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ブックマーク / nix-in-desertis.blog.jp (170)

  • nix in desertis:最近読んだもの・買ったもの(『エーゲ海を渡る花たち』完結他)

  • nix in desertis:「表現の不自由展 その後」と表現バッシングについてもう少しだけ

    ・「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次)(現代ビジネス) → すでにあいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」については一筆書いているが,この記事に引っ掛けてもう少しだけ言及しておきたい。 記事には同意しかない。件に限らず,自由な解釈が許されているのと,誤読が許容されているのは全くの別物というのはこの社会に蔓延している間違った観念である。「 批評には正解はないけど間違いはある」というさる方のブコメの言い方も良い。これが芸術性の無いものならばほぼそうならないところ,小説や美術作品になると途端にこうなってしまうのは,記事のタイトルの通り,学校教育の美術で「自由な鑑賞」が過剰に強調されてきたために社会に広がってしまったものだと思う。 ただし,仮に読解が難しいもの,高い専門性が無いと読み解けないものや文脈が込み入っているものは,それを提供する側に誤

  • nix in desertis:「大和と出雲」(他は含まない)

    東博の出雲と大和展に行ってきた。タイトルの通り,古代日の信仰を追う展示である。出品物はほぼ全て出雲からの出土品または出雲大社の所蔵品,畿内からの出土品または畿内の諸寺院・東博の所蔵品である。出雲側の展示については,展示品リストを見ればわかる通り,多くが古代出雲歴史博物館か出雲大社で見たもので,個人的にはほとんど新鮮味が無かった。逆に言ってこれに感動した人は是非現地で見てきてほしい。絶対に感動するので。逆に大和側も出品リストを見ると,考古学的出土品は多くが橿原考古学研究所付属博物館から持ってきているものなので,直近で行っていたらつまらなかったと思われるのだが,長らく行っていないのでけっこう楽しめた。それこそ,これはそのうち現地で見たほうが楽しそうである。 それはそれとして,今回の展示は邪馬台国畿内説の勝利が裏テーマだったのではないかというくらい弥生時代の大和が押されていて,こんなに数を並べ

  • nix in desertis:SNSが変わると文化が変わるしね

    ・東方Projectの同人CDをサンプリングした「Omae Wa Mou」がTikTok経由で世界中でバイラルを巻き起こしている謎現象について(柴 那典|note) → ブコメにある指摘も含めて経緯をまとめると,東方原曲「今昔幻想郷」(ZUN,『東方花映塚』2005年8月)→東方アレンジ「タイニーリトル・アジアンタム」(Shibayan Records,2013年5月)→訴えられたら負けそうなほどの丸パクリサンプリング「Omae Wa Mou」(deadman,2017年9月)→それを使ったラップ「Already Dead」(Lil Boom,2018年4月)→Lil Boomが「Already Dead」を用いた自作のアニメMADをインスタに投稿(2018年4月)→Twitterでマイクラ動画のBGMに「Already Dead」が採用されて一気に広まる→TikTok内でダンスチャレンジ

  • nix in desertis:『物語 オーストリアの歴史』のまずい点について簡潔に

    山之内克子先生は『ハプスブルクの文化革命』が大変な名著で,『物語 オーストリアの歴史』も面白く読んだ。ドイツの美術史をやっていた人間としては,アンゲリカ・カウフマンに触れてくれたのは,書がオーストリア各州の地方史の集成であることを考えると当然であるとはいえ,大変に嬉しかった。 ・SNSの時代にを書くということ・・・新書「ヒトラーの時代」に思う(yoshiko Yamanouchi|note) → その上で言うと,この説明はちょっと受け入れがたい。そのTwitter上で指摘されていたように,「一次史料との兼ね合い等の事情から,書では「オスマン・トルコ」で統一する」と冒頭に注意書きを入れておけば解決した話であり,そうしなかった以上は著者・編集者側の落ち度であろう。どちらかというと,そうした注意は編集者が払うべきであるので編集者の過失の方が大きい。なので,このnoteで「校閲のレベルが高か

  • nix in desertis:もっと宗主にフォーカスを当てた展示でも良かったのかも

    昨年11月に西美のハプスブルク展に行っていた。近年の西美は研究寄りでこういう企画展は少なかったので,久しぶりという感がある。まあでも2018年にもルーベンス展はやっていたか。展示品は大半がウィーン美術史美術館所蔵のもので,少しブダペスト国立西洋美術館のものと西美の所蔵品が入っている。 ハプスブルク家600年の歴史を追いながら関連する事物を展示するという形の展覧会であるが,さすがに当の最初期の展示は無く,最初に登場する宗主はマクシミリアン1世である。よって600年というのは誇張で,20世紀も無いことを考えると400年の歴史が正しい。個人的にはルドルフ1世なりルドルフ4世建設公なりのものでもあれば持ってきてもらいたかったところ。ともあれ,「中世最後の騎士」マクシミリアン1世がスタートというのは時代の切れ目としては綺麗で,第1章が豪華なプレートメールの数々というのは人目を引き,展覧会としては成

  • nix in desertis:「『宇崎ちゃん』バッシング騒動の雑感」に対する反応への雑感

    はてブ等でいろいろ反応をいただいたので,コメントする価値のあるものだけ追加でコメントしたい。なお,これは1.コメント者に応答を求めるものではなく,あくまで第三者の読者にむけた追加のコメントである。2.はてブは基的に記事主からの応答を求めるものではないと自分では解している。私自身,そのつもりでないブコメに大して記事主に応答されるとビビる。3.興味深いコメントの内容が必要なのであって,今回は誰が発言したかは考慮するつもりが全く無い。4.そもそもlivedoorブログからはてブにコールする直接的な手段がない。5.編はあんなに伸びると思っていなかったのでかなり端折って書いたので,実は補足の口実としてはてブを使いたいだけ。という5つの理由から,idコール等はしない。また,この話題を長く続ける気はないので,記事についたはてブやコメントには基的に反応しません。 >宇崎花というキャラ自体に性的目線

  • nix in desertis:『宇崎ちゃん』バッシング騒動についての雑感

    件についての議論の要点は,『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品を初見時にどう読解するか,という点にあると思っている。ある人が「ある程度この種の作品を見慣れている人たち(主にオタクと呼ばれるような)なら,仮に『宇崎ちゃん』という作品を全く知らなくても,この3巻の表紙を見たら,まあ大体『高木さん』とか『長瀞さん』とかの,あの系統の作品なんだなという想像がつく」と書いていて,それに完全に同意する。そう,文脈がわかる人には,乳袋表現はあくまでヒロインをかわいく見せる一つのテクニックでしかなく,そこが作品全体の主要ではないことに容易に察しがつくのである。(※) しかし,そうした文脈を読む力が一切ない人がこの絵を見たとして,これだけの解釈ができるかどうか考えてみると,まあ無理かろうなと思う。どう見ても絵の中央にやけに強調した胸が鎮座し,注射針が怖い男性を見下して煽っているかのようなセリフまで付いてい

  • nix in desertis:「表現の不自由展 その後」について

    なんとなく思ったことを書いておく。言うまでもなく私自身は「表現の不自由展 その後」はちゃんと公金が支出されて妨害無く展示されるべきだったと思う,というのを前置きした上で。 「表現の不自由展 その後」はあいちトリエンナーレの(国際現代美術展の)一部であり,つまりは現代アートの祭典である。したがって当然「表現の不自由展 その後」も現代アートの文脈で理解する必要がある。そもそもそのHPに行けば説明されているので読めばわかるのだが,要するに何らかの理由で展示を拒否された作品が集められ,排除された理由を説明するキャプションが付されたことで,これは「表現の自由について考える」文脈に改めて載せられた作品群ということになる。 すなわち,この時点で個々の作品が持つ芸術性については後退していて,少なくとも前面には出てきていない。一番わかりやすい例で言えば,ここに展示された「平和の少女像」は東京都美術館での企画

  • nix in desertis:『天気の子』感想・批評

    〈セカイ系としての『天気の子』〉 自分としては作がセカイ系であるかどうかとか,セカイ系の定義にはあまり興味がない。むしろ作の場合,人類が滅びるような障害を乗り越えられる程度の障害に縮小したところを評価したい。人類を滅ぼさんでもセカイ系はできるし,やってよいのだという意味合いでなら作をセカイ系の文脈で語るのは面白いと思う。もう,ヒロインとセカイのどちらかしか選べないという結末しかないのに我慢する必要はないのである。東京は部分的に水没したし,陽菜は晴れ女の能力を失った。それでも都民はたくましく生きている。 そもそも須賀の言う通り,陽菜が帰ってきたから雨が降り続いているなんて因果関係がはっきり証明されているわけではない。2人は降り続く雨を気に病まなくていい。まさに「大丈夫」なのだ。実は選択でさえないかもしれないという読み方を残している。読み方の選択の余地があり,選択を迫られているのはむしろ

  • nix in desertis:『ヴラド・ドラクラ』1・2巻

    言わずとしれたワラキア公国のヴラド3世の伝記的歴史漫画。どうしても吸血鬼伝承寄りのファンタジックな展開になってしまいがちな素材であるが,作は非常に真っ当な歴史漫画をやっている。すでにCall of Historyでも書評があるが,ハンガリーとオスマン帝国という大国に挟まれ,国内は大貴族が専横を振るい,ドラクレシュティ家は父が建てたばかりの新興王朝で王権は未成熟と,考えうる限り最悪と言っていい状況から中央集権化を目指す若き英主の苦闘を描いているのが1・2巻の展開になっている。ここまではその描写が面白く,2巻末時点で国内統一の内戦がクライマックスに向かっている。これが終わればオスマン帝国のメフメト2世との大戦争になるが,期待が持てそうだ。結果がわかっていて不明点が多いだけに,創作の余地が多いことが作では上手く働いている。いかに不自然ではない創作を織り込むかが腕の見せ所になる。 時代は145

  • nix in desertis:ダムカード・百名山・百名城……

    ・インドで「世界最大の像」完成 182メートル、巨額費用批判も(共同通信) ・世界最大の立像も登場、インドで巨大像の建造がブームに(CNN) → サルダール・パテールという人物を知らなかったが,独立の立役者の一人ながらヒンドゥー至上主義者だったということでいろいろと納得した。さらにインドでは2021年完成予定で約212mのシヴァージー像を建設中だそうだ。シヴァージーもムガル帝国のアウラングゼーブに抵抗してマラーター王国というヒンドゥー教国を建てた人物である。共通点として,イギリスは言うまでもないとして,アウラングゼーブもシャリーア的な統治を強化して宗教分断を強めた人物であるから,どちらもインドの分断を強めた側である。それへの抵抗だからインド統合の象徴としての像であると表向きには言いやすく,実際にはどちらもヒンドゥー教徒の英雄という意味合いの方が強い。うまいチョイスではある。 → CNNの記

  • nix in desertis:GRIDMANとゾンビランドサガの話

    ・グリッドマン4話のアカネちゃんが如何に「自分なら彼女のことを誰よりもわかってあげられる」という、オタクの身勝手で柔らかい部分を刺激したか(根室記念館) → 『SSSS.GRIDMAN』が完結して新条アカネの正体が判明した今になってこの記事を読むと,これはこれで結構面白い。以下ネタバレ。 → 現実のアカネは普通の容姿でおそらく性格ももっと引っ込み思案だったのであろう。そんな彼女が理想の自分を描いたら,見事なまでに地雷っぽいオタク女が完成したという……で,これはこれでやっぱり当に理想の自分なのかという話で,六花や響くんや内海くんと触れ合ううちにズレが生じた。GRIDMANが来てなくてもあの世界は遅かれ早かれ新条アカネの自壊によって崩壊していそうだし,その場合はアレクシスの都合がさらによいので,やっぱりGRIDMANは新条アカネを救いに来たんじゃないかと思う。練られていて納得感の強いキャラ造

  • nix in desertis:『奇想の系譜』から49年

  • nix in desertis:2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国公立大)+おまけ

    1.センター試験 世界史B <種別>悪問 <問題>2 B 問4 下線部⑤の人物(編註:チンギス=ハン)の事績について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。 〔 14 〕 ① ホラズム=シャー朝(ホラズム朝)を倒した。 ② ワールシュタットの戦いで,ドイツ・ポーランドの諸侯の連合軍を破った。 ③ 大都を都に定めた。 ④ チャハル(チャハル部)を従えた。 <解答解説> 問についてはすでに西アジア史に詳しい方による論評があるが,ここでは受験世界史の観点から論評していきたい。②はバトゥを総大将とするモンゴル軍(の支隊),③はフビライ(クビライ),④はおそらく後金のホンタイジの事績からとってきていると思われ,これらが全くの誤文なので①が正解になるはずである。ところが,実際にはチンギス=ハンの時代の遠征軍(1220〜21年)はホラズム=シャー朝を滅ぼしきっておらず,致命傷を与える

  • nix in desertis:2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(慶應大の残り・早稲田大)

    5.慶應大 法学部 <種別>出題ミス <問題>1 [設問4] Cの言葉は(編註:「王は君臨すれども統治せず」),ある国における王のあり方を示すものである。このような体制が確立していく過程において,その国に起こった出来事に関する記述として誤っているものを以下から選び,その番号を (07)(08) にマークしなさい。 [01] 内戦で勝利を収めた議会派は王を処刑し共和政を樹立したが,その後オランダとの間で戦争を始めた。 [02] 樹立した共和政で権力を掌握した人物が軍事的独裁体制をしいたため,国民の不滴が高まった。その人物の死後,[01]にある王の長男が亡命先のオランダから帰国し,王政復古を果たした。 [03] [02]で帰国したのちに王となった人物と議会は対立したが,この時期に王権に寛容なトーリ党と議会の権利を主張するホイッグ党の二つの党派が成立した。 [04] [02]で王となった人物の弟

  • nix in desertis:2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(上智大・慶應大の途中まで)

    今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。まあ,事情が複雑すぎて解説を書くのが追いつかなかったものが今回は2問ほどあるのだが…… ・収録の基準と分類 基準は例年とほぼ同じである。 出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。 悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。 → 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。 奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。 難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。記事で言及する「受験世界史

  • nix in desertis:不安・死・性愛の画家

    都美のムンク展に行ってきた。前にムンク展があったのは2007年のことであるから,約11年ぶりの東京でのムンク展ということになる。もっとも,図録には「回顧展というべき規模のムンク展は,日では20年ぶり」というようなことが書いてあったので,11年前のものはカウントされていないらしい。確かに《叫び》が来ておらず,画業の全てを俯瞰するというよりも《生命のフリーズ》の装飾性についての展示になっており,正直よくわからなかったのが当時の感想である。まあ,よくわからなかったのはキュレーション半分,当時はまだあまり詳しくなかった自分の知識の足りなさ半分というところだろう。 そこへ行くと今回の展覧会は完璧で,約100点ながら,ムンクの画業をちゃんと追うことができる構成になっていた。代表作も《叫び》は当然のこととして,《不安》《マドンナ》《吸血鬼》と勢揃い。来ていなかったのは《思春期》くらいではないか。ムンク

  • nix in desertis:バジパイ元首相の訃報記事に関連していろいろ

  • nix in desertis:「受験世界史の音楽史がやばい」に寄せて

    ・受験世界史の音楽史がやばい(増補あり)(allezvous’s blog) これの受験世界史側から見たあれこれを。 ・そもそもこんなに覚えなくてもよい 私をして見たこと無い入試問題がめちゃくちゃ多い。これは私が00年代半ば以前だとさすがに私大は綿密に解いていないという事情があるので,半ば私の調査不足が原因である。とはいえ元のpdfに掲載されている入試問題の年度を見ていただけると,2001年や2003年の問題がけっこう含まれており,中京大や愛知淑徳大といった,あまり特別に大学別の対策をしないような大学の入試問題からも拾っている。このプリントの作者は,中堅以下の私大に限れば私よりも断然研究している。 逆に言ってしまうと,そこまでしないと音楽史の入試問題抜粋集なんて作れないのである。拙著でも何度か取り上げているが,高校世界史は明らかに文学偏重であって,扱いの重さは文学>美術・建築>その他である