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写真と長崎に関するlaislanopiraのブックマーク (18)

  • バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

    例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され

    バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事
  • 原爆写真展の後援拒否 長崎・佐世保市「中立保てない」 | 共同通信

    長崎県佐世保市で8月5日に市民団体が開く原爆写真展に関し、市と市教育委員会が、核兵器禁止条約の批准を日政府に求める横断幕を掲げることなどを理由に「政治的中立性が保たれない」として後援を拒否したことが31日、市や主催者側への取材で分かった。条約を巡る署名活動や横断幕掲示の有無で例年対応が分かれている。 写真展は原水爆禁止佐世保協議会などが主催し、今年で7回目。原爆投下直後の長崎の写真を展示し、条約批准を政府に求める署名活動をする。 市によると、6月7日に後援願が出され、横断幕を掲示した過去の写真展の画像が参考資料として添付されていた。

    原爆写真展の後援拒否 長崎・佐世保市「中立保てない」 | 共同通信
  • 広島・長崎原爆から77年 あの日、何が起きたのか Google Japanが当時の写真を公開中

    広島原爆については、広島平和記念資料館が保有する写真資料50点以上を公開している。原子爆弾「リトルボーイ」や、同資料館が米軍から提供されたきのこ雲の写真などを掲載。当時の広島の様子を、写真とテキストを交えて解説する「ストーリー」も公開している。 長崎原爆については、長崎原爆資料館が保有する資料170点以上を公開。原爆投下前の街並みやきのこ雲の写真を掲載している他、広島同様ストーリーも公開している。 Google Japanは他にも、広島市と協力し、通常は立ち入りできない原爆ドーム内部の360度画像を「Googleストリートビュー」で閲覧可能にしている。いずれも開始から約10年たつ取り組みだが、Google法人は「平和を考える一助となれば」などとして、Twitterアカウントで定期的に紹介している。 関連記事 「当時もこんな空だったのかな」──カラー化した原爆写真がネットで反響 AIと人

    広島・長崎原爆から77年 あの日、何が起きたのか Google Japanが当時の写真を公開中
  • 長崎・佐世保市教委が原爆展後援せず 核廃絶署名「政治的中立侵す恐れ」 | 毎日新聞

    「原爆写真展」に合わせて実施された署名活動で署名する人たち=長崎県佐世保市で2019年8月4日午後0時6分、綿貫洋撮影 長崎県佐世保市で4日に開催された「原爆写真展」の後援依頼を市教育委員会が断っていたことが、関係者への取材で明らかになった。同時に実施する「ヒバクシャ国際署名」活動が「政治的中立を侵す恐れがある」と判断した。主催団体は「核廃絶の署名活動のどこに政治的中立の問題があるのか」と反発している。 写真展は原水爆禁止佐世保協議会などで組織する「LOVE&PEACE」の会が、核兵器禁止条約が成立した2017年から、市中心部の島瀬公園で1日限定で開催。4日は長崎原爆で亡くなった弟を背負う写真「焼き場に立つ少年…

    長崎・佐世保市教委が原爆展後援せず 核廃絶署名「政治的中立侵す恐れ」 | 毎日新聞
  • 「焼き場に立つ少年」の写真は“裏焼き”か 原爆投下の長崎 | NHKニュース

    原爆が投下された長崎で幼い弟を背負った直立不動の少年を撮影した「焼き場に立つ少年」の写真は、左右が反転したいわゆる「裏焼き」だった可能性があることが長崎市の関係者への取材でわかりました。少年の身元や撮影場所は原爆投下から74年がたつ今もわかっておらず、戦争の悲惨さを伝える貴重な写真の背景を探る手がかりとして注目されます。 この写真について、長崎市被爆継承課で10年にわたって調査してきた松尾隆さんが独自に分析したところ、男女で異なる上着の前合わせが逆で右が前になっていることや、戦時中、子どもたちが左胸に縫い付けていた名札が右胸にあることに気付いたということです。 このため松尾さんは、現在、公開されている「焼き場に立つ少年」の写真は、フィルムを現像した際に左右が反転したいわゆる「裏焼き」だった可能性があると指摘していて、今もわかっていない少年の身元や詳しい撮影場所など写真の背景を探る手がかりと

    「焼き場に立つ少年」の写真は“裏焼き”か 原爆投下の長崎 | NHKニュース
  • 「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示

    (CNN) ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。 この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。 法王は今回、カードの裏に自身の署名とともに「戦争が生み出したもの」という言葉を記載するよう要請した。 写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。

    「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示
  • Twitterユーザーの呼びかけで正体判明! 謎の巨大観音像写真から始まった歴史ミステリーに「鳥肌立った」「集合知の勝利」 (1/3) - ねとらぼ

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています たった1枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音像の正体が判明――。Twitter上で繰り広げられた、奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に「鳥肌立った」「集合知の勝利」といった声が寄せられています。 発端となったのは、サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」の管理人・つるま(@clane_2015)さんが12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真。そこには1体の巨大な観音像と、その周りに集まった大勢の人々が写っていました。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです」とつるまさんは呼びかけました。 巨大な観音像と、それを取り巻く人たち。近畿地方のとあるお寺に眠っていたとのこと(画像提供:つるまさん) つるまさんによると、この写真は近畿のとあ

    Twitterユーザーの呼びかけで正体判明! 謎の巨大観音像写真から始まった歴史ミステリーに「鳥肌立った」「集合知の勝利」 (1/3) - ねとらぼ
  • 【ついに判明!】とある一枚の謎の写真「この観音像はどこにあったのか?」写ったものをヒントに推理続々「ガチ勢すごい」「感動した」

    つるま @clane_2015 近畿のとあるお寺に残された写真です。この観音像が撮影された場所、年代を探しています。 これだけ巨大な観音像なのに、日のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです。年代は昭和初期〜20年代と推定されます。 仏像、着物、植物、建築などのマニアの方のご意見、情報お待ちしてます。 pic.twitter.com/kdhfyDWa43 2017-12-01 11:29:34

    【ついに判明!】とある一枚の謎の写真「この観音像はどこにあったのか?」写ったものをヒントに推理続々「ガチ勢すごい」「感動した」
  • ひとりの写真家として、長崎県知事に抗議文を出しました。 | MURAYAMA YOSHIAKI WEB SITE

    日午前10時に長崎県川棚町にある「石木ダム建設事務所」を訪ね、長崎県知事に対してひとりの写真家として抗議文を提出しました。 抗議文は同事務所次長が受け取り、複数のマスメディアが抗議文提出を取材してくれました。記事になり次第こちらのブログでも紹介しますが、まずは事の経緯を記したいと思います。 拙著『石木川のほとりにて 13家族の物語(パタゴニア刊)』は、長崎県川棚町川原地区(こうばるちく)に暮らす13世帯とそのまわりにある自然環境などを約1年に渡って取材し、写真と文章でまとめたものです。 川原地区は長崎県が半世紀以上前に計画した石木ダム事業の水没予定地域ですが、全世帯が計画当初から石木ダム事業に反対し、現在もダムに関係する工事はほとんど着工されていません。しかし一方では、13世帯の家屋や土地などを強制収用する行政手続きが進められています。13世帯の人生を大きく左右する事業でありながら、石木

    ひとりの写真家として、長崎県知事に抗議文を出しました。 | MURAYAMA YOSHIAKI WEB SITE
  • 軍艦島の歴史を写真と映像で振り返るWebサイト「軍艦島アーカイブス」公開 - はてなニュース

    西日新聞社と西日新聞メディアラボは、軍艦島(長崎市端島)の歴史を古写真と映像で紹介するWebサイト「軍艦島アーカイブス」を公開しました。軍艦島の成り立ちやかつての島の様子を、全8話の構成で紹介します。これは同社が進めている、軍艦島のデジタルアーカイブプロジェクトの一環です。 ▽ 軍艦島アーカイブス - 明治日の産業革命遺産 各ページでは「軍艦島の出現」「日を支えた石炭産出」などのタイトルで、軍艦島の成り立ちや労働していた人々の生活が紹介されています。それぞれのページ下部には、かつての軍艦島に居住していた伊藤千行さんと西日新聞社が所蔵する写真が並び、当時の様子を想像できます。4月21日(火)現在、第3話まで公開されています。 軍艦島は、世界遺産登録に向けて手続きが進められている産業遺産の1つです。西日新聞社は、そんな軍艦島が維持・保存の危機にある現状を受け、デジタルアーカイブプロ

    軍艦島の歴史を写真と映像で振り返るWebサイト「軍艦島アーカイブス」公開 - はてなニュース
  • 目をむき、声を失う写真 『トランクの中の日本』 - HONZ

    仕事で必要があり、終戦直後の日を映した写真を探していて出くわしたのが、この写真集だった。その時に「スミソニアンで実現しなかった幻の写真展をここに再現。」という帯の言葉に思い出したのが、在郷米軍人の圧力でキャンセルされた、ワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展のニュースだ。なにしろ20数年前のことなのでうろ覚えだが(子供だったんで……)、新聞でニュースを読んだ記憶がある。 1990年からアメリカで、ついで1992年から日各地で、著者のジョー・オダネル氏の写真展は開催され、話題をさらっていたものの、アメリカの博物館の殿堂ともいえるスミソニアンで95年の夏に予定されていた大きな戦争関連展示は、エノラ・ゲイ(広島に原爆を投下した機体の名称)以外はオダネル氏の写真も含めて大幅に縮小され、大きな国際ニュースになっていたのだ。 このスミソニアンの一件がきっかけというよりも、92年の日での展示

    目をむき、声を失う写真 『トランクの中の日本』 - HONZ
  • 原爆で破壊された長崎のカラー航空写真、米国で初確認:朝日新聞デジタル

    原爆で破壊された後の長崎市内の様子を写したカラーの航空写真を、米国立公文書館で初めて確認したと4日、市が発表した。 発表によると、見つかった写真は3枚。うち1枚は、爆心地やその近くの浦上天主堂の姿をとらえており、1946年11月より前に撮影されたとみられる。ほかの2枚は、長崎医科大(現・長崎大医学部)付近が写ったものと、長崎駅付近が撮影されたもので、撮影時期などは不明という。 長崎市は、被爆70年に向けて6月16日から27日までワシントン近郊の国立公文書館で調査。見つかったカラー写真は航空写真を含め計約30枚という。(岡田将平)

    原爆で破壊された長崎のカラー航空写真、米国で初確認:朝日新聞デジタル
  • 長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】リュウグウノツカイを捕獲 (3月9日)

    リュウグウノツカイを捕獲 生月で水揚げされた、大人の男性よりも大きなリュウグウノツカイ=平戸市、舘浦漁協 深海に生息し"幻の巨大魚"ともいわれるリュウグウノツカイが8日、平戸市生月町沿岸で捕獲された。佐世保市鹿子前町の九十九島水族館(海きらら)によると、体長約5・2メートル、体重約83キロで、これまでに同館が確認した中では最大の個体だった。 リュウグウノツカイは日海や太平洋などの深海(水深200~千メートル)に分布し、銀白色の体と、赤紫色を帯びた背びれが特徴。陸地から遠く離れた沖合に生息しているとみられることから、生態はほとんど解明されていない。 捕獲した個体は、舘浦漁協が生月島東南部の沿岸に設置している定置網(水深約40メートル)の中に入って泳いでいるのを漁協職員が発見。水揚げ後に死んだことから、海きららが譲り受け、持ち帰って解剖した。その結果、この個体はメスとみられ、胃の内容物

    長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】リュウグウノツカイを捕獲 (3月9日)
  • 軍艦島はオーシャンビューな廃墟だった

    すっかり有名になった軍艦島だが、一応ザッと説明すると、長崎の南端に浮かぶ無人島。正式名称は端島(はしま)。明治時代から炭鉱の島として開発が進められ、幅160m、長さ480mという狭い島内に5000人もの人が住み、世界一の人口密度を誇った。昭和49年に炭鉱が閉山。まもなく無人島となり、現在のような廃墟の島となった。

  • google earthを通じてインタラクティブに「被爆ってどんなもの?」を伝える「ヒロシマ・アーカイブ」

    9/29締切【4ヶ月完結・オンライン+現地】わたしをいかした小さな商いをはじめる。まち商いスクール in 福島県双葉町 \先着300名無料/10/29 キノマチ大会議~流域再生で森とまちをつなげるオンラインカンファレンス 福島第一原子力発電所の自己の影響で被曝への関心が高まっていますが、66年前に広島で被爆した人々の体験と想いを収集したアーカイブ「ヒロシマ・アーカイブ」が公開されました。このアーカイブは昨年greenzでも取り上げた長崎の被爆を記録した「ナガサキ・アーカイブ」のヒロシマ版にあたります。 「ナガサキ・アーカイブ」は第14回文化庁メディア芸術祭で審査委員会推薦作品に選出され、今年2月に開催された受賞作品展でも展示されました。それを更にパワーアップさせて完成したヒロシマ版は一体どのようなものなのでしょう… 今回も「ナガサキ・アーカイブ」と同様、被爆者の証言や写真、地図などをgoo

    google earthを通じてインタラクティブに「被爆ってどんなもの?」を伝える「ヒロシマ・アーカイブ」
  • キリシタンの島で、宝石みたいな天主堂群とかわいい休火山をめぐる - 沙東すず

    ▲貝津教会のステンドグラス 五島列島は長崎市の西100kmに位置する島々です。釣りや自然が豊かなので有名なところですが、キリシタンの歴史とも深い関わりがあります。キリスト教は当初は領主の庇護下、最初こそジャンジャンバリバリで根づいたものの、豊臣秀吉や徳川幕府の禁圧を受けることに…信徒達は、比較的禁制がゆるいと言われた五島にあいついで移住しました。しかし明治初期には「五島崩れ」と呼ばれる最後の大弾圧が行われ、死者を出しています。 やがて禁教令が解除されると、花の開くがごとく数多の教会が建てられ、いま五島に存在する教会の数はなんと50!とてもすべてはめぐりきれませんが、それぞれ個性ある教会ばかり。静かな漁村に建つ古い教会は、なんだかヨーロッパの田舎みたいな風情です(ヨーロッパ行ったことないけどな!)。今回の福江島編だけでも五島の教会の多彩さの一片は伝えられるのでは。宝石のような教会建築だけでな

    キリシタンの島で、宝石みたいな天主堂群とかわいい休火山をめぐる - 沙東すず
    laislanopira
    laislanopira 2011/07/04
    天草とかもそうだけど日本の漁村で教会の塔を見ると知らない国に来た感じがする
  • 魚が跳ねる瞬間を写真に撮りたい :: デイリーポータルZ

    水の中を泳ぐ魚が、理由はわからないけど たまにピョーンと跳ねることがあるだろう。 あの瞬間を写真におさめたい。 でも、どうやって? とりあえずやってみました。 (T・斎藤)

    laislanopira
    laislanopira 2010/10/22
    "もしシューベルトが「ぼら」という曲を書いていたらそのジャケット写真に採用されるような、そんな写真を撮りたい"
  • asahi.com:軍艦島の神社よみがえる-マイタウン長崎

    北海道の元炭鉱マン模型作成 長崎のNPOに寄贈〉 ■「写真より実感わく」 長崎市の軍艦島(端島)にあった唯一の神社「端島神社」の模型を、北海道の元炭鉱マンが作り、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」(坂道徳理事長)に贈った。大阪のファンからはすでに「ドルフィン桟橋」の模型も贈られており、坂さんは「写真展などの時に模型を見せながら説明できる」と喜んでいる。 模型を作ったのは、北海道三笠市の斉藤靖則さん(65)。実物の50分の1の木製で縦60センチ、横25センチ、高さ28センチ。写真や図面を元に鳥居や慰霊碑、ちょうず鉢なども再現。実際にはなかったさい銭箱も「あると面白いかな」と作り、穴を開けて小銭を入れることが出来るようにした。 斉藤さんは07年3月、三笠市であった坂さんの講演を聞き、軍艦島に興味を持った。炭鉱には、24年間働いたことから、思い入れがあった。さらに、閉

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