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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Syouka (11)

  • 「TAROの塔」−日本には、岡本太郎が必要だ - 月明飛錫

    TV, 美術 | 00:56 | 初めて岡太郎のことを知ったのは、子供の頃に見たテレビCMの「芸術は爆発だ!」だった。なんだかアブナイおじさんだな、という印象を受けたことを覚えている。その後、彼が岡かの子の息子であることを知り、彼の書いたものを読んで、ずいぶんイメージが違うと驚いた。彼なりのしっかりした芸術理論を持っていて、言葉が強く、しかも非常に読みやすい文章だったからだ。 NHKドラマ「TAROの塔」第3話、第4話を見て、あの読みやすい文章の背後には、彼の活動を支えた平野敏子の存在があったことを知った。母かの子の呪縛にとらわれていた太郎を解放し、誰にもとらわれない自由な岡太郎に変えたのも、敏子である。事実かどうかはわからないが、ドラマの上では芸術家「岡太郎」は、岡太郎と敏子の協同作業で創り上げられており、それに全く違和感がなかった。常盤貴子の演技も素晴らしかった。1・2回目が

  • 電車の広告が激減する中で、グーグルの広告が目を惹いた - 月明飛錫

    雑記 | 00:28 | 3月11日の震災以来、都内のJRや地下鉄の広告が激減している。いつもならびっしり埋まっている車内広告が、私が利用した範囲では、中吊り広告、車両の天井から側面にかけてのスペース、乗降口の左右にあるスペース、全てあわせて全体の3−4割程度しか埋まっていない。 どこかで見た景色・・・そういえば、札幌の地下鉄が過去何年もこんな感じだった(今年のお正月は地下鉄に乗らなかったので、わからない)。駅から家までの道のりも最近は照明が暗くなっていて、夜は閉店する店も増えたので、やはり札幌の住宅街並みだ。東京と札幌が似ていると思う日が来るとは、思ってもみなかった・・・ それにしても、ここまで横並びで自粛しなくても良さそうなものだけれど、いまどき電車に広告を出していると、クレームが来るなどということがあるのだろうか?やや話は逸れるが、今日行った住宅街にあるレストランでは、連休明けから客

    laislanopira
    laislanopira 2011/03/25
    残念だけど、今自粛するような企業の広告は、実際には不要なものが大半だったのではないか/ 企業としてのメッセージの有無もあらわになった
  • ボーカロイド(1) ボーカロイドは宇宙の歌を歌うのか - 月明飛錫

    雑記 | 03:46 | 私がここ数年で知ったもののなかで、最も革新的だと思ったのが、ボーカロイド(VOCALOID)。念のため説明しておくと、ボーカロイドとは、メロディーと歌詞を入力すると、サンプリングされた人の声を元にした歌声を合成することができる、ヤマハが開発した技術及びソフトのこと。有名なのは、クリプトン・フューチャー・メディアの発売する、声優・藤田 咲さんの声をもとに作られたソフトウエア『初音ミク』。初音ミクはバーチャル・シンガーとして、声だけではなく、外見と年齢、身長、体重など簡単なキャラクターが設定されており、ユーザーが初音ミクを用いて作った動画が動画投稿サイトに次々と投稿され、人気をよんだ。最近では初音ミクを使った曲がヒットチャートに入ることも多く、昨年発売された「Vocalogenesis」はオリコン週間1位を獲得した。   ボーカロイドをはじめて聞いたとき、最近の技術

  • フィリピンがインドの仕事を奪うということ - 月明飛錫

    雑記 | 01:11 | フィリピンへの出張から帰ってきた知人に、フィリピンがインドからコールセンターの仕事を奪って、成長を謳歌していると聞いた。調べてみたところ、今年はフィリピンがコールセンター売上で首位に立つ見通しだとわかった。 1.フィリピンがコールセンターで首位に2000年以降、インドが欧米企業のコールセンターをはじめとするビジネス・プロセス・アウトソーシング(以下、BPO)の拠点となって成長してきたことは、ネットワーク化とグローバル化の象徴のようにいわれてきた。インドのBPO産業は、今年の売上高124億ドル(1兆円)、300万人を雇用する一大産業となっている。 そのコールセンター事業の拠点が、最近はインドからフィリピンにシフトしている。米系BPO企業大手エベレスト・グループの調査機関・エベレスト研究所によると、フィリピンのコールセンター売上高は、今年57億ドルに達し、インドの55

  • 自己顕示としての消費から、生産消費能力を高める消費へ - 月明飛錫

    雑記 | 00:45 | 先日、『第三の波』を再読していろいろと発見があったので、同じ著者アルビン・トフラーが、2006年に出版した『富の未来』を読んでみた。 『富の未来』には、社会が工業社会から知識社会へ移行するとともに、「富の体制」が大きく変わっていくことが書かれている。なお、トフラーのいう「富」とは、金銭だけではない。金銭で買ったわけではないが、人々のニーズを満たすものも全て含めて「富」と呼んでいる。 富の未来(上)ジャンル: ・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 社会科学 > 社会科学全般ショップ: 楽天ブックス価格: 1,995円楽天で詳細を見る こので興味深かったのは、「生産消費者(プロシューマー)」の増加が、新しい知識社会のなかで大きな役割を果たすとしている点だ。 1.生産消費者生産消費者とは、自ら消費するためにモノやサービスを生産する人のこと。工業化社会のモ

  • 工業を大切にせよという反動イデオロギーは発生するか - 月明飛錫

    雑記 | 01:17 | 知の巨人、故・梅棹忠夫氏の「情報の文明学」を再読し、今更ながら、同氏の先見性に驚嘆した。 「情報の文明学」は、1963年、今から約半世紀も前に書かれた論文を中心にまとめられた書物。 情報の文明学 (中公文庫)作者: 梅棹忠夫出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 1999/04メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 66回この商品を含むブログ (68件) を見る こので一番有名なのは、産業の発展段階の歴史 農業 → 工業 → 情報産業を、生物の発生段階になぞらえた点だ。 農業:糧生産=消化器官系を主とする「内胚葉産業」工業:物質・エネルギー生産=筋肉中心の「中胚葉産業」情報産業:シンボル操作=脳や神経系の「外胚葉産業」 「内胚葉産業」と「中胚葉産業」は、人間も動物も持つ機能を産業化したにすぎない。(いやむしろ、べ物を消化するとか、走るとかいったことは、人

    laislanopira
    laislanopira 2010/08/29
    日本は工業化社会の倫理にすがりつき、工業の国家による保護を求め、日本の技術が世界を征した時代の思い出にひたるようになる
  • ネクタイの次に廃れる「非合理的な社会的慣習」は何だろう? - 月明飛錫

    雑記 | 22:49 | 今日電車に乗ったら、斜め前の男性が妙に目立っていた。どうしてだろう? と考えてみると、車両の中でその人だけが、ネクタイを締めていたから、なんとなく浮いて見えたことがわかった。改めて周囲をこっそり見渡すと、同じ車両に乗り合わせた男性20人ほどのうち、ネクタイ姿1名、残り19名がノーネクタイだった。ノーネクタイって、ここまで普及したのか、と改めて感心した。 さらに認識を新たにしたのは、ノーネクタイをうまく着こなしている男性が多かったこと。私はちょっと前まで、ノーネクタイって実用的だけれど、かっこよくない人が多い、と感じていた。大半の男性は、普通のワイシャツとスーツ姿で、「クールビズと言われたので、ネクタイだけはずしてみました」と、なんとも言い訳がましい感じで、なんとなく間抜けに見えたからだ。特に何の変哲もない白いシャツだと、とてもだらしなく見えた。 しかし今日見てみる

  • 明治の新聞(20)〜記者クラブの特権化 - 月明飛錫

    明治の新聞 | 00:44 | 前回見たように、記者クラブは、今と違って、情報開示の義務といった考えのなかった明治時代に、情報を公開させるための記者側の働きと、勉強会として、自主的に形成されていった。しかし、記者クラブが普及しはじめると、情報を提供する側の政府も、これを積極的に活用するようになり、記者クラブは、特権化していった。今日はこの動きを見ていきたい。 1.記者クラブの取り込み 外務省担当記者の集まりである「霞倶楽部」では、日露戦争時には、政府高官が海外電報を取りまとめて発表したり、週に2回、書記官がクラブ員の質問に答えるようになった。時には、記者のための勉強会が開催され、政府側が解釈を伝えることもあった。 記者の自主的な組織が、当局の情報操作に利用されるようになっていった例である。 そして、第二次桂内閣のときには、政府は、これらの団体に対して、イス、机のある比較的広い部屋を無料で提

    laislanopira
    laislanopira 2010/05/14
    記者同士の勉強会がいかに利用され腐っていったか
  • 明治の新聞(19)〜記者クラブの誕生 - 月明飛錫

    00:34 | 現代の日のマスメディアは、記者クラブからの情報提供に一方的に依存していることによる弊害や閉鎖性が指摘されているが、この傾向は明治時代にすでに指摘されていた。 そこで、今回と次回の2回にわけて、明治時代の記者クラブの発生と形成過程および問題点について見ていきたい。 1.「新聞記者去勢術」 まずはじめに、1910年(明治44年)の雑誌に掲載された、記者クラブへの批判記事を紹介しよう。 「・・・其省に隷属せる記者団に対し、一斉に同じ種を供給す。抜け駆けの功名は全く不可能となれるなり。故に該会若しくは該倶楽部に名前を載せ、紋日物日に顔出しさへして居れば、馬鹿でも阿呆でも腕利機敏な記者と同じ種を取り得るなり。現に其の受け持ちの記者が都合で社を欠勤の場合にても社にては更に不便を感ぜず、通信にて立派に夫れだけの記事を載せ得る事となれり。・・・(中略)・・・どの新聞見ても記事は同じとあり

    laislanopira
    laislanopira 2010/05/12
    新聞記者の去勢
  • 再考:ネットの普及で、言論は、明治の新聞黎明期の姿に戻った - 月明飛錫

    雑記 | 23:08 | ポイント:ネット上にさまざまな主張があふれるという現象は、根的には明治の新聞黎明期の姿と同じであり、ネット上での発言は、トイレの落書きとして矮小化されるべきものではない。 一昨日の記事には、多く方にアクセスしていただいたのだが、改めて読み返してみると、番組の感想と、私の主張が入り混じっていてわかりづらいところがあった。そこで今日は、新聞に論点を絞って書きたい。 1.日の新聞の発行部数は世界でも多いちょっと古いデータだが、Wikipediaによると、2005年の世界の新聞の発行部数は、以下の通り。 1 読売新聞 日 14,067,000 2 朝日新聞 日 12,121,000 3 毎日新聞 日 5,587,000 4 聖教新聞 日 5,500,000 5 日経済新聞 日 4,635,000 6 中日新聞グループ 日 4,512,000 7 ビルト

  • NHKS「激震マスメディア」〜ネットの普及は、新聞黎明期の姿に戻ることかもしれない - 月明飛錫

    TV | 21:26 | 昨日のNHKスペシャルは、期待はずれだった。「マスメディアはどう変革していくべきなのか。変革するためには何が必要なのか」という議論はまったくされず、自分は正しいと主張するのみ。問題意識がすれ違っているので、議論が全くかみ合っていなかった。 まず最初に言いたいのは、ネットは玉石混合だというが、TVや新聞だって、玉石混合だということ。 私が子供だった頃、TVばっかり見ていてはいけない、といわれたけれど、いつのまに社会的に「若者を中心としたテレビ離れ・新聞離れが懸念され」るほどのものになったのだろう。懸念というからには、社会的使命が高いという認識が前提のはずだけれど、これが共有できない。懸念しているのは、業界関係者だけなのではないだろうか?だいたい、マスメディアは「社会の公器」という言葉は当なのか? 少なくともTVの場合は、報道なんてごくわずかで、むしろバラエティやド

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