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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (142)

  • 『セラピスト』最相葉月(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「評伝にはしない」 ノンフィクションというジャンルの可能性を感じさせる一冊である。 日におけるカウンセリングのあり方を取材した書は、内容からすれば、たとえば中井久夫や河合隼雄の評伝としてまとめられていてもおかしくはなかった。かなりの部分は、中井や河合が統合失調症患者の治療の現場で果たした革新性を強調することに割かれており、最相氏自らがいわば実験台となって中井氏の「風景構成法」による診断を受けるあたりは、資料的価値も大きい。 しかし、最相氏はあくまでカウンセリングというテーマにこだわった。もしこのが評伝として書かれていたなら、おそらくカウンセリングをめぐるさまざまな問題意識は、中井久夫や河合隼雄といったカリスマ性に満ちた〝偉人〟の、人生の物語に吸収されてしまっただろう。それだけ二人の人生にはあっと驚くような、そして濃厚な、エピソードがあふれているということ

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  • 『王になろうとした男』 伊東潤 (文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 織田家を社員を使いつぶすブラック企業にたとえた人がいたが、ブラック企業でもすべての社員がつぶされるわけではなく、出世の道をひた走って高い地位にのぼりつめる社員もいれば、カリスマ経営者に心服して、出世とは関係なしに会社に献身することに喜びを見出す社員もいるだろう。 書は信長周辺の歴史の脇役を描いた連作短編集だが、出世レースに邁進して自滅していく野心家と、信長に惚れこんで運命をともにした忠義者という二つのタイプの武将が登場する。それぞれに面白いが、作品としては忠義者を描いたものの方がすぐれているようである。 「果報者の槍」 桶狭間の戦いで今川義元の首をとった毛利新助が主人公である。新助は論功行賞で義元の槍をあたえられ、黒母衣衆にとりたてられたが、その後はぱっとしなかった。 母衣衆は信長の指令を前線部隊に伝える連絡将校であり、いわば司令部勤務といえる。信長のそば近

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  • 『織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代』 武田知弘 (ソフトバンク新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 武田知弘氏は国税庁職員から物書きに転じた人で、『ヒトラーの経済政策』や『史上最大の経済改革“明治維新”』などの経済的視点の歴史物で知られている。 書も信長の天下統一を経済的視点から見直そうという試みであり、経済力において信長が他の戦国大名を圧倒していたことがさまざまに論証されている。 信長の天下統一が経済力を背景にしていたことは、織田軍が非常に金のかかる軍隊だったことからもわかる。 信長は長篠の戦いで三千丁の鉄砲を投入するなど火器を活用したが、鉄砲は高価であり、火薬に必要な硝石は当時は輸入でしか入手できなかった。 他の戦国大名は依然として農民兵に頼っていたので動員に時間がかかる上に、農閑期にしか戦えなかったが、信長はいちはやく兵農分離を進め、常備兵をかかえていた。戦争専門の常備兵が農民兵より強いのはあたり前だが、衣住を丸がかえにしなければならなず、農民兵よ

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  • 『信長の政略 信長は中世をどこまで破壊したか』 谷口克広 (学研) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 谷口克広氏は『織田信長合戦全録』や『信長と消えた家臣たち』、『織田信長家臣人名辞典』など、信長関係のレファレンスを精力的に執筆してきた人である。欄でも『検証 能寺の変』をとりあげたことがある。 谷口氏のは信長の家臣団や合戦など、特定分野の情報をバランスよくまとめてくれるので重宝してきたが、『信長の政略』も期待通りで、安心して読める。 書は「序章」で信長の天下取りのプロセスを概観した後、「第一部 周囲に対する政略」、「第二部 統一戦争へ向けた政略」、「第三部 民衆統治に関する政略」と三部にわけて記述している。 「第一部 周囲に対する政略」では「外交と縁組政策」、「室町幕府」、「朝廷」、「宗教勢力」という四つの章を立てているが、それぞれについて学説の変遷を簡潔に紹介するところからはじめているのはありがたい。 対朝廷政策については幕末の勤王思想家は信長を勤

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  • 『渋沢栄一』鹿島茂(文春文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「官尊民卑と闘った男」 渋沢栄一には以前から興味を持っていたが、なかなかその人となりを詳しく知る機会はなかった。20年ほど前に古牧温泉を訪れたときに、そこに移設されていた旧渋沢邸を見たことがあっただけだ。書店で『渋沢栄一』を見つけたときに、著者が鹿島茂であることに驚いた。種々の雑誌等の洒脱なエッセイでお目にかかる仏文学者が、なぜ渋沢の伝記を書いたのかと疑問に思って入手した。 どんな人にも、大きく人生を変える出来事がある。渋沢にとってそれはまず郷里の血洗島村で、父の名代として代官に会ったときに受けた屈辱である。御用金を頼まれた方なのに、頼んだ方が渋沢の人格を全く認めずに権柄ずくめの態度をとった。当時としてはこれはむしろ当然のことなのだが、それに対して憤りを感じるところに、鹿島は渋沢の「新人類」を感じる。 もう一つは、幕末にパリ万博へ赴く徳川昭武のお供として、パリ

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  • 『神話論理〈2〉蜜から灰へ』 レヴィ=ストロース (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 『神話論理』の第二巻である。表題の「蜜」とは蜂蜜、「灰」とはタバコの灰をさす。 レヴィ=ストロースは巻では「神話の大地は球である」ことを証明すると大見えを切るが、その前に蜂蜜について説明しておかなくてはならない。巻に登場する蜂蜜はわれわれがよく知っている蜂蜜とは似て非なるものだからである。 そもそもアメリカ大陸にはヨーロッパ人が西洋蜜蜂を持ちこむまでは蜜蜂は存在しなかった。しかし蜜を貯める蜂はいる。ハリナシバチやスズメバチの一部で、巻で「ミツバチ」と総称されるのはこのハリナシバチやスズメバチのことなのである(蜜をつくる蜂の総称を「ミツバチ」とすると紛らわしいので、第三巻以降は「ハナバチ」と訳語が変わっている。欄でも総称は「ハナバチ」で統一する)。 驚いたことにハリナシバチやスズメバチは花の蜜だけではなく、樹液や人間の汗、糞尿、腐肉なども餌にしていて、そ

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  • 『凡人でもエリートに勝てる人生の戦い方。』星野明宏(すばる舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「定石破りのコツ」 絵に描いたようなストーリーだ。華やかなテレビ業界で活躍していた電通マンが、ある日一念発起し、会社を辞めて教育系の大学院に入り直した。そして教員資格を得ると、地方の名も無い私立校に教師として赴任。そこで部員数が15人にも達しない(つまり試合すらできない)ラグビー部の顧問となる。するとこのラグビー部があれよあれよという間に実力をつけ、たった三年で花園に出場してしまったのである!まさに神。救世主。スーパーマン。 すいません、ここでちょっとお断りですが、この「地方の名も無い私立校」というのは評者の出身校。しかも数十年前、評者はこのぼろぼろラグビー部のなんちゃって部員だったのでした。というわけでチョー地味な我が母校で、最近になって起きたこの「事件」のことが気になり、書を手に取った次第。 ラグビーというのは不思議なスポーツだ。正月の花園で、高校生たち

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  • 『グローバル・スーパーリッチ 超格差の時代』クリスティア・フリーランド(早川書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「”プルトクラート文化”とは何か」 経済格差について書かれたは多いが、書(クリスティア・フリーランド著『グローバル・スーパーリッチ~超格差の時代』中島由華訳、早川書房、2013年)は、「フィナンシャル・タイムズ」の「ベストブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたベストセラーの翻訳である。経済学者やエコノミストなら、最近、この問題に関してスティグリッツやクルーグマンのような高名な経済学者が時折「格差」を批判する論説を発表していることを知っているだろうが(注1)、書の特徴は、「経済分析」というよりは、格差を生んだ「文化」について多くを語っているところにあると言えよう。 1970年代、アメリカでは上位1%の年収は国民所得の10%を占めるに過ぎなかった。ところが、35年後には、昔の「金ぴか時代」のように国民所得の三分の一を占めるようになった。それを象徴する数字を、ロ

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    laislanopira
    laislanopira 2014/02/20
    貴族と平民の厳然たる差が再び誕生する/ "現代のプルトクラートは「労働する金持ち」だが、彼らが自分の財産を子孫に譲れば、「不労所得者のエリート」が生まれる"
  • 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』高瀬毅(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「廃墟の時間性」 昨年の収穫の一つと紹介されていたのを目に留め、急いで読んだ。もとは2009年に平凡社から出ていたものの文庫化。五年近く前からの話題作に、やっと気づいた自分の迂闊さが情けない。気を取り直して思うに、何事にもめぐり合わせの時というものがあり、今の私にとって、書との出会いは絶好であった。 広島市に原爆ドームがあるように、長崎市にはかつて浦上天主堂の被爆遺構があった。原爆のむごたらしさを伝えるものとして、多くの市民がその保存を願ったが、その思いも空しく1958年に解体され、天主堂は翌年新たに再建された。被災した一部の壁が、原爆落下中心地に造られた公園に移設されたにとどまり、もう一つの被爆都市の1945年8月を物語る遺物は、惜しくも消し去られてしまった。それはなぜだったのか。長崎出身の著者はこの疑問に執拗にこだわり、そこに秘められた歴史を辿ってゆく。

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  • 『ラオスを知るための60章』菊池陽子・鈴木玲子・阿部健一編著(明石書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「エリア・スタディーズ」シリーズも、2013年に126冊になった。とりあげる国や地域は、「現代」を冠したものもあり、その目的や読者対象がさまざまで一律ではない。書は、日で「ニュースになる機会は多くない」「ラオスを知るための60章」である。 編者一同は、つぎのような目的で書を編んでいる。「今日の世界の大きな強い流れに身を置いていると、ゆったりと生きている小さな国の人々のことには、なかなか関心がいかない。しかし小さなことのなかにこそ大切なものがある。書の以下のさまざまな話題から、ラオスにはそれがあふれていることを実感してもらえるのではないか」。「時間の流れがゆったりとしており、メコン河の向こうに沈む夕日をながめていると、この世の喧噪を忘れさせてくれる。ラオスには目に見えない豊かさがある。それこそがラオスに人々が魅了される所以であろう」。「ラオスは目立たない

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  • 『昭和の子供だ君たちも』坪内祐三(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「シャイな私の昭和論」 「力がこもっている」という形容がふさわしいではないだろう。文章は力感があってぐいぐい読まされるが、たっぷり力をためた上で「えいや!」と投げ落とすようなスタイルは坪内氏には似合わない。 たとえば小島信夫の奇書『別れる理由』を執拗にまとわりつくようにして語った『『別れる理由』が気になって』など典型的だが、氏の攻め方はふつうの文芸評論とはまるでちがう。小島というと、『抱擁家族』を論じた江藤淳の『成熟と喪失』などが思い起こされるが、たしかに居住まいを正して立派な書きぶりである。ただ、何しろくせ者の小島。正座して面と向かうだけでは取り逃す部分も出てくる。 坪内氏のアプローチはどうかと言えば、正座どころか小島信夫に対してヘッドロックをかけたり、腕ひしぎ逆十字をかけたりと始終ちょっかいを出している感じなのである。面と向かって相対するような交渉はなか

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  • 『物語 ビルマの歴史-王朝時代から現代まで』根本敬(中公新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 現在の国名は、ミャンマー連邦共和国。2010年からの正式名称である。1989年に国名がビルマからミャンマー、首都名がラングーンからヤンゴンに変わったことは知っていても、1948年の独立後正式名称が何度も変わり、国旗のデザインも1974年の変更を経て2010年に一新したことを知る日人は少ない。正式な国名は、1948-74年はビルマ連邦、1974-88年はビルマ連邦社会主義共和国、1988-89年はビルマ連邦、1989-2010年はミャンマー連邦である。いずれの国名にも、「連邦」がつく。帯に、「多民族・多言語・多宗教国家の歩みをたどる」とあるゆえんである。 その連邦国家の歴史を語るにあたって、著者、根敬は、「「地球市民」の視点に立つ「グローバル・ヒストリー」や「新しい世界史」の重要性が叫ばれる現代にあって、書のように特定の国の通史、すなわち一国の歩みを時系列

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  • 『なぜフランスでは子どもが増えるのか フランス女性のライフスタイル』中島さおり(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「フランスに学ぶ少子化対策」 日少子化が問題となってすでに久しい。ところが、同じ経済先発国でもフランスでは子どもが増えている。私も長年フランスに住んでいて、子どもを持つ両親に対する保護政策が功を奏しているのだろう位しか考えていなかった。しかし、中島さおりの『なぜフランスでは子どもが増えるのか』を読むと、そう簡単にはまとめられない事情がからんでいることが良く分かる。 話は、洋服の胸の開き加減から始まる。中島は日とフランスの服の違いは、胸の谷間の深さの違いにあると言い、フランスの服は日のものより5ミリほど深くなっていて「女がセックス・アピールを誇示することに対する社会の許容度の差が、あの五ミリの差なのである。」と述べる。 私の家の近くに、日人のシェフが経営するフレンチレストランがある。豊かな胸のウェイトレスが入ると男性客が急増し、彼女がやめると男性客が減

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  • 『カネを積まれても使いたくない日本語』内館牧子(朝日新書413) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「若者言葉と、きちんとした国語と、この二つを使い分けるように教育することが重要であり、必要だと思う。(書7ページ)」という著者の提言は、まったくその通りだと思う。しかし問題は、いい年をした大人までがこうした言葉をつい使ってしまうところにある。これでは若者がきちんとした日語をしゃべれるようになるわけがない。テレビに登場する芸人たちはもちろんのこと、来は正しい言葉を使うべき報道番組のキャスターでさえ、使えていない場合が少なくない。言質を取られまいとして曖昧な表現に終始する政治家の答弁はもとより、コンビニエンスストアやファミリーレストランの店員が口にする不思議な言葉遣いも、「大いに問題あり!」なのだ。 内館のを読み始めると、初めこそ「そうそう、そうなんだ」「皆同じことを感じているのだなあ」と思いつつ、そこに紹介されている例文を楽しむ余裕がある。が、次第に心が

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  • 『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 記憶喪失や殺人といった非日常的なことが、テレビドラマなどで頻繁に都合よく使われる。現実味の乏しい設定に、うんざりすることもある。そんな記憶喪失も、「虚構の世界、たとえば小説に描かれるようになったのはさほど古いことではない」という。 著者、小田中章浩が問題にするのは、「さまざまなフィクションが記憶喪失という現象をどれほど正確に再現しているかということではなく、記憶喪失を基にしながら、フィクションの制作者たちが想像力を駆使してどれほど興味深い物語を作り上げたかということである。別の言い方をすれば、記憶喪失が虚構の世界においてどのように「表象」されているか」である。つまり、滅多におこることのない記憶喪失を使って、いかに虚実ない交ぜの社会を描き、読者や観客を「楽しませる」かが、制作者の腕の見せどころとなる。 さらに、書の狙いは、つぎのように説明されている。「神話や伝

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    laislanopira
    laislanopira 2014/01/08
    第一次世界大戦のPTSD経験が、記憶喪失のフィクションがあふれるきっかけになった
  • 『対人恐怖』内沼幸雄(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「羞恥の発掘」 今回の枕の一冊は、”Seeing and Being Seen: Emerging from a Psychic Retreat” (John Steiner, Routledge, 2011) 。防衛の牙城に引き籠る心的事態(Psychic Retreat)の解明に勤しんできたシュタイナーの第二作だ。日でも、『見ることと見られること-「こころの退避」から「恥」の精神分析へ』(岩崎学術出版社、2013)というタイトルで翻訳出版されている。フロイトとメラニー・クラインの血統を示す、著者の存在証明の書という印象を受けた。妄想分裂ポジションと抑うつポジションというクラインの発達シェーマを基盤に、エディプス・コンプレックスをはじめ、同業者内ですら悪名高い「死の欲動」を読み直していることが目新しく、臨床例で肉づけされていて読み易い。精神分析界のキーワー

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  • 『<群島>の歴史社会学-小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』石原俊(弘文堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「捨て石」ということばが気になった。第4章「冷戦の<要石>と<捨て石>」の「おわりに」で、著者、石原俊は、つぎのように繰り返し「捨て石」ということばを使っている。「小笠原諸島・硫黄諸島はアジア太平洋戦争において、ミクロネシアの島々や沖縄諸島などとともに日内地の防衛と「国体護持」の<捨て石>として利用され、住民は難民化や軍務動員を強いられた。そして両諸島は「サンフランシスコ体制」の形成過程で、沖縄諸島などとともに米国の軍事利用に供され、日の再独立・復興の<捨て石>として利用された。これによって両諸島は米軍の秘密基地として使用され、米国の戦略的信託統治のもとで核実験などに軍事利用されたミクロネシアの多くの島々と同様、島民たちはディアスポラ化(故郷喪失・離散)を強いられた。さらに、日への施政権返還後も硫黄諸島民の難民状態は継続し、ポスト冷戦期の米軍再編のなかで

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  • 『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた―シャイな息子と泣き虫ママのびっくり異文化体験記』小国綾子(径書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「これからの時代の、「子育て/親育ち」を少年野球に学ぶ!」 いきなり私ごとで恐縮だが、また以前の私をご存知の方ならば大いに驚かれることだろうが、今年度初めから、地元の少年野球チームでコーチをやっている。毎週末は、練習の手伝いや試合の付き添いに出かけている。 およそキャッチボールぐらいしか野球経験のない、文化系街道まっしぐらの私だったが、息子の入団とともに、人出不足のチームのお手伝いをしているうちに、気が付いたらそうなっていた。だがこれが実に楽しく、充実感があるのだ。 実際に体験してみて思うのは、少年野球は勝ち負けを競う「スポーツ」でもありながら、むしろ「教育」、いやそれが堅苦しい言葉ならば、「子育て」であり、それと同時に「親育ち」ということだ。 プロや大学生などと比べてしまえば、技術や迫力の面では大幅に劣ってしまう子どもたちの試合だが、これが見ているうちに、つ

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  • 『ほつれゆく文化―グローバリゼーション、ポストモダニズム、アイデンティティ』マイク・フェザーストン著/西山哲郎、時安邦治訳(法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「変化し続ける、プロセスとして文化をとらえること」 書は、イギリスの社会学者マイク・フェザーストンが、1980年代末以降、各所で記してきた現代文化に関する論考をまとめたものである。 訳書の出版当時、フェザーストーンはノッティンガム・トレント大学の研究教授であるとともに、『Theory, Culture & Society』誌の編集長を務めている。冒頭の「『ほつれゆく文化』の刊行によせて」で吉見俊哉氏も述べているように、書はフェザーストーンの学識の広さが表れた、視野の大きな文化社会学の理論書ということができる。 その全体を通して、書が一貫して問うているのは、グローバリゼーションとローカリゼーションが進み、激しく変動する現代において、文化を研究することの社会学的な意義である。 たしかに、グローバリゼーションの進展は、一見するとアメリカ一極集中型の政治的なパ

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  • 『格付けしあう女たち―「女子カースト」の実態』白河桃子(ポプラ新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「「女子カースト」に対する社会学的分析と処方箋」 見つけた途端に、すぐにでも講義で紹介したくなるというのがある。加えて、紹介した途端に、学生からも非常にいい反応が返ってくるというのもある。書はまさにそうした著作である。平易な書き方をしながら、その一方で、今日の社会における何がしかの質的な点を指摘しているような著作というのは、なかなかお目にかかれないものである。 さて、書『格付けしあう女たち』は、家族社会学者の山田昌弘との共著によって、「婚活」というキーワードを世に広めたジャーナリストの白河桃子氏が、今日における女性たちのコミュニケーションの実態を社会学的に分析したものである。 サブタイトルにおいて「女子カースト」と呼び表しているように、今日の女性たちのコミュニケーションにおいては、影に日向に激しい差異化競争が繰り広げられ、その結果を元にした厳しい「格

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    laislanopira
    laislanopira 2013/12/30
    "本書によれば、今日において「女子カースト」が非常に過激になっているのは、「多様性社会への過渡期」にさしかかりつつあるからだと"