリティー公演や孤児院・障害者施設への援助を行い、文化交流もしてきた。バングラデシュでは約50の学校の建設、ミャンマーでは孤児数百人の食事の世話や救急車の寄付と、億単位の資金を多くの国で費やし
「お母さん、ごめんなさい。私の渡航は失敗です。お父さん、お母さん、心から愛している。息ができなくて死にそう」 家族のスマートフォンには、今も娘からの最後のメッセージが残されています。家族の負担を少しでも減らしたい。彼女はこんな思いを胸に、異国の地で働くことを目指しました。でも、その願いがかなうことはありませんでした。 (ハノイ支局長 道下航) 彼女は、親思いの女性でした。 田畑が広がる田舎町で育った彼女の名前は、ファム・ティ・チャ・ミさん(享年26)。再び海外で働くことに、父親は強く反対しましたが、「家族のために私が行くしかない」と話したといいます。弟が購入したばかりの車で事故を起こし、多額の借金を背負うことになった彼女の家族。 当時、彼女は、日本で働いてふるさとに戻ってきたばかりでしたが、海外で働くことを決めたのは、そんな両親の負担を少しでも減らそうと思ったからです。イギリスでネイリスト
ベトナムのベンチェ省にある小さな村の中に、一軒の大きな屋敷が建っている。外から見ると普通の邸宅のようだが、一旦正面玄関に足を踏み入れると、リビングルームに巨大な大理石の墓がある。 この家はTomb Villa(墓の別荘)と呼ばれ、訪問者が絶えず訪れるという。 故人の埋葬には厳しい法律が敷かれてあるベトナムで、なぜ、家の中に墓があるのか?この風変わりな邸宅の背景には、悲しい物語があった。 異国で成功を収めた女性の心には、いつも故郷の家族の存在があった ベンチェ省タン・タック区にあるTomb Villa(墓の別荘)と呼ばれている一軒の邸宅は、地元の女性ダン・チ・ナンさんが1960年1月28日に産んだ、リエンさんという娘が建てたものだ。 貧しい家庭で育ったリエンさんは、18歳の時に漁船の所有者と恋に落ち、3年後に“チャンスの国”アメリカへ移住。異国の地でネイリストになり、後に始めたインテリアデザ
以前、海外に住む日本人が手放せないものを調べる機会があり、「やたら乾麺を蓄える」という事実にぶち当たった。在住国によっては「なかなか手に入らないのでもったいぶっているうちに賞味期限が切れる」というのもあるあるとか。国民性が透けて見えた。 てことは、待てよ、逆に日本に住む外国人も母国から持ってきた手放せないものがあるんじゃないか?そんなマストアイテムを調べてみたら、お国柄爆発した。 ※この記事は、 世界のカルチャーショックを集めたサイト「海外ZINE」の記事をデイリーポータルZ向けにリライトしたものです。 海外ZINEは、世界各地のカルチャーショックを現地在住ライターが紹介する読み物サイトです。 / 1984年生まれ、大阪出身。海外ZINEの編集長です。ベトナムに片足をつっこみながら記事を書いたりサイトを運営したりしています。 前の記事:世界の食文化を「お弁当」にしてみると > 個人サイト
はちへお🇻🇳 @hachiheo ミスベトナムは凄いぞ、少数民族・エデの貧しい家の出身で、「お金がない」とか「結婚しろ」とか言う親の反対を押し切って小・中・高と勉強を続けて、サイゴンに出てアルバイトをしながら専門学校に通って銀行に就職して、その時の同僚の勧めでモデルの道に入った人なの。 はちへお🇻🇳 @hachiheo ヘンさんの村では13、4歳で結婚するのが珍しくなくて、当然出産も早いから学校になんか行けなくて(そもそも貧しいし)、でもヘンさんは教育の大切さを分かっていたから、周りの反対を押し切ってひたすら勉強を続けた。その結果がサイゴンの銀行に就職。中学までベトナム語を話したこともなかった人が。 はちへお🇻🇳 @hachiheo サイゴンで専門学校に通う傍らしていたアルバイトはいわゆる「おしん」。幸い雇い主はいい人で、多くのことを学べたという。「雇い主夫婦はとても仲が良くて
日本で暮らす外国人留学生や技能実習生が増える中、仕事や生活で追い詰められ、命を落とす若者もいる。ベトナム人の尼僧がいる東京都内の寺には、そんなベトナムの若者の位牌(いはい)が増え続けている。外国人が働きやすい環境の整備や暮らしへのサポートが必要だと、専門家は訴える。 東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。 7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビール
現在、日本語学校に留学するベトナム人少女の日本での日常を描いた映像がVimeo上で公開されています。「take a picture」と名付けられたその作品は、児童養護施設で暮らす少女を描いた「風切羽〜かざきりば〜」、性暴力被害を題材にした「月光」など、社会問題をテーマに作品を作り続けてきた小澤雅人(おざわ・まさと)監督の新たな挑戦でした。 課題先進国とも言われる日本の社会問題の中でも、あまり認知度が高いとは言えない外国人の課題。今回の衆院選における各政党政策・公約の中でもその扱いは限定的で、バラつきが大きく「課題」としての認識自体がまだ浸透していない状況です。そんな中で、小澤監督は今なぜ、外国人の中でも日本語学校の留学生の問題を映像化しようと考えたのか。監督にそのきっかけと映像に込めた思いをうかがいました。 無関心でいること自体が、問題を生み出している「昨年、『月光』がワルシャワ国際映画祭
今、世界のルールは動揺している。ここ数ヶ月だけを見ても、フランスの同化主義に相容れない移民二世によるシャルリー・エブド襲撃テロ事件が起き、「イスラム国」は国民国家体制をあざ笑うかのようにイラクからシリアにまたがって台頭してきている。昨年にまで遡れば、スコットランドでイギリスからの独立の是非が問われたり、ウクライナで内戦が勃発したのも記憶に新しいことだろう。 これらの出来事は、いずれも国民国家体制の「エラー部分」に弾き出されてしまったような少数の人々が、世界を揺るがしたということに共通点がある。 近代の幕開けを象徴する国民国家体制が初めて成立したのは17〜18世紀のヨーロッパでのこと。アジア諸国に至っては、19世紀後半から20世紀になってからの出来事であり、その歴史はまだ浅い。 それゆえ、当たり前のように感じているこの仕組みにも、境界域に目を向ければ意外と大きなスキマが見つかる。既存の国民国
出会いは最悪だった。 ホーチミンの空港は、テト(旧正月)に地元へ帰る人で混雑していた。列は誘導されず、搭乗手続きは遅々として進まない。いつ飛行機に乗れるか分からない不安に誰もが顔を曇らせていた。 ベトナム航空・ハノイ行きの便の離陸まで1時間。 焦る気持ちから、私は人をかき分けて前へ、前へと進んでいった。気分は大阪のおばちゃんだ。すると横に並んでいた男から舌打ちされた。20代前半のお兄ちゃんだった。 ここで1つ注釈しておきたい。 ベトナム人の気質は、とても穏やかだ。 日本人は礼儀正しい民族だと言われているが、これほどの混雑に巻き込まれたらブーイングが漏れ聞こえてくるだろう。空港職員にクレームをつける人もいるはずだ。ところがホーチミン空港に集まったベトナム人たちは文句1つ漏らさず、静かに順番を待っていた。日本人以上に穏やかで礼儀正しい。それがベトナム人の性格なのかもしれない。 そのベトナム人に
by Desiree Catani 2013年末からヒットし始め、2014年の1月には1日5500件以上ものレビューが投稿されるようになった人気モバイルゲーム「Flappy Bird」は、2月8日に開発者が「これ以上もう堪えられない」とTwitter上に投稿し、22時間後にApp StoreとGoogle Playからアプリが削除されるに至りました。リリースから半年間、まったく見向きもされなかったアプリが爆発的にヒットした理由とは何か?そしてなぜアプリは削除されるに至ったのか?ということについて、2月11日に公開されたForbesの独占インタビューも含め、まとめました。 Exclusive: Flappy Bird Creator Dong Nguyen Says App 'Gone Forever' Because It Was 'An Addictive Product' - Forb
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