タグ

福島と人生に関するlaislanopiraのブックマーク (80)

  • あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実 - ウィンザー通信

    ワイも読んだで!! (れいこ) 2011-10-14 16:30:38 まうみさん 私は、リアルタイムで読んでいました。 故郷歌えない で泣きました。ピアノ挫折ですが、歌が大好き。下手の横好きですが。 ブログのテーマにしようと思っていましたが、あまりに、内容がーー。終わってからと思って、しそこなっていました。 せめて転用させて下さい。 ありがとうね。 まうみさんの祖国を想う気持ちに感謝!! 返信する 浪江町で育ちました (高瀬) 2011-10-14 23:50:30 父の転勤で、小学生から高校まで双葉と浪江の町境に住んでました。姉は双高私は原高卒(南相馬)です。 でももう20年も前なので、連絡を取っている人はほとんどいませんが、きっと多くの知人が暮らしていたと思います。話を聞くたび、まるで低温火傷のような痛みをおぼえます。 あの鮭がのぼる川、ほたるが舞う田んぼ、いつも遊んだ神社・・・もう

    あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実 - ウィンザー通信
    laislanopira
    laislanopira 2011/11/18
    風下。浪江町津島
  • 県議として原発建設に反対し双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫の死ー東日本大震災の歴史的位置

    このサイトは、東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くことによって、「現在」に生きる私たちが「歴史」=「過去」とどのようにかかわっているのかということを考えることを目的とする。 2011年7月17日付朝日新聞朝刊に、次のような小さな記事が掲載された。 元福島県双葉町長の岩忠夫さん死去 2011年7月16日20時40分 岩 忠夫さん(いわもと・ただお=元福島県双葉町長)が15日、慢性腎不全で死去、82歳。葬儀は17日午前11時から福島市宮町5の19の福島斎場で。喪主は長男久人さん。 1985年から町長を5期務めた。社会党の県議時代は原発に反対したが、84年に離党後、推進に転じた。全国原子力発電所所在市町村協議会副会長などを歴任。東日大震災後は福島市内に避難していた。 (典拠はhttp://www.asahi.com/obituaries/update/0716/TKY201107

    県議として原発建設に反対し双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫の死ー東日本大震災の歴史的位置
  • 足湯が溶かした2500人の張り裂ける思い:日経ビジネスオンライン

    この施設で避難生活を送った人々のつぶやきと、表情をとらえた写真による記録集『生きている 生きていく ビッグパレットふくしま避難所記』(アム・プロモーション)が10月3日発売された。 物流、直接製造コストを除いた販売収益は、富岡町と川内村の災害対策部に寄付される。 赤地にタイトルをシンプルに書いた表紙。この記録集は、ある“特命”を受けた1人の福島県職員の思いから誕生した。 1人の県職員に突然の“特命”下る その人は、福島県スポーツ局生涯学習課の社会教育主事、天野和彦さん。震災後、同僚と2人1組で相馬市の避難所を回っていた天野さんは、もうじき震災から1カ月を迎えようとしていた4月9日、突然、県の災害対策部に呼ばれ、内示を受ける。 「ビッグパレットふくしまの避難所に常勤してほしい」 「はい、分かりました」と天野さんが答えると、「当に良いの。じゃ、1日ゆっくり休んでもらって。(4月)11日に

    足湯が溶かした2500人の張り裂ける思い:日経ビジネスオンライン
  • 「悪魔からの逃避行」

    p1 3月12日〔土曜日〕避難1日目 車の大渋滞進まない前が見えない、25キロは、渋滞しているだろう。頭の上の防災スピーカが、耳障りに避難せよ、大至急避難せよ、福島第一原子力発電所において、放射能漏れの、危険があるので町民のかたは全員、川内第一小学校まで、避難せよと、繰り返している。避難中何度も訓練であってほしいと願った。 家族9人で、3台の車に分乗して逃げた、直ぐに帰れると思い、とりあえず、避難しようと思い出てきた。飲み物も無い、べ物もない、着変えも無い、私も以前原子力発電所で働いたことがある、少しは知識を持っていた。消防車が、けたたましくサイレンを鳴らし通りすぎていった。大変なことが起きていると思った。町ぐるみで避難命令が出る、と言うことは、相当な事故が起きていると直感した、外れてほしかった、何度も願った、ふるさとが、遠くになるにつれ、これまでの人生が、走馬灯のように流れた、今は亡き

  • この国と原発:第1部・翻弄される自治体/6止(その2止) 原子力に期待… - 毎日jp(毎日新聞)

    <1面からつづく> ◇原子力に期待「間違ってはならない賭け」 ◇岩・前双葉町長、社会党県議から転身 住民のために反対し、住民のために共存した ◇避難生活で衰弱、死去 7月15日午前5時。岩忠夫・前福島県双葉町長は福島市の病院で、付き添っていた長男の双葉町議、久人さん(54)に見守られ、静かに息を引き取った。82歳。原発事故の避難生活で急速に衰え、入院後の40日間は会話もできなかった。 「当は何か言いたかったんじゃないかな。話してほしかった」と久人さんは言う。 岩氏は85年12月に町長に初当選し、05年まで5期20年務めた。町内には東京電力福島第1原発5、6号機があるが、財政難を背景に7、8号機の増設を求める原発推進派の筆頭格だった。 一方、町長になる前は社会党(当時)県議や「双葉地方原発反対同盟」委員長として、反原発の先頭に立った。県議時代の74年、電源3法の国会審議に参考人招致さ

  • 福島第1原発:6代住んだ土地、絶対戻りたい 初一時帰宅 - 毎日jp(毎日新聞)

    花などの荷物を手に、一時帰宅の集合場所に集まる田中武さん=福島県広野町の中央体育館で2011年8月26日午前9時36分、森田剛史撮影 東京電力福島第1原発から3キロ圏内の住民の一時帰宅が26日、ようやく始まった。しかし、政府は原発周辺の放射線量が高い地域について立ち入り規制を長期間継続する方針を示しており、警戒区域指定の解除の見通しは立っていない。それでも5カ月半ぶりの一時帰宅を迎えた住民らは「いつか絶対に戻りたい」と強く願う。【伊澤拓也】 「長かったなあ」 猪苗代町内のホテルに避難する田中武さん(67)、和子さん(62)夫の自宅は、原発から北に約2キロの双葉町郡山地区にある。震災当日、着の身着のままで町内の中学校に避難して以来、初めての帰宅だ。 江戸時代に先祖が沿岸に家を構え、田中さんで6代目。30代で東電の社員になり、04年まで第1原発で下請け作業員の管理をしていた。「安全神話を信じ

  • ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん - 毎日jp(毎日新聞)

    人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲

    laislanopira
    laislanopira 2011/07/28
    世間からは長い間見えない場所に行ってしまっていたけど、原発事故で農地から逃げ出す羽目になっていたのか/ 近代日本というテーマがより一層見えてきた
  • 東日本大震災:お墓にひなんします 南相馬の93歳自殺 - 毎日jp(毎日新聞)

    「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ば

  • 「”生命”は維持できても”人生”は奪われている」いまも南相馬市に暮らす住民の訴え

    第1位 「私は放射能から逃げない」(「週刊現代」7月2日号) 第2位 「我が子を守る[『放射能汚染』解毒法」(「サンデー毎日」7月3日号) 第3位 「やめたくないよー、菅直人は僕の前で泣いた」(「週刊現代」7月2日号) 政治家が口を開くとき、そこには何らかの思惑がある。石井一なんて爺さんは海千山千のたぬきである。自分の前で菅直人が泣きながら「辞めたくない」と言ったと明かすのは、自分がそれほどの大物であると見栄を張るだけではなかろう。第3位は「現代」の、なかなか奥が深そうな面白いインタビューである。 石井は、不信任決議案が否決されたのだから、菅は辞める必要がないと言い切り、7月から8月ころまでは続投すると言う。 震災復興の遅れや原発事故の対応の不手際があるではないかという聞き手に対して、石井は、被災地のガレキが片付かないのは処分する場所がないからで、仮設住宅が足りないのも、建設用地が限られて

    「”生命”は維持できても”人生”は奪われている」いまも南相馬市に暮らす住民の訴え
    laislanopira
    laislanopira 2011/06/22
    ライフ、人生、生命
  • 被災地のがれきの前に集まった人々、それぞれの思い:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 震災から約3カ月、福島県いわき市 6月5日。3・11から3カ月近くが過ぎた日曜日。私は一人、福島県いわき市で災害ボランティアに参加した。 地震と津波がもたらした惨状をこの目で見てみたい、また現地に行って何かのお役に立ちたいとずっと思っていた。しかし当初、災害ボランティアは県内限定の募集がほとんどだった。それを知ってか知らずか、ゴールデンウィークには多くの個人が乗り込み、人があふれて混乱が生じたとも聞いた。個人のボランティアはまだ早い。かといって物見遊山で訪問してしまっては、復興の足を引っ張ってしまう。 自宅近くのボランティア団体に登録はしたものの、緊急時に役立つスキルのない自分にはできることが見つけられなかった。2カ月がたち、そろそろ現地も個

    被災地のがれきの前に集まった人々、それぞれの思い:日経ビジネスオンライン
  • 福島県の瓦職人へ修理依頼が殺到…客から「下手クソが」など罵声受け、自殺する職人も

    1 :名無しさん@涙目です。(長屋):2011/06/12(日) 22:22:38.19 ID:dhNl+lsT0● ?PLT(14888) ポイント特典 瓦職人 限界 1日30件…自ら命絶つ人も 県内の瓦職人が悲鳴を上げている。東日大震災で多くの民家の瓦屋根が壊れ、 修理の依頼が一気に押し寄せた。「腕が悪いから壊れた」という一方的な非難、過重な労働、 雨漏りを心配する顧客からの矢の催促。職人から「もう限界」との声が出る。 県瓦工事組合連合会には震災後、会員2人の自殺の可能性が報告された。 「技術が悪かったから瓦が落ちたんだ」。 県南地方の業者は、自分が屋根を手掛けた顧客から容赦のない言葉を浴びせられた。 瓦の損壊には建物の強度や地盤などさまざまな原因が考えられるが、 知り合いの同業者も自信を持って完成させた仕事を非難された。 「ノイローゼになった仲間もいた」と打ち明ける。 人手や資材の

    laislanopira
    laislanopira 2011/06/12
    モンスター顧客ってやつか、お客さんも屋根が壊れて震災後の見通しも立たずイライラしているんだろうけど
  • 福島県民です。今避難して宮城の知り合いの家にやっかいになってます。

    ■編集元:ニュース速報+板より 13 【東電 82.6 %】 :2011/04/30(土) 19:06:57.24 ID:ijpAwL+r0 RT 608 :名無しさん@十一周年:2011/04/30(土) 18:20:13.13 ID:60ag96MV0 福島県民です。 今避難して宮城の知り合いの家にやっかいになってます。 もう駄目ですね。 家も駄目、震災で家族も死んだ。 仕事も無くなったし家にも戻れない。 GW過ぎたらここ出ます。 「そういやそんな書き込みあったな」とでも思い出してください。 670 :名無しさん@十一周年:2011/04/30(土) 18:30:23.73 ID:60ag96MV0 GW過ぎたら死にます。 でもただ死にません。 復讐します。 ではこれ以上は迷惑になるので失礼します。 115 忍法帖【Lv=13,xxxPT】 【東電 82

    laislanopira
    laislanopira 2011/04/30
    生きろ、復讐なんかやめろ/ とはいえ…
  • 津波で酒蔵を失った男の再起への誓い:日経ビジネスオンライン

    3月11日14時46分に発生した東日大震災は、東北地方はもちろん、関東東部、さらには長野県北部にまで甚大な被害を与えた。 東北から北関東にかけて、太平洋沿岸部にある複数の酒蔵が壊滅的被害を被った。 岩手県の地酒に『酔仙』がある。大地震を追いかけるように起こった津波は、金野靖彦社長が見る前で、酒蔵のすべてを飲み込んでいった。高台に逃げる途中で振り向くと、酒蔵は怒涛に飲まれていた。残ったのは、瓦礫の中から突き出す流木に引っかかった酒樽だけ。その光景が金野社長に与えた衝撃と哀しみは言葉に表しようがない。しかも、3月11日は甑倒し(こしきだおし)――この年最後の米を蒸して仕込み、酒の神様を祀った神棚に新酒を供え、蔵人(酒造りの職人)の労をねぎらう――の日だったという。 その同じ日に甑倒しを終えていた蔵がある。福島県の地酒『磐城壽(いわきことぶき)』を製造する鈴木酒造店だ。磐城壽の生産量は決して多

    津波で酒蔵を失った男の再起への誓い:日経ビジネスオンライン
  • 東日本大震災:「お父さん、ありがとう」妻の声津波に消え - 毎日jp(毎日新聞)

    が娘に託していた愛用の小銭入れを「お守り」にする熊川さん。「唯一の形見」という=福島県二松市の遺留品掲示所で2011年4月18日、大場弘行撮影 東日大震災の津波で数百人の行方不明者が出たにもかかわらず、福島第1原発の事故に伴う避難指示で1カ月以上捜索が実施されなかった福島県浪江町請戸(うけど)地区。津波に遭い、九死に一生を得た男性の耳には、50年近く連れ添った自分への感謝の言葉とともに波間に消えたの声が残る。「一刻も早く見つけてほしい」。男性は14日に始まった捜索による発見を祈るように待ち続けている。 「真っ黒い波が数十メートルの高さに立ち上がり、一気に倒れてきた」。海岸から数百メートル先に住む無職、熊川勝さん(73)は目前に迫る大波に度肝を抜かれた。洋子さん(73)の手を引いて2階に駆け上がったが水位はみるみる上がり、洋子さんを抱えて顔を出すのがやっとになった。死を覚悟し「これ

  • いわき市民だけど3/11からおきたこと語ってく。 : キニ速

  • 江頭2:50、いわきへ行く。 - てれびのスキマ

    前回のエントリ「その時、芸人たちは何を語ったか。」でも少し触れましたが、江頭2:50は原発事故の風評被害で物資が届かないと問題になっている福島県いわき市に自らトラックを運転して救援物資を届けにやってきてくれました。 いわき市民としてその報を知ったときは嬉しすぎて涙が出ました。しかし、最初の報はミクシィ経由のTwitter情報ということで、まだ信憑性という点で疑問が残っていました。それでも、エガちゃんだったらやってくれてそうと思わせてくれる実績と伝え聞く人望があったのでそれだけでも僕は胸がいっぱいになっていました。程なくして、北野誠らが裏を取りその噂が真実であることが判明しました*1。結果、新聞報道に至りながらも人は「恥ずかしがり屋だから」とコメントは出していませんでした。 そして、4月1日。 ようやく自身唯一のレギュラー配信番組『江頭2:50のピーピーピーするぞ!』で待望の人による証言

    江頭2:50、いわきへ行く。 - てれびのスキマ
  • 福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」

    福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」2011年3月29日5時30分 印刷 Check 畑には自殺した男性が作ったキャベツが並んでいた=福島県須賀川市、西堀写す 福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。 自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。 23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむ

    福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」
    laislanopira
    laislanopira 2011/03/29
    原発に殺された。農業に励んできた心が折れたのだろうか
  • asahi.com(朝日新聞社):野菜農家が自殺 遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。 - 社会

    畑には自殺した男性が作ったキャベツが並んでいた=福島県須賀川市、西堀写す  福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。  自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。  23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。「福島の野菜はもうだめだ」。男性の次男(35)は、男性のそんなつ

  • 福島原発20キロ圏内の住人数人が避難せず・・・機動隊員らが説得

    1 :名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/03/25(金) 12:39:04.38 ID:s9Zq1Mi40● ?2BP(1) 警察庁は25日、福島第1原発の事故を受けて政府が避難指示をしている半径20キロ圏内に、 数世帯の数人が現在も居住していることを明らかにした。 福島県警の機動隊員が避難するよう説得に当たっている。 警察庁によると、20キロ圏内の防犯対策や避難状況の確認のため、数日前から防護服や 線量計を装備した機動隊員がパトロールを開始。22日には4世帯の5人を避難させた。 10キロ圏内では活動していないという。 パトロール中に遺体を発見するケースもあり、連絡を受けた検視担当の部隊が収容した。 警察庁は15日に避難の完了を発表。20キロ圏内では警察活動を実施していないとしていた。 http://sankei.jp.msn.com/region/news/110325/fks

    laislanopira
    laislanopira 2011/03/25
    日本国内にチェルノブイリ並みの避難地域ができるかもしれないという、言葉にならない
  • 原発の清掃員のバイトが決まった 日給12万 : キニ速

    laislanopira
    laislanopira 2011/03/16
    これが今の給料/ 一時金のためにこれからの人生を犠牲にできるかどうか