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ブックマーク / nix-in-desertis.blog.jp (175)

  • nix in desertis:受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2014 その1(上智大・慶應大)

    書籍版ができました!この年度も収録しています。 ・序 昨年の記事も大変好評をいただき,すっかり人気シリーズになってきた。読者の皆様に感謝申し上げる。基的な目的意識についてはこれまでのものとなんら変わりない。つまり,悪問や度を超えた奇問・難問に対する糾弾である。なぜならそれらの大半は偶発的な事故や意欲的な作問の結果などではなく,大学という教育研究機関にあるまじき知的怠惰の結果から生まれるものと推測され,それもほとんど釈明しないという傲慢な権威主義が見られるものだからだ。そうした難問や悪問を非難しつつ,笑い飛ばして供養しようと思う。 世界史未受験者やもう忘れてしまった人にも配慮して,基的に太字だけ追っていけばどこがひどいのかわかるようにしたつもりである。世界史詳しい人にはやや太字がうざったいかもしれないが,ご了承いただきたい。 ・収録の基準と分類 基準は昨年と全く同じであるので再掲する。テ

    laislanopira
    laislanopira 2014/03/11
    いまだに世界史の内容だけは頭に残っている自分にもこれは手掛かりのない奇問ばかり
  • nix in desertis:なぜローマは崩壊したのに中国帝国は存続したか

    ・なんでローマは崩壊したのに中国帝国は存続した?(歴史的速報@2ch) そもそもローマ帝国再興は土台無理な話として,むしろ「なぜフランク王国は西ローマ帝国再興にさえたどりつかなかったのか」という話で考えた方が建設的であろう。で,結論としては,フランク王国が北魏になれなかったってことだろう。クローヴィスからシャルルマーニュまで300年,ゲルマン人の大移動開始からなら450年弱,ちょっと時間が開き過ぎた。北魏は道武帝から太武帝までわずかに約50年。八王の乱から数えても,太武帝の統一まで約150年。間に一度苻堅による統一があるから,西欧に比べれば分裂していた期間は短い。八王の乱から隋の統一まででやっと300年だ。だから皇帝の求心力が低下しきらず,統一への求心力が維持された。 もう2つ大きな違いとして。隋は後漢の領域のほぼ全てを覆ったが,鮮卑の旧領であるモンゴル高原は保持できていない。その後,唐が

  • nix in desertis:一人ロマン主義全部(ターナー展)

    都美のターナー展に行ってきた。水彩画中心ではあったが,なかなか豪華で量もあり,満足のいくものであった。 ターナーというと,表題にした通り,一人でロマン主義を一通りやってしまったという印象がある。ロマン主義と一括りにはするものの,実際の中身は多種多様だ。これはロマン主義という言葉の多義性もあるが,何より「筆致・主題のどちらかが古典主義からもロココからも外れてたらロマン主義」みたいなところはあり,これが雑多になっている原因である。C.D.フリードリヒは,筆致はパリッパリの古典主義だが,主題が崇高に寄りすぎているのでロマン主義だ。一方ドラクロワは主題が比較的古典的でも,筆致が全く外れているのでやっぱりロマン主義である。 こんな人為的な分類無意味なんじゃないかと言いたくなるような状況だが,ひるがえって,ターナーはどっちも描ける。というよりも,最初は主題が崇高なだけであったが,歳をとっていくにつれて

  • nix in desertis:趣味の高低,あるいは価値の高低について

    某所で起こった案件について,片方の方にちょっと言いたいことがあったので,ブコメを書いた後に「たまには記事体にコメントしようかな」と思っていた。が,いつの間にか該当記事が非公開となり,さらにご人がネット活動を停止宣言されるというスピード展開に乗り遅れた。もうお一方のブログの記事の方にコメントするのも,話の主旨が記事体と違いすぎてためらわれ,かと言ってどこにも何も書かないのも自分の精神衛生上悪く,結果自分のブログに軽く,多少なりとも一般化して書いて済ませてしまうことにした。というわけで,特に私のはてブを追っているわけでもない人は何が何だかわからないと思うが,以下,文脈のわかる人だけお読みください。 さて,まず趣味が高尚であるか低俗であるかは,個人差があるようでそれなりに社会的共通の理解があると思われる。私のブログのサブタイトルに趣味を4つ掲げてあるが,まあどう考えてもエロゲが一番「低俗」

  • nix in desertis:洛中洛外図。あと中国絵画とはてブの関係性

    東博の洛中洛外図展と,上海博物館展に行ってきた。前者は特別展,後者は常設展なので,1枚のチケットで両方見ることができる。ただし,どちらも前後期展示だったので,都合2回行った。 洛中洛外図展は,普段よりも展示作品数が相当少ないにもかかわらず,いつも通り平成館をフルに使った挙句前後期展示という点で強烈なインパクトがある。これは屏風の一点一点が大きいということと,展示の工夫がスペースを取っていたということの両方に理由がある。京都の広範囲を描く洛中洛外図なのだから,どうしても作品サイズは大きくなる。前後期に分けてあるとはいえ,主要な洛中洛外図は全員集合といった趣で,上杉と舟木(岩佐又兵衛筆)は当然として,歴博甲と乙が両方あり,福岡市博物館に池田,勝興寺と7作品である。画中のどこに何があるのか,それぞれの作品が京都をどう切り取っているのか探すのが楽しく,それぞれ名所を入れるためかなり空

    laislanopira
    laislanopira 2013/11/25
    "多くの作品に賛をつけまくった中国絵画界の超大物というと清朝乾隆帝だが,さしずめ彼は村長か。"
  • nix in desertis:「ロボットは東大に入れるか」発表会(11/23)レポート

    通称「東ロボくんプロジェクト」。NHKでも報道があった通り,発表会があったので参加してきた。以下にレポートを書いたが,超長くなったので,簡潔に先にまとめておく。 ・入試は「暗記とパターン」だが,パターン作りというのは,実際には高度な人間の知的能力。だから大学入試を選んだ。 ・最終的にコンピュータに身につけて欲しい能力(=東大入試突破に必要な能力)は3つ。「深く正確な(自然言語の)構文解析と意味合成」・「パラフレーズ同定」・「文章の要約」。これらは現在の人工知能ではできない。 ・ただし,今回は初回なので,挑戦する入試をセンター試験(模試)に絞った。また,最終的に欲しい能力を目指す質的な研究ではなく,今回は,小手先の,現状可能なアプローチだけで,どれだけセンター試験で得点できるかに挑戦した。そのセンター模試の結果は約4割の得点率(387/900)。足切り回避まで,まだまだ先は長い。 (筆者注

    laislanopira
    laislanopira 2013/11/25
    ロボットの間違え方が面白すぎる/ "最終的にコンピュータに身につけて欲しい能力(=東大入試突破に必要な能力)は3つ。「深く正確な(自然言語の)構文解析と意味合成」・「パラフレーズ同定」・「文章の要約」。"
  • nix in desertis:アメリカ外交史の転換点は?

    ・「世界の民主主義を守るためにアメリカは立ち上がらないといけない」この傲慢な発想はどこから来たのか? パットン将軍、自腹でシアーズ・カタログから部品を購入(Market Hack) 当はこういう記事は2,3ヶ月経って忘れた頃にツッコミを入れることにしているのだが,これについてはモヤモヤが晴れないので今のうちに書いておく。この記事,何がまずいかというと史実の指摘が怪しいか,明確に間違っている点がいくつかある。 0.この論って正しいの? 極端な誤りではないが,厳しいと思う。要約すれば「建国以来孤立主義だったが,その風潮にウィルソンがWW1を通して「スーパーヒーロー症候群」を植えつけた。そこで中東情勢にもかかわりを持った。世界恐慌で一時孤立主義に戻ったが,ホロコーストのような人権弾圧を見て,再び”人権”と”民主主義”を掲げる世界の警察を自任するようになった」ということになる。が,1.まず「建国

  • nix in desertis:主権国家と国民国家

    某所で「国民国家という統治システムはウェストファリア条約のときに原型が整った」という文章を読み,それはどこの別世界だよと思ったのだが,題でなかったこともあって,自分以外特に誰からもツッコミが入っていなかった。冷静に考えるとえらい錯誤である。「国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のこと」と国民国家を定義しているわりに,「以後400年ほど国際政治の基単位であった」と書いているから,この方は主権国家と国民国家を取り違えているように見える。それほど長くなく,この記述に関して思うところを書いておく。 言うまでもないが,ウェストファリア条約で成立したのは主権国家体制という国際秩序であり,はじめは西欧だけであったのが,西欧の世界進出とともに20世紀初頭までに全世界に広まっていったものだ。1648年にウ

  • nix in desertis:おばさん顔でもかわいい絵

    森美術館のミュシャ展に行ってきた。人気だろうなとは思っていたが,実際に入場待ちが1時間弱で,さすがにそこまでは予期していなかった。恐るべしミュシャである。作品数は約240点で,かなりボリュームがあった。 作品展示の順番はおおよそミュシャの制作順に沿っており,前半がサラ・ベルナールとの出会いと出世,そして売れっ子の作家としての活躍。後半が民族主義に目覚めてからの油彩画である。作品リストを持ち帰るのを忘れてしまったのでわからなくなったが(図録は買った),割合は7:3くらいではなかったか。前半の作品群については,有名な作品がぼちぼち多く来ていた。《ジスモンダ》や《JOB》はミュシャの作品の中でもトップクラスの知名度ではないかと思う。あとはVic好きとして今回の画像は欠かせない(その原因)。これらを含めた有名作品がおおよそ見られただけでも行ったかいはあった。これらは広告ゆえに一点一点がわりと大きく

  • nix in desertis:受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2013 その2(慶應大・早稲田大)

    18.慶應大 文学部 <種別>難問 <問題>2 ラ=テーヌ文化を発展させたインド=ヨーロッパ語系の(B)人〜〜 <解答解説>答えは「ケルト人」だが,ラ=テーヌ文化は受験世界史範囲外。多くの受験生ならケルト人かゲルマン人かくらいまでは絞れると思う。 19.慶應大 経済学部 <種別>悪問・出題ミス <問題>1 問3 清教徒革命以降のイギリスとアイルランドの関係について次の1〜4の文章の中から,誤りを含むものを1つ選びなさい。 1.共和政樹立後,クロムウェルは王党派の強いアイルランドを征服し,土地を奪われたアイルランド農民は,その後イギリス人不在地主の下で小作人化し,困窮していった。 2.1840年代のアイルランドでは,ジャガイモ飢饉に加えて,穀物法成立によってイギリス人不在地主による収奪が強化されたため,大量の移民が発生し人口は大幅に減少した。 3.20世紀初頭にはシン=フェイン党が結成された

  • nix in desertis:会田誠展雑感

    会田誠展に行ってきた。どちらかというと例の批判に対して言及したくて行ったのだけれど,行けば行ったなりに展覧会そのものにも感想は出てくるものだなと。少し会田誠に対する評価が上がった。現代芸術に対する批評は苦手分野だが,まあ。要点は2つ。 まず,会田誠の作品というと絡みたい対象がわかりやすく,よくも悪くも薄っぺらい印象を与えるものであったが,これは自覚的に行われていたということだ。まんま人が「質ではなく表面を描く」と言っていた。しかし,その薄っぺらさが不思議と現代日社会を映しているように感じなくもない。これは現代社会が薄っぺらいというのではなく,現代社会の雑多さを一面的に切り取ると確かに薄く感じられるように加工することは可能ということで,会田誠はこの「雑多さ」自体にも注目した作品がいくつかあった。 一番わかりやすかったのが戦争画returnsのシリーズで,これは正直に言っておもしろかった

  • nix in desertis:『敷居の部屋の行方』雑感

    夏コミで発表されたこのについて。覚書というほどの文章でもないし,書いて投稿するべきか否か逡巡して一ヶ月も遅れたブツなので雑感で良かろう。第二部のはじCさんと敷居さんの部分についてのみ。 まずはじCさんのほう。彼の言いたいことを端的にまとめると ・そもそもニコマスなどという集団自体が幻想であり,何かしらの性質をもった集団として呼びかけること自体が間違いだった ・その意味で,主張系の衰退論には何の意味もないし,飽きた。(自分の記事については,自分では衰退論だと思って書いていない) ・あとは蛇足のわかむらPdis=動画は投稿した以上,作者一人のものではない&削除して出ていったなら戻って来るべきではない ぶっちゃけて言えば,炎上するほどのものではない。炎上させたいのであればもっと過激なことを書くべきだったのであるが,まあそんなことは何度も炎上してきたはじCさんには釈迦に説法だと思うので,周囲の期

  • nix in desertis:カオスラウンジ周辺諸問題について

    0.はじめに 私のことをよく知らない人のために自己紹介を兼ねて言えば,私がこの問題に関心を持ったのは美術史学畑の人間だからであり,20世紀以降の芸術は一部例外を除けばおおよそ全部嫌いだからである。私の芸術観については過去記事のこれやこれを参考にしていただければおおよそわかると思う。 実害もなくなぜそんなに嫌いなのかと言われると,実はそこまで嫌いでもなく,自分が好きなものの行く末はなんのかんの言いつつもやはり興味を惹かれ,結果的に横目で眺めているというのがおそらく正しい。趣味が悪いと言えば悪いし,私憤でしかないと言われれば,私憤であると答える。特に村上隆関連を追っていたのは,自分の趣味であるヲタク界隈と接続しているからで,カオスラウンジはその延長線上に登場したに過ぎない。また,まどか☆マギカ関連でおもしろくない批評をやっていたのが彼らに良くない印象を与えたことも,一応この記事を書いた理由とし

  • nix in desertis:ニコニコは本編削除である意味終わってた

    ニコニコ動画はどこで道を間違えたのか(ニュー速VIPブログ) 悪いけどこれに関してはニュー速民の立場を支持する。ある意味でのニコニコ動画は、編削除の嵐で終わってしまったのだと思う。昔「ニコマスは特区(笑)」という言葉もあって、あれというのはバンナムがニコマスを特別視しているのかどうかという議論の途上でわかむらPが「特区なわけがない」と発言したところから生まれた言葉だったが、ニコニコ全体で見れば御三家というのはやはり特区的なところがある。よほどのことがなければ公式から削除されることはないし、東方はともかくクリプトンとバンナムはニコニコのほうを向いて全く商売をしていないかというと、それは否定されるところだろう。 これも誰かが言っていた言葉だが、御三家というのは規模の大きさはもちろんとして、制作者間のコミュニティが緊密であることや作者名明示やタグ整備といった文化が根付いているからこそ、その後他

  • nix in desertis:今のニコマス衰退論争に足りていない3つの視点

    どちらの味方とかそういう話ではなく、最近の議論には「……ひょっとして皆わざと手をつけてないの?聖域なのか?」としか思えないほど、不自然にスルーされる論点があるので、ここで提示しておく。 1、週マスでの数字 多様化は確実に進行しているが、しかし界隈の多様化と、良質の作品の伸びが極めて速いことは、全く相反するものではなく、共存可能な概念である。実際、08年、09年の前半はそういった形で進んできた。幻想郷ではないが、ニコマスはほとんど全てを受け入れ、Pにしよ見る専にせよ、その人数を増やし、繁栄を謳歌してきた。それでいて「わただもんげ!」意識を失わず、一体感のあるニコマス界隈というのは偉大ですらである。 しかし一方で、週マスの数字、特にランクイン可能圏内である30位のptsが徐々に低下している。07年〜08年頃ではおおよそ800pts必要だったのに対し、09年春以降は600pts程度で可能になり、